第368話
この前のお返しだと言わんばかりに郭汜は呂布の歩兵を突き崩しに掛かった。長安を軸にしての大乱戦は、張済らが攻めてきてからもう一週間を迎えている、城内でも必死に指揮をして防いでいるが疲れが見えてしまっていた。この大混乱、何起きても不思議はない。太陽が南中してから少し、競り合いが続いていたのにある一カ所で大歓声が起こったのだ。
「どうしたのだ!」
「将軍、呂布将軍! 大変です、南汀門が開門しました! 裏切りです、王方が裏切って門を開きました!」
「うぬぬぬぬ! あのガキが!」
王方は董卓の配下であった部将の一人、降伏して長安で従っていたが様子をみて有利な方に翻ったのは明らかだ。籠城している側の士気がみるみる下がっていくのが雰囲気で感じられた。馬を走らせると敵を切り倒しながら青瑣門へと駆けつけると上を確かめる。
「司徒殿、もう長安は守り切れません! ここは一先ず落ち延び、関所の外へ出ましょう!」
城楼で戦況を監察していた王允が呂布の声に気づいてその身を外へ晒す。兵士らもちらちらと見ては窺っている。
「我が願いは国家の安泰だ! それが叶わないようならば、生きていても仕方ない。この身がどうなろうと我は逃げも隠れもせぬ。者ども、敵を跳ねのけよ!」
王允の激励を受けて城兵が沸き立つ。ここで逃げるようならば自分も、と思うのは当然のことだ。だが王允の政治の方向性がどうであれ、国家を憂える気持ちは本物だ。清流派の士としての気概もあり、強気の姿勢を貫くと決めた。
「むむむ…………司徒殿、さらばだ! 血路を切り開いて離脱するぞ!」
呂布軍が長安から離れていくと、城兵は顔を蒼くして互いを見つめ合う。程なくして武器を捨ててその場に座り込んでしまう。城内に賊が大侵入を始め、あちこちで略奪や放火が行われた。内城へも賊が雪崩込んで来ると、朝廷も大いに揺れる。が、その時、数は少ないが揃いの朱甲冑を着込んだ近衛兵を従えた武将が皇宮を守備した。
「我は屯騎校尉李儒なり。今こそ皇帝陛下にその御恩をお返しするときぞ! 者ども、敵を防ぐのだ!」
阿鼻叫喚の地獄絵図が広がる長安城内で、唯一の聖域が作られる。甲冑に身を包み指揮を執っている李儒のところに侍中がやって来た。多くの公卿が戦死を遂げている、その者らすらも安全を確保出来ずにいたのだ。理由は李鶴、郭汜らが略奪自由を公言しているから。
「これは馬侍中殿、ここは危険ですのでどうぞ中へ」
「勅令である」
李儒ははっとして一歩下がると両膝をついて伏せた。
「屯騎校尉李儒の忠義を確かに受け取った。長安は今、厄災の渦中にあり助けを乞う者も多数存在している。その者らにも朕の名の下に恩恵を与えよ。一つ、越、歩、射の校尉不在の近衛兵への指揮を預ける。一つ、長安城兵への指揮を預ける。一つ、宮の衛を預ける」
「勅令確かに!」
一個部隊だけではどうにもならないが、近衛の統括を任され、城内軍への命令自由ならば或いは……その身に人生最大の責任を感じた時、伝令が駆け込んで来る。
「司徒様討ち死に! 王允様が李鶴と郭汜に殺害されました!」
もはや長安に秩序など無い、だが諦めることなど出来なかった。ここで自分が前に出ずにどうするのかと奮い立たせる。
「勅令が下った! 速やかに全軍に宮を守るために集結せよと下令せよ! 避難者は宮南部の前庭を解放する故受け入れの準備を。朝廷へ伝令を出し、将軍に招集をかけるのだ。朱旗を掲げよ!」
剣の柄に手をやると表情を引き締める。
「我は、我はこの時の為だけに在る!」
献帝を殺せと一時は命令を下していた李鶴、郭汜ではあるが、あまりにも防備が固いために命令を撤回して帰順するとして、董卓のように帝を保護する名目で利用することに方針を切り替えた。乱れに乱れた長安だが、李儒の指揮で何とか落ち着きを取り戻すまで宮は守られた。だが李儒は屯騎校尉を解任され、侍中・太学博士に転任となってしまう。
◇
192年秋の始まり頃
二百を僅かに切る騎兵を率いて、久しぶりに陳留南部に戻って来た。いやー、ちょっとした散歩のつもりが随分と経っちまったな。郡をまたぐや否や、直ぐに駆け寄って来る奴が居た。
「島将軍!」
「おう、どうした」
まあ、どうしたじゃないよな。さもいつも通りを演じる、あいつが相手なら小言を受けていただろうここにはいないんだよ。
