第365話

 あまりの衝撃に矛を取り落として手を押さえてしまう。


「韓浩殿!」


 四人の中年が慌てて矛を構えて詰め寄ろうとする。左右に二人ずつか、どれ。右に馬首を向けて左側に敵を見ると、一振りで一人を落馬させ、突きかかって来る矛の先を突起に引っ掛けて宙を舞わせてしまう。


「おお!」


 二人が向かってくる、左右に広がって挟みたいのは解るがどうかな。同時に打ちかかって来るのを真横に矛を振って跳ね飛ばす、が取り落とす程でもない。距離を詰めると穂先と石突きを使い、二人同時に打ち合いをする。赤兎馬が突如想定外の動きをして短い間、一対一の瞬間が出来上がると背中を強打してやる。


「ぐえぇ!」


 矛を拾った韓浩が参戦でまた二対一になるが、連携が出来ていないので度々位置が重なり単独になる、そこで中年の腹を衝いてやるともんどりうって落馬。もう一人も矛を拾って戻って来るも、すれ違いざまに直垂を引っ掛けられて落馬する。


「なんとしたことか! 貴様、何者だ!」


「なぁに、ただの汝南騎兵の世話焼きだよ。袁術軍がこうも弱弱しい将に率いられているとはお笑いだ。俺も飽きたから行かせて貰うぞ。これに懲りたら汝南からさっさと出て行くんだな、はっはっはっはっは!」


 大笑いで離脱する、これを追いかけるだけの勇気はなかったようだ。騎兵らも皆が笑って悠々と戦場を後にした。近くの郷に来ると汝南兵だと告げ、袁術軍の部将を倒してきたのを大げさに言いふらしてやった。後は農民が勝手に広げるだろうさ、帰り際もあちこちで吹聴して行ってやるとしよう。


「ん、どうした呼廚泉」


「いや、将軍の本気の腕前を見て心が震えている」


「そうか。だがな、俺では勝てない奴が居るのを知っているんだよ。そいつは昔の俺の部下で、兄弟で、親友だった。今はどこで何をしてるかわからんが、上には上が居るものだ」


 なあ兄弟、これほど長い夢でもお前を忘れたことは一瞬たりともない。どこかでひょっこり現れたりはしてくれないのか。


「そ、そのような方が! うーん、自分の未熟さを痛感しました。共に来て良かった、そう感じております!」


「得る何かがあったならそれでいいさ。周囲の警戒は任せるぞ、いいか」


「どうぞお任せを!」


 あけさせた小屋に入ると、わらの上に転がる。気取った何かなんて無くてもいい、必要なだけ今が満たされたらそれでいいんだよ。腕を枕代わりにして、目を閉じると、何とも気持ちよく眠ることが出来た。


 192年夏再び


 長安の王宮では俄かに騒然としていた。司徒王允の統治が始まり、奮威将軍呂布が朝廷で主座につき政治を運営しようとしている。そんなところに報告が上がって来た。幾つもの取次を経てやって来た伝令は既に顔に疲れの色が浮かんでいる。


「その方、何故この場にやって来たか」


 司徒の厳かな問いかけに、ようやく発言が許された。実に長安に辿り着いてから六日目の朝である。これでは速報だったとしても何の価値があるか。


「申し上げます、弘農で李鶴、郭汜らの逆賊が軍を集めております!」


 先だって呂布が五万の軍勢を率いて追い出してきたばかり、その時は意気地なく逃げ惑い、さっさと田舎へ引っ込んでいってしまった。城に残っていた董卓の親族千人以上を全て処刑し、蓄財を没収、半分を兵士に与え半分を国庫に納めたのはつい一か月前の話。


「愚かな、そのようなことをして何になるというのだ」


「ふうむ、だがそれが事実であるならば対処しなければならんのではないか」


「馬日太尉殿の言は正しい。首魁らははっきりとしておるのか」


 ひょうひょうとしてはいるが馬日碇とて三公の一人、ここでは大真面目な顔をしている。卿らも心配な表情を浮かべたり、怒りを浮かべたりしていた。


「はっ、李鶴、郭汜、張済、樊稠の四名が主軸となっております!」


 これといった官にいたわけではない、董卓の私兵でしかなかったような面々。主人を失い自暴自棄になっているのか、或いは……聞くのは悪行ばかりで良い噂など皆無。


「卑賊の代名詞といったところで御座いますか」


 司隷校尉の黄碗が汚いものに触れるかのような物言いをした。この場の多くが同感だったようで、大した奴ではないとの認識を持つ。


「侮るのは果たしていかがでありましょうや」


 与しやすい、そんな雰囲気の中で光禄大夫楊彪が釘を刺した。大名家の人物の言葉、これを笑う者は居なかった。さりとて身に染みたようなものも居ない。


「董卓の悪事に染まっている四人だ、大赦令が出て居ようと許しはせん!」


 司徒がこの調子なので、帰順させるのは難しいだろう。だが献帝は勅令を下している、帰順せよと。ここで国家の意志が割れた、ではどうなるか。皇帝ではあっても子供、実権はないとばかりに多くが司徒を重んじた。嘆息した馬日碇が小さく「すまんな、私では及ばん」天を仰いで誰かに詫びる。


