第367話
「ほう、掎角の勢で御座いますな」
二人で話しているところに賈翅がやって来る、うんうんと頷いてはいるが言葉の意味は聞いてもわからない。
「それは?」
「片方が攻める時、もう片方は守る。そうやって、相手を翻弄し常に不意をつく側になろうとする試みで御座います。即ち、李鶴将軍が攻めようとして呂布が対応しようとしたら引き返し、郭汜将軍が反対から攻めかかる。呂布が攻めて来れば守り、その背後を別動隊が攻撃する。双方連携が確かであるならばこその戦法で御座います」
「なるほど、そういうことか。我等西涼騎兵、連絡が取れずとも連携は取れる。なあ郭汜」
「ああ李鶴。所詮呂布一人では暴れることしか出来ん、そのうち疲れて逃げて行くだけだ。その頃には長安はこちらのもの」
長年の戦友とは言葉もなく戦える、それこそが経験であり強さだ。賈翅はその点は心配していないが、長安を攻めとる二人が黙ってそのまま政権を奪うかも知れないことが気がかりではある。李鶴らにも知られないように一計を案じる、長安を攻め始める頃に敢えて呂布に情報を流してやろうと。
もし戦闘中に呂布がそれを知れば、慌てて長安に戻り二人の軍勢と戦うだろう。そうすれば長安を攻めきれない。そこで後方から李鶴、郭汜が攻めかかり呂布を排撃、その後に長安に入れば危なげない。
翌日、麓から進み出ると呂布の軍勢を前にして李鶴が「賊将呂布よ、貴様に勝ちはない、大人しく降れ!」うんと言うはずもないことを知りつつ大声を出した。すると呂布が現れ「いうに事欠いて賊とはな、それはお前達のことだ!」顔を赤くすると突っ込んできた。
予定通り李鶴は足止めの部隊だけを残して早々に後方へと駆けていく。
「おのれ逃げるか卑怯者め!」
罠とも知らずに、あるいはそうだと思っていても無視して突き進む。少数の足止めなどすぐに蹴散らし、グイグイと李鶴との距離を詰めて来る。
「御大将、ここは我等が! お前達、西涼騎兵の力を見せつけるぞ!」
側近の一人が騎兵部隊百を率いて左へ膨れると旋回して後方へ向かう、呂布が手にしていた方天画戟をぎゅっとしごいた。騎兵部将が四人前に出て呂布を睨み付けた。
「ほう少しは骨がありそうな顔つきだ」
「俺は李応、賊将はここで屍を晒せ! ゆくぞ武、遷、利!」
「応よ叔父御!」
四人で呂布を囲むように位置した、李応は李鶴の従弟、そして三人は甥っこらだ。李応と李武が矛を手にし、李遷と李利は馬上弓を持って構える。
「ふん、雑魚がいくらこようとものの数ではないわ! これでもくらえ!」
方天画戟が大振りで李応を襲う、かわすにかわせずに矛を打ち付けて守ると、鈍い金属音がして矛の刃が折れてしまう。
「この馬鹿力が! おい!」
周囲の騎兵が直ぐに替えの矛を放る、その間に攻められないように馬上弓で攻撃をすると李武が矛で攻めかかる。見事な連携で、まったく隙が無い。だというのに呂布もまた無傷で今度は李武の矛をへし折ってしまった。李応が騎兵らに目配せをすると、一斉に手槍を投擲、それをさばいている隙に呂布との距離をとった。
「貴様等も逃げるのか!」
「好きに言うがいいさ、お前は既に負けている! 退くぞ!」
唸りを上げて追いかけようとすると「将軍、呂布将軍! 後方に郭汜軍が現れ、歩兵団が攻撃を受けております、すぐにお戻りを!」かけて来る伝令の声が耳に入る。
「ええい正面から戦えんのか! 戻るぞ!」
山の中腹からその動きを見ていた李鶴がにやりとした。郭汜と戦いになるのを見越して、今度は少し迂回して別方向から攻撃を仕掛けてやろうと。そのような戦いが続くこと三日、呂布のところに矢が無数に刺さった騎兵が駆け込んできた。
「どうしたのだ」
「呂布将軍にお伝えいたします! 長安に賊軍が攻め寄せてきており、これを防いでおりますが長くは持ちそうにありません。何卒速やかに軍を率いてお戻りを!」
そうだけ言うと騎兵は気絶してその場に倒れてしまう。演技や偽物ではないことが伺えた。
「小賢しい奴らめが! 直ぐに長安へ戻るぞ!」
撤収準備をして、引き下がろうとすると今度は山中から李鶴の軍勢が攻撃を仕掛けて来るではないか。どうにもおちょくられているのではないかと感じてしまう。
「どうせ形だけの行動だ、無視して帰還するぞ!」
呂布の号令で軍勢が南西にある長安へ向けて移動を開始した。だが北側からは李鶴、南側からは郭汜の騎兵団が就かず離れずで矢を射て来るせいで被害が馬鹿にならない。頭にきて騎兵を繰り出すと直ぐに退いてしまうのだ。
「あいつらどういうつもりなのだ!」
「殿、これは計略の一種であります。ですが破る手も僅かに御座います」
「高順か、その手とは」
