第364話


 趙厳が身なりが違う騎兵に向かい突進した。一度だけ矛を交えると、その若い部将は腰を打たれて落馬してしまった。歩兵が駆け寄り守ろうとする。


「孫香様、お逃げください!」


 それに構わず趙厳は次の獲物を探すと、立派な体躯の中年を発見した。それが程普というのは今一つ不明のまま進む。矛を伸ばそうとすると、脇から叩かれる。


「貴様、中々良い腕をしているな。俺がこの部隊の将で偏将軍孫憤だ!」


 チラッと周囲を確認すると、部将が数人。一人では対抗しきれないだろうと、すっと距離をとる。なんだと睨まれていたが、反対から呼廚泉がやって来たので再度攻撃態勢をとった。


「者ども、敵を蹴散らすのだ!」


 呉景の号令で歩兵らが矛を突き出して来る、それを後続の騎兵が次々と弾いて趙厳らに手出しをさせない。呼廚泉と共に機を見計らい突出、護衛の騎兵が孫憤を守ろうと集まる。


「せぇい!」


 一人二人と驚きの突破力を発揮、だが流石に将軍にまでは届かない。それを後ろから見ていたら、少数の部隊がこちらに向かってきた。おやまあ、そりゃいるよな。


「よう久しぶりだな」


「恭荻殿! なぜこのようなところに」


「うん、色々あってな。今の俺は汝南従事の龍だよ黄蓋」


 手下の兵はわけがわからず黄蓋と俺を何度も見て困惑している。話位は聞いてるだろうしな。


「考えあってのこと、というわけですか」


「さあな、案外気分でやっているかも知れんぞ。そうだ、孫策は元気にしていた、ついこの前会ってきたんだ。相変わらず良い瞳をしていた」


「なんと若君に! ……宜しいでしょう、この黄公覆が一手所望!」


 矛をしごくと歩兵を後ろにやった。俺はそのままの姿勢で馬を進める。攻撃範囲に入った瞬間から黄蓋が鋭く突いてきたが、目を細めると左右にかわす。穂先を弾き、受け止め、そして石突きで胸を衝いてやると落馬した。


「黄蓋様!」


「よい、来るな! どういうおつもりで」


 止めを刺そうと思えば幾らでも出来たからな、それを黙って見ているだけ、言いたくもなるか。


「目的があってね。それに、これからだって言う時に黄蓋を奪っては、孫策が悲しむ。無傷はバツが悪いだろうから、アバラ骨の一本位は貰っておくがな。ではな」


 趙厳らのところにまでかけていくと「次の仕事だぞ!」大声で撤収を命じる。乱戦のある場所から騎兵が集団で離脱すると、地面に転がっている者の多さが目立った。


「被害は」


「軽傷者が五人です」


「こちらも同じだ」












32

 あれだけやって死人は無しか、まるでかの項羽のようじゃないか。中国最強の王、武神と言われて皆が納得する戦えば百戦して百勝、無敗のまま戦争に勝ち続けて自刃したあいつの部隊。


「あの丘まで行くぞ。そこで応急手当をしてやれ元化」


「はい!」


 騎兵を追い駆けて来る奴は居なかった、遠くから袁術の歩兵部隊が二千ほど近寄って来るがまだ時間が掛かるだろうな。傷口を酒で消毒して布を巻いてとめてやるなどの措置を行う。手早いものだな。孫憤らは負傷者を抱えて袁術の本陣へ逃げ込んでいったか、黄蓋が喋るかどうかは半々か。


「処置を終えました」


「おうそうか。負傷者が元化の護衛につけ、俺と同道だ。次の獲物はあれだな」


 ようやく丘の麓にやって来た歩兵部隊、旗印は『周』『恵』全く知らんな。相手が誰であれやるだけだがね。


「趙厳は左、呼廚泉は右の部将をやれ」


 頷くと二人とも一直線進んでいった。歩兵が固まり防御態勢をとったところで、ぐいっと膨らんで横をすり抜けて斜め後方から急角度で突入した。正面が一番頑強なので、弱い部分を突き進み、あれよあれよという間に旗が二本ともヘシ折られてしまい、部将が負傷して落馬した。


 いいぞ、あいつらは優秀だ。十人を率いて俺は先ほどまで孫軍が居たあたりに向かって行く、二つの部隊も追いかけて来た。中には印綬をしっかりと引きちぎって来た猛者もいたようだ。


