第370話

「太傅の馬日碇殿、という話のようですが。どうして皇帝の相談役がこんな陳留くんだりまで足を延ばしているんですか」


「ふむ、そいつは私も知りたいところだな。節まで持たされ各地を見て来いと言われてね」


 仮節か、軍もないのにそれを与えられたということは、各地の監察で様子を探ってこいとのお達しか。或いは朝廷勢力の小細工か何かで連絡係でもやっているのか。


「そうですか。で、ご用はなんでしょう、お互い暇ではないのだから腹の探り合いは省略という線で」


 不遜すぎる態度に馬日碇は気持ちよく笑う、遠回しに信頼しているとの表現に気づいたのか、それとも馬鹿にしているのかは知らんぞ。


「陛下はご無事だよ。李鶴、郭汜は臣下としてその権力を利用する方針をとっている。賈翅もそうすべきだと吹き込んでいるようなので、暫くは安全だ」


「董卓の時のように、か。差し当たっては身の安全だけでも満足するとしよう。心を病まないようにさせるのは、側近の役目。さっさと仕事を終わらせて帰るんだな」


「こいつは手厳しい限りだ。だがそいつは真理だよ。私と太僕の趙岐殿で巡察を行ってこいとのことだ。もっとも趙殿は涼州方面に出向いているがね」


 ホットな情報が手に入るのはありがたいことだ、荀彧は何かを思案しているようだな。酒ではなく茶を持ってこさせてじっくりと話を聞くようにする。


「監察といっても黄巾賊を始めとした乱は、大小ありでひっきりなしに起きている。理由は暮らしにくさというところだろ」


「それは各地の太守らに頑張ってもらうしかない。監察ついでに刺史や太守等が朝廷をどう思っているかを聞いて来いということだ。賈翅の入れ知恵なのははっきりとしているよ」


 茶をすすって顔をしかめると、饅頭に手を出す。こちらは美味そうに頷いていた。


「朝廷を支持する奴は栄転でもするのかも知れんな。わざわざここに来なくたって、どういう態度をとるかはわかっていたでしょうに」


「時間短縮の為だよ。ここなら多くの情報が集まっているし、発信も容易。何よりも陛下のお言葉を直接伝えたくてね」


「劉協の言葉?」


 湯呑を置いてすっと表情を引き締めると、背筋を伸ばしてこちらを真っすぐと向いた。


「『朕は約束を信じ、待っている』と」


「劉協……辛い想いをさせてすまん。必ず、必ず助けにいく!」


 目を閉じて在りし日の姿を思い浮かべる。回り道などせずに突き進んできて良かった、今になり再度それを痛感する。やはり時間を最重要の資源として扱うべきだな、これだけは何がどうなろうと代わりはない。


「何故かは知らんが陛下は君を大層強く信頼しているようだ。私は納得できるが、世の多くは不満があるだろう」


「どこかの誰かの不満なんてほっとけばいいんですよ。ではまず仕事を終わらせましょう。荀彧」


 ずっと傍で控えていたが、一礼すると馬日碇を見詰める。面識はあるからか、本題を切り出していく。


「確認事項がおありでしたらそれを先に、そうでなければご質問を頂けましたら幸いです」


「ふむ、そうだな。荀彧殿に聞いた方が案外すんなりと返答がありそうだ。そこの島将軍は、速やかに入朝する予定はあるかね」


 おっと、確かに俺の事なのに何故か問われたら荀彧の方を向いてしまいそうな内容だな。


「申し上げます。我が君は地盤を固め、陛下をお招きできる場を整えることを優先するでしょう」


 まあそんな話をしていたからな。話し合いで収まる可能性はあるが、やはり交渉事には武力が必要だ。その為には、州の一つでは恐らく不足する。


「承知した。ではこちらの展望を先に述べておくので、質問はその後ということで良いかね」


「お聞かせいただけますでしょうか」


「趙殿が西涼へ行っているのは監察だけではない。かの地の棟梁である、馬騰と韓遂に勅令を下すためなのだ。兵馬を整え長安に登れとな」


 ほう、さすが荀彧だ、見立てはズバリだな。


「それはどちらの公卿の方が立てられた計画で御座いましょう」


「ふっ驚くでないぞ、なんと陛下のお考えだ。それだけではない、呂布らを除くために李鶴、郭汜を指名して勅令を下されたのも陛下のご意志なのだ」


 あの劉協がそれをやってのけたわけか! 董卓よりも王允、呂布が与しやすく、それらよりも李鶴、郭汜の方がより与しやすい。そしてこれなら地方軍で追い払うことが出来るだろうわけだ。となると馬騰と韓遂の人となりだな。


「左様で御座いましたか。馬騰殿、韓遂殿について詳しくご存知でありましょうか」


「そうよな、馬騰殿といえば羌族の血が入っている偉丈夫。賊を討伐したり、逆に賊になり皇甫嵩殿に打ち破られたり。今は涼州の異民族を宣撫する偏将軍で、国家の支えになっておる」


 へぇ、そんな感じだったのか。韓遂が常に後ろについているってことは馬騰をより知っていれば、取り敢えずは判断出来そうだな。


「その馬騰殿でありますが、朝廷への忠義を見せているのではなく、権威や実態に対する平身でありましょう。益州の劉焉殿ともやり取りをしていると耳にいたします」


「うーむ、そうであったか。だが勅令を受け、入朝すれば顕官を約束されているならばどうか」


「恐らくではありますが、諸部族を従えてでも李鶴殿、郭汜殿と相対するでしょう。戦闘の行く末までは今は何とも申せませんが」


34

 決定打が足りないのか。涼州の周りはもう漢の版図から外れる、それだけに内部の裏切り以外では攻め込まれる心配は案外低い。一方で李鶴らは荊州からも益州からも増援は得られない、北部の併州だけは微妙だが、その地の多くは異民族だからな。ことを起こす前にきっと近くの劉虞にでも伺いを立てるだろう。というか曹操がいるんだ、そういう邪魔だてはするだろ、荀彧がやっているかも知れんがね。


「やはりか。そこでだ、帰り際に朱儁殿のところに寄って、入朝を勧めようと思っている。そこから直属の兵を帯同させれば、陛下の身の周りも多少は安全度が増すであろうとな」


 荀彧が何やら思案顔になる。朱儁か、あいつなら呼ばれたら内から変えるとか言って行きそうだな。


「通常の兵を連れて行って役に立つのか?」


「うん、それは指揮権のという意味だろうな。であれば残念ながら直ぐに取り上げられてしまうだろうが、それでも十日や二十日は使える」


 今はその延命措置を大切にしなければならない混乱期だからな、それはそれで有効な手立てなわけか。私兵を身の周りに置けるわけもないし、これは困ったものだな。


「近衛はどうなっているです?」

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