呂布が取り仕切る騎兵の中に、特に能力が高く忠誠が厚い奴が居た。同じ郡の出で、他に一族も殆ど居ない男で高順と言った。不正を嫌い、殆ど喋らず酒も飲まず、それなので実は呂布はあまりこいつが好きではなかった。人物がお堅いのだ。
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「この策は集団を操るものであり、戦いに勝つためのものではりません。騎兵を山中に伏せて置き、手を出してきたらこれをあべこべに側背から強襲するのです。そうすればあちらも守り切れずに敗退するでしょう。ですが一つ困難があります」
「ふむ、その困難とは?」
言われてみれば被害は少なく集団戦の結末を誘導されているように思えた。これ自体でどうにかしようというものではない、まんまと長安へ敵を通してしまった、こちらが主であろう。
「伏せる騎兵は少数になり、その打撃力が求められるという矛盾が」
「はっはっは! ならば問題あるまい、この俺がやってやろうではないか!」
普通ならば少数でと言われて怖じ気付く、何より可能であるだけの武才が見つからないのだが、呂布は全く問題なく高順もそれで平気だろうと考えていたから口にした。
「でしたら、この先の三険怜の山間に兵をお伏せ下さい。郭汜の軍が必ず姿を現すでしょう」
「よし、お前に軍の指揮を任せる。騎兵百は俺についてこい!」
不敵な笑みを浮かべて呂布はさっさと先へ行ってしまう。残された本部では高順が主座につくが、不思議とこいつも将軍と言われたらそう見えてしまう。実際は呂布の属官でしかないというのに。翌日、いつものように騎兵が射撃を仕掛けに隘路を縫って現れた。
「軍鼓手よ、大きな音を出し敵襲を報せよ」
高順は盾を翳して矢を防ぐように命令を下すと共に、山中へ響くように大きな音を出した。小一時間もすると、満足して郭汜騎兵が離れて行こうとする、だがここで異変が起こった、稜線の先から『呂』の軍旗を立てた百の騎兵団が現れたのだ。
「ははははは、もう逃がさんぞ! 俺と勝負しろ!」
狭い道を塞がれてしまっているので郭汜騎兵は大慌てになる、だが混乱を起こそうとするのを収拾させる者が居た。
「うろたえるな! 呂布、俺が相手だ!」
なんと騎兵団に郭汜その人が混ざっていたではないか。思考回路は呂布と一緒、自分ならばと部隊を率いていたのだ。矛を手にして駒を寄せ合い一騎打ちを始めてしまう。ところが郭汜はその膂力に押され気味で、騎兵が割り込んで何とか郭汜を逃がした。
「返せ郭汜!」
「うるさい、こんなところで匹夫の勇を競っている場合ではないのだ。退くぞ!」
別の道を見付けるとそこへ郭汜騎兵が逃げ去っていく。追撃を食い止めるためと、残った奴らが無残に討ち取られていくが郭汜は振り返らずに山林へ消えて行った。
「まあいい、残敵を殲滅しておけ!」
勝利を収めたので機嫌が良い、こういうときの呂布は鷹揚で、軍資を兵らに振舞ってやった。やられ気味だったせいで士気が落ちていたが、これですっかり元に戻ってしまう。やはり戦いに勝てば軍は強くなるのだ。
数日で長安外周が見えるところにまでたどり着いたが、呂布が渋い顔をした。大軍が長安に取り付いていて、あちこちで火災が発生しているではないか。
「あの旗は『張』『樊』ということは張済と樊稠だな、舐めた真似をしてくれている。長安を救うぞ、俺に続け!」
怒声を上げると呂布は先頭になり赤兎馬を走らせた、それを見た側近らが進軍命令を飛ばして自らも続く。長安を攻撃するのに必死になっていたせいで、張済らは背中から敵が迫ることに全く気付かない。
「な、なんだ? て、敵襲! 後ろに敵が居るぞ!」
あちこちで悲鳴が上がる、それを耳にしたが早いか背中を突かれて命を落とす者が多数。衝撃力を存分に奮う、呂布が抵抗しようとする部将を見つけては突っ込んでいき首を跳ね飛ばした。
「俺は奮威将軍呂布だ! 都へ刃を向ける賊共、全員相手にしてやるからそこから逃げるなよ!」
返り血で真っ赤にそまった呂布が大喝する。元から数に頼んで攻め寄せているだけの賊だ、その姿を見て震えあがった。
「りょ、呂布が出たぞ、逃げろ!」
獅子奮迅の活躍で、長安に押し寄せる敵を次から次へと殺していき、みるみる間に城壁に取り付いている数が減っていく。こうなればあとは一方的、と思っていたところに転機が訪れた。
「賊軍は貴様の方だ! 賊将呂布を討ち取れ!」
李鶴の軍勢が北から現れると呂布の騎兵に殺到する、これでようやくやる気を維持できる程度になったと思ったところで、今度は東から郭汜軍が姿を現す。
「これで袋のネズミだ、掛かれ!」
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