第362話

 僅か五十ばかりの騎兵と、千の歩兵を率いた一団が鯛陽に到着したのは命令を受けてから二日後だった。先陣の橋随から連絡を受けて件の汝南騎兵団の位置を知る。伝令に話を聞いたのちに側近らと言葉を交わす。


「呉叔父上、どう思われますか」


 側近の中で一番の高官、最大の権力者であり個別に名声を持っている人物に真っすぐに問う。丹楊太守であるが、わずかな勢力とともに汝南へやってきていた。本来ならば考える時間を与える為に、下位の人物に尋ねた後にすべきではある。


「橋随殿を始めとした三方は、いずれも武の道を行く人物です。それらが一介の騎兵に敗れたとは考えづらいですが」


 太守とはいえ在外ではさしたる権限は無い、これまた袁術の策略の一つ。それにしても何せ情報が少ない、常識的な線で疑問を投げかけてみた。皆も頷くが、これといった答えが出るはずもない。


「偵察を出してみるべきではござらんか?」


 年長者である程普が、ここは慎重に行動すべきだと提案する。父の代からの知恵袋として発言力を持っているので、これをおいそれと却下するわけにはいかない。といっても偵察をしないつもりもなかったので、素直に頷く。


「そうしましょう。韓当、李術らに様子をさぐらせるのだ」


 命令を下すと、伝令を見送る。遅くとも二時間のうちには戻って来るだろうと、兵馬を休ませるようにも命じた。下馬して岩の上に腰を下ろすと、周りに部将らが集まって来る。


「程公、浮かぬ顔ですな」


「公覆よ、お前はどう思う。ただの騎兵がこうも武功を上げたというのを」


 近くに来た黄蓋にそう投げかけてみた。二人の間柄は友人、互いの為に命を張れるくらいの。腕組をして唸ると「そうですな、その騎兵が偶然に若君のような人物で、まだ名を知られていない若者というのではどうでしょうか」これからの者らだと。


「確かに若いのが二人で中年が一人と聞いている。しかし、若君か。お元気にしておられるだろうか」


 それが孫策を指しているのは言葉を添えずとも通じた、孫憤を嫌っているわけではないが、やはり本筋の主人は孫堅の子だと思っているのだ。


「なぁに、今は時機を待ち伏せているだけでしょう。必ず若君は立たれますぞ」


「そうか。そうだな。それまでに危険がなければ良いが」


 歯切れ悪く心配を口にした、そうすることで現実にならなければ良いがと懸念しながら。黄蓋があたりを見回し、程普のすぐ傍にまで近寄ると、声を小さくする。


「若君の周囲には、人がついておりますのでご心配なく」


「なんとまことか。だが何者が?」


 孫堅の軍閥は、まとめて全てが孫憤の下につけられて袁術のところに留めおかれている。名の有る人物は残っていないし、自由になる兵もない。何せ生活費すらままならないのだから。


「冤州の恭荻殿でありますぞ」


「おお、かの御仁か! しかし何故そのような?」


 自身の配下ならば別だが、縁はあっても全くの他人、それを庇い立てするようなことが出来るほど、今の情勢は甘くはない。自身の子すら飢えさせてしまうような厳しい時代だ。


「あの方であれば、己がそうしたいからそうした、とでも仰りましょうな。実際のところ、冤州に来るならば歓迎すると、或いは自らの足で立つならばそれを応援するとも。いずれ国家の為に働くであろう若君を信頼してくださっておりますので」


「なんと、なんと立派な人物なのだ。先の孫将軍とも気脈を通じられておいでだった、無事でいてもらいたいものだ」


 轡を並べて話している後ろ姿を思い出す。もう見ることが出来ない景色だと思うと、寂寥感がこみ上げてくるようだった。暫くすると韓当らが戻って来た。部将らが集まると、耳を澄ます。


