第361話

「逆に言いましょう。公孫賛と側近の騎兵以外は凡俗です、ゆえに苦しくなれば公孫賛が動きます。そこで、やつの居ない城を攻め立てるのです」


 白馬を集めた騎兵団、白馬儀従と呼ばれている部隊は極めて優秀で、公孫賛自身と共に名をとどろかせていた。それらが現れて正面からぶつかれば被害が出るのは必至。そこでそれ以外の奴らが陣取る城なりを奪えば良いと提案してきた。


「ああ、ふむ。それは道理だ。いま公孫賛は何処に?」


 その質問は魏攸へあてられたもので「啄郡は啄県に居座っております」居場所を特定する。近辺で一番の大城であり、ここと薊、漁陽の三点を一直線で結んでいるのが防衛ラインであった。


「具体的にどのようにする」


「公孫賛の後背地、漁陽郡と広陽郡の南部を衝きます」


 安次県、泉州県が冀州との境界線。かといって曹操らが居る城からは洛陽から潁川程の距離がある。


「別駕殿、ここからそのような場所に攻め入るのは、非常に困難かと」


 魏攸が言葉を挟んで来る、そのような指摘が無くとも全員が理解してはいるが。視線が曹操に集中する。


「ん、ああ。志才、程立が言いたいことはわかるだろうか」


 細い身体の若者に声をかける、それが何者かを知っている者は劉虞の幕僚には誰も居なかった。曹操の配下も未だに良くつかめないでいる。


「渤海郡の隣で御座いますね」


 ニヤリとする曹操、それを耳にした多くが感付く。渤海太守の名を思い出した、袁紹という名を。曹操は劉虞を振り返ると拱手して目を覗き込む。


「献策申し上げます。渤海太守袁紹に使者を送り、公孫賛の後背を衝くよう要請なさいませ。さすればこの状況を覆せるでしょう」


「うむ、なるほど。わかった、では別駕に人選を任せるゆえ策を実行に移せ」


「御意」


 それから数日の後、程立が袁紹を説き伏せ対公孫賛の連合を作ることになった。その動機の大きな部分は、己の領土を拡大させる良い名分が舞い込んできた、というものであった。


 汝南郡南西の県、陽安に袁術は居た。荊州から打って出て、順調に汝南郡の半分を占拠して今に至っている。あと僅かで郡都の平興に進もうかというところだ。伝令が駆け込んできたが、出入口で差し止められてしまう。


「諸葛玄よ、何があったか」


「ただ今見てまいります」


 反董卓連合軍の際に、見事に孫堅を罠に嵌めて側近の地位を手にした諸葛玄は、現在主簿として後将軍府の事務を担当していた。軍務に関しては部将が多々いるが、どうしても知恵というところでは袁術は物足りなさを感じている。その中では成功率が高いので、重宝していた。


「これ、何事だ」


「諸葛玄様、大変でございます!」


「だからどうしたのかと聞いておるであろうに」


 慌てている様子の伝令を前に眉をひそめる。いきなり喋りだしたらそれはそれで叱責するだろうことはすっかりと忘れてだ。


「鯛陽方面へ行っておられる橋随様が負傷して引き揚げてまいりました! 現在、新蔡城にて待機中とのことで御座います!」


「なんと! ついて参れ」


 伝令を伴い袁術の目の前にまで戻ると両手先を胸の前で合わせて段上を仰ぎ見る。


「袁後将軍、問題が発生いたしました。橋随が敗戦し後退しております」


「なに? どういうことじゃ」


 繰り返しになるが構わずに伝令に事情を説明させる、ここに来るまでにもう三度も同じことをしてだ。ようやく袁術の耳に入った頃には随分と昔の話になってしまっている。


「どうやら汝南殿