「楽しい楽しい戦闘のようでなによりだ」


 そこでも下馬して負傷者を直ぐに手当てする。あまりの手早さに兵らも舌を巻いていた。


「薬草がこれで尽きましたのでこれ以上は無理です」


「そうか、ご苦労。ではさっさと終わらせて近くの郷にでも行くとするか。あの袁術軍の大将は『諸葛』らしいが知っている奴は居るか」


 懐かしいね、そもそも孔明先生の一族以外に諸葛はいるんだろうか? この頃はまだ子供だよな、するとあの叔父とかいうやつだろうか。


「それは袁術の主簿である諸葛玄でしょう。計算高い人物とのことですが」


「なるほど、あいつがそうか。洛陽では謀略を発したようだしな、だが諸般の事情があり命は取るなよ」


 孔明先生が頼る相手が居なくなるのは忍びないんだよ。完全なる私情だが、仕方ないだろ。


「流石に到達するのは厳しいと思われますが」


「趙厳殿の言うように、今までとは違い防御陣の中。突破はかなり困難では?」


 二人が言うように、城外の縄張りに陣取っている。簡単なものであっても柵があれば壊すか抜けるかしなければならない。飛び道具だってあるだろうし、正面からとはいかんだろうな。


「こちらの力を見せれば良いんだ、罵声でも浴びせて対抗出来ないなら帰れでともなじれば良いさ。出てきたら戦うし、黙っているようならそれはそれで構わん。汝南軍の良いようにやったと喧伝してやれ」


「ふむ、なるほど。そういうことでしたら何とかなるでしょう」


 罵詈雑言の用意はしなくても、幾らでも吐く材料はありそうだ。早速矢が届かないあたりで挑発が始まった。たまにわからない単語が出てくるが、それは異民族だからという感じなんだろう。小一時間ほど黙って耐えていたがついにそのままではいられずに部将らしきやつらが数人出て来る。


「諸葛玄がではなく、袁術が我慢ならんかったんだろうさ。それにしても若いのが混ざっているな」


 出てきたのは五騎、中年が四人に若いのが一人だ。ん? その若いのが進み出て来る。


「俺は騎都尉の韓浩だ! 口ぎたなく喚く奴らに勝負を申し込む、そちらからも出て来い!」


 ほう、あの若いのが主座というのか。うーん、確かに印綬を履いているな。あれで比二千石なんだから立派なものだぞ。いや、単独で種類によっては六百石だったか、まあどちらでもいいさ。


「趙厳、呼廚泉、ついてこい」


 三人で前に出る、陣営の方からの視線も集中してるのが感じられるよ。五人の顔を流し見るが、確かにあの若いのは顔つきが違うな。袁術の奴も人を見る目はあるってことか。


「俺は騎兵団の世話焼きだ、この二人が団の指揮官。二人が相手をする、そちらは五人でも構わんぞ」


「侮るなよ! だが手加減はしない、紀霊殿、雷薄殿、陳蘭殿、張勲殿、袁術様の敵を打ち倒しますぞ!」


 年長者への敬意も併せ持つか、いいぞこいつは。二人は名乗りをせずに黙って矛を携えて前進した。さてどうかな。馬を寄せて二対五の戦いが始まった。狭い場所で固まるわけにはいかないので、交互に出てきたりで二対一が二つ出来て、たまに人が入れ替わる形になる。


 ふむ、腕前は悪くはない。武官として充分な素質がある。だが猛将というわけではないな全員。趙厳も呼廚泉も落ち着いて戦い続け、たまに武器を打ち払って落とさせたりしたが、なにぶん予備の一人が居るので結局競り合うだけにしかならない。殺すなとも言ってあるしな、こんなところか。


「引き上げの笛を鳴らせ」


 激戦を繰り広げている二人を退かせる笛を吹かせる。気づいて武器を大振りすると、隙を見て下がって来た。


「ははははは! 逃げるかこの臆病者めが!」


「おのれ! そこで待って居ろ、今取って返すぞ!」


「まて呼廚泉。あいつらの大体の腕前はわかった、確実にお前の方が強い。言いたいように言わせておけ」


「むむむ、だが……」


 自分が強いとわかっていて引き下がるのは苦手か。追撃戦ではこいつは要注意だ、気持ちが勝ってしまうぞ。


「手加減しながら戦うのは難しいだろ、だがなこういうのが後々糧になるんだ。お前が優秀なのは俺が認める。今は堪えろ」


「あなたがそう仰るならば」


 抑えられないのを抑えることこそ、耐えるという意味だからな。成長が出来るならば、感情を飲みこめよ呼廚泉。にやりとして馬を進ませる。


「二人は手ごたえがないから飽きたらしい。俺が代わりに相手をしてやる。だが未熟者ゆえ加減をしくじるかも知れん。多少の療養生活は覚悟をしてくれよ」


「笑止! 貴様一人で何が出来るというのだ!」


「なに、直ぐにわかるさ」

 布を口に巻いて兜を被っているので人相はわからない、似てる奴なんていくらでもいるだろうしな。顔料一つで百面相だ。赤兎馬の腹を軽く蹴ると、韓浩へ向けて真っすぐに距離を詰める。突き出して来る矛を難なくかわして、真横から思い切り矛を叩きつけてやった。


「なに!」


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