「はい、荀別駕よりの言伝で御座います。お戻りになられましたら、速やかに小黄城へおいで下さいますようにとのこと。火急の用件が御座います」
「わかった、ご苦労だ。というわけだ、呼廚泉には悪いが郷には寄る時間が無さそうだ」
「構わずにどうぞ、戻るつもりはありませんので。直ぐに城へ向かいましょう」
ふむ、まあいい。さて何があったやら、このあたりの治安は上々で、収穫も見込めるな。俺は居なくてもなんの問題もない証拠だな。取り敢えずもうすぐ戻るぞという先触れを出しておいて、途中一泊して翌日午前中に帰還すると城主の間に直行した。椅子に座ると直ぐに荀彧が姿を現す。
「おう久しぶりだな」
「ご無事でなによりです。お疲れのところ申し訳ございませんが、幾つかお耳に入れておきたいことが」
趙厳と呼廚泉には軽く視線を送っただけで何も言わない。そりゃ報告の十や二十はあるだろうさ。
「聞こうか」
「ではまずは北方から。劉虞幽州牧の元へ行った曹操殿ですが、別駕に任じられ公孫賛殿と競り合いをしております。烏桓や匈奴、袁紹殿からの助力も得られ徐々に勢力を拮抗させている様子」
「あいつなら遠くない未来に打ち勝つだろうさ。放っておいても上手くやるだろ」
俺なんかよりも何倍も上手にな。なにせあの曹操だぞ、邪魔をしないとなんだかんだで中国を統一するまでグイグイと来るんだってのを俺は知ってる。
「青州の動きが鈍り、優位に推移しているとのこと。袁術殿が急に南方へ勢力を向けたのが原因とのことでありますが、何かご存知でありましょうか」
ご存知かってさらっときいてくるけど、色々知っていた敢えて訊ねてきてるんだよな。隠すようなことではないし普通に答えておくか。
「汝南を諦めて江南へ行ったらしいぞ。何でも汝南は防備がきつく、荊州も袁術が戻って来るのを好まなかったようだな」
「さようでございましたか、それは吉報。これで公孫賛殿が何か一つ大きく当てない限りは逆転は難しくなるでしょう」
「大穴だけ注意するならさほど厳しくはない流れだな」
実際はその隙を突いて来るんだから、気を許してはいけないぞ。
「次に済北でありますが、相が急逝し、現在楽輔殿が後任としてついて御座います」
「なんだって! すると荀彧の父親が?」
「父上は満足して逝かれたでしょう。後任については朝廷よりの任命で正式に官職についておられます」
ふむ、俺に任命権があるわけじゃないからな、それが正しい流れなんだろ。強引に自分の部下を刺し込むのは出来るが、そまでする必要があるか無いか。すべきだっていうなら荀彧がしてるだろう。
「そうか。他には」
「長安で御座います。早馬の報告によりますれば、司徒王允殿を始めとし、多くの公卿が李鶴殿、郭汜殿の連合軍と戦い戦死致しました。現在朝廷は両名の手で握られているとのこと」
「やはりそうなってしまったか……」
それが歴史ってやつなんだよな。予測することは出来ても、止めることはできない。もどかしいがそこまでの人物ってやつなんだよ俺は。
「宮へ賊が殺到する中、屯騎校尉李儒殿が奮戦し、陛下はご無事」
「あいつか! それにしても近衛だけで良くも守れたものだな」
僅か八百に減らされて、そこからまた分割されたとか聞いているぞ。居ても数百では何も出来ないと同然だろ。
「それですが、長安を守っていた王方が裏切り総崩れを起こしたところで、屯騎殿が宮の守りを固めました。そこへ勅令が下され、一時的に近衛、城兵、宮兵の指揮を預けられてのことのようです」
「そうか。劉協が思い切って判断を下したんだな、そして李儒もそれに応えた。無事だった我が友に喜びを、その忠義を示した者に感謝を」
荀彧らには解らないだろうが、席を立つと長安の方向を向いて敬礼をした。ありがとう李儒。
「その李儒殿でありますが、武職を解かれ侍中博士として陛下の傍にあるとか」
「仕方ないだろうな、栄転というやつだ。それに劉協としてはその方が安心だろ」
「李鶴殿、郭汜殿は官爵を大きく進め、長安を軍勢で攻めた張済殿、樊稠殿も公卿に進みました。裏切りの対価を得た王方殿は校尉と扱いが低いままではありますが」
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