「申し上げます。汝南騎兵の一団が、この先の剣山に駐屯しております。数は二百程、二つ気になる点が」


「なんだ韓当、その気になる点とは」


 呉景が孫憤の代わりに指摘する、大将はおいそれと言葉を発さないものだとばかりに。配下の言葉ならいつでも遮ったり反対を述べることも出来るから。


「それが何故か半数ずつ装備が大きく違うのです。役割による武装の違いというよりは、別の集団が集まったような」


 皆が目線をかわした。装備を統一するのは官軍であったり、一人の主人を持つ者らの証とでも言えようか。それが完全に別で二種類というならば、事実別々の騎兵が合同しているだけだと考えられる。


「呉殿、汝南各所から招集した騎兵というわけではなさそうですな」


「ふむ、程普もそう思うか。韓当よ、旗印はどうであった」


「それが『汝南』すら見当たらずで。無地の黒旗のみでした」


「賊でもあるまいに、軍旗なしとは一体」


 己の名声を高める為に、何処の誰かを知らしめるのに軍旗は必須の道具だ。それを示さずに命だけかけるのは、軍旗を認められなかったものか、誰かを知られたくないか。


「してもう一つは」


「それですが、遠めでも解るほどに異民族の者らばかりでした。恐らく二つの部族が合同しているのでは?」


 異民族と言われて得心いった部分もあった、それは腕の立つ人物が無名ということ。


「食い詰めの烏合ではない以上、正体を知られたくない何者かが汝南に加勢しているということでありましょう」


「今の段階ではそこまでしかわからぬな。孫将軍、いかがいたしましょう」


 呉景は孫憤を孫将軍と呼ぶ。豫州刺史の印綬を袁術に差し出した際に、代わりに偏将軍の印綬を奏上されていたから。号すらない亜将軍ではあるが、正式な官職なことに違いはない。謹んでそれを拝命していた。


「無論一戦する。だが考え無しに進めば手痛い攻めを受けるであろう。一つ絡め手を織り込みたいが、何か案はないか」


 相手を甘く見ない、出来るだけの準備をする。部将らは満足いく方針を耳にして、何が出来るかを思案した。暫しの無言の後に、程普が一歩進み出るのであった。


 剣山の一角に小川が流れ、見晴らしの良い中腹の地があったのでそこに滞在している。袁術の行動が想定通りで今のところは待つだけ。


「偵察は無事に戻って行ったか」


「はい長……従事殿。今までとはまた別の部隊の武兵に見えました」


 正体を隠す意味で従事の印を見えるようにぶら下げているので趙厳もそれに合わせる。『汝南』の軍旗は持っているが、まずは黒旗だけしか見せていない。誰かが確認しに来るかもしれないので、それを一つの機会ととらえて。


「最初にぶつかったところの部将らは、全員負傷させたからな。後方からの奴らだろ、な呼廚泉」


「弱将には弱兵でした。今度のは少しは腕を振るってもらいたいところ」


 異常な強さの集まりなので、そういった強気発言も含み笑いで受け入れられてしまう。まあいいさ、こいつはそういう性格ってことだ。


「それで趙厳、こちらから追跡を出しているよな」


「無論そうしております」


 偵察に来た兵が居るならば、当然それらはどこかに情報を持って帰る。つまり追いかければ本陣がどこにあるかがわかり、こちらから探し出す手間が省けて宜しい。


「ただ勝つだけなら夜襲でも良いんだが、それでは汝南軍の強さが解らんからな。明るい時に正面から挑むとしよう」


 あまりにも相手を馬鹿にした発言だ、それで士気があがるのだから仕方ないが。元化は難しい顔をしてしまっている、そんなのは彼一人だけではあるが。


「戻ってきたようだぞ」


 言われて南を見詰めるが、全くわからなかった。それから暫くすると、豆粒のような騎兵を認識出来るようになる。おいおいどれだけ遠くが見えてるんだよ。待っていると騎兵が二人やって来る。

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