「俺がその首をとってこようではないか」


 一人の男が進み出る、奮威将軍呂布その人だ。本来ならば末席に居るべき官位ではあるのだが、最前列に我が物顔で立っているのが気に入らない者は多い。それを口にするとか、顔に出すのかは別の話だが。


「おお、行ってくれるか奮威殿」


「任せよ、あのような小者など直ぐに胴と首を切り離してくれる! 李蒙行くぞ!」


 河内で働いていた李蒙を自身の部将に据えて良い気になっている。それはそれとして、長いものに巻かれるだけと李蒙は黙って従っていた。実はこの時、牛輔も別に軍を持っていて近くをうろうろとしていた。何をどうするわけでもなく、集団を保って居られたのは取り敢えずくっついていれば食うに困らないのと、牛輔が案外兵士に人気があったから。何せ理不尽に怒鳴ってこない、それだけでやりやすかったうえに、給金は送れたことなど無い。


 長安から呂布が五万の軍勢を率いて出て行ったとうわさが駆け巡ると、当然それは李鶴らの耳に入ることにもなった。


 弘農東で集まっていた李鶴と郭汜だがそこで不安になってしまった。ところが、討虜校尉賈翅が余裕の態度で現れると口を出す。今の今まで黙って様子を窺っていた、誰が董卓の後を継ぐことになるのかを見極めようとしていたのだ。


「司徒殿が将軍らを許さないと仰るならば、そのように弱気に引っ込んではなりませぬぞ。それではそこらの民にすら付け込まれ、寝首をかかれてしまいます。ですが! 佞臣を除くべしと叫び、同じ境遇の者らを糾合すれば十万の軍勢が揃いましょう。それで長安に攻めあがるのです。それで勝てば良し、負けるようならばその時に初めて逃げるのです」


「おお、なるほど! 賈翅殿がそういうならそうなのであろう。郭汜、どうだ」


「こそこそ逃げ回り、農民に殺されるなんて俺はごめんだ。なら正面から戦うまでだ李鶴」


「飛熊と呼ばれていた我等西涼騎兵が弱気でいたとは情けない! やるぞ!」


 傍でほくそ笑む賈翅、どのようにすべきかを素早く思案する。幾つかの腹案はあったものの、何故か尋ねられないので仕方なく自ら進み出る。そういう意味では董卓は必ず考えを尋ねてくれただけ人の使い方が上手だったなどと思いながら。


「将軍方、付近では牛輔殿がまだ兵を率いて滞在しておられると聞きます。これに使者を送り合同するがよろしいでしょう」


「おお、牛輔様がおいでだったか。そうだな、直ぐに使者を送れ!」


 賈翅は頭が痛くなってしまった、気づかれないようにため息を小さくつくと直ぐに制止をかけた。


「お待ちを。軍勢を揃えればこちらのほうが遥かに大軍になりますゆえ、将軍方が主軸となるべきでありましょう」


「うん、というと?」


 李鶴と郭汜が顔を合わせて首を捻った。まあそれも仕方がない、今の今まで騎兵の監督者でしかなかったのだから。今それがどれだけの価値を持っているかを理解出来ていないのだ。


「去りし日に献帝より帰順せよと勅令を賜りました両将軍は、言わば皇帝陛下のご指名を受けた実力者で御座います。兵力ともども名分もございますれば、小勢の牛輔殿を糾合し、上に立ちなさいませ。それだけの実力も時世も得ておりますぞ」


「我等が上に? うーむ、どう思う郭汜よ」


「確かに牛輔様ではちと心配があるな。それに賈翅殿の言うように、勢いは我等にある。どうだ李鶴、俺達で一旗あげようではないか」


「そうか、そうだな。よし、では牛輔様に使者を送り、我等が前衛なるように伝えよ!」


 これで考えていた通りになたっと密かに旨をなでおろす、意見を採り上げてくれれば充分、賈翅は次にどうすべきかを考えるのであった。それからわずか二十日とせずに、長安から出て来た呂布軍と対峙することになる。


 呂布はまず李蒙に歩騎一万を預け、長安東端、弘農の西端あたりで屯している牛輔を攻撃するように軍を仕向けた。将としての能力、特に戦闘で行けば李蒙の方が遥かに上。そのうえ兵力も多く、装備も良い。意気揚々として李蒙は真っすぐに牛輔軍へ向かって行った。


 ところが、このあたりに黙っていただけではない。要所を陣地化して兵らの休養も充分、攻め寄せて来る李蒙の軍を見ると自発的に兵が軍陣に入り、これを迎撃する。その間、牛輔は小さくなって震えているだけ。ここで負ければ全てを失う、そう理解していた牛輔兵が必死の抗戦を行うと、それを攻めきれずについに李蒙が撤退して行った。


 誰にとっても、牛輔にとってすらも想定外の結果になり、逃げかえった李蒙が呂布に敗戦の報告を行うと、顔を真っ赤にして大声を上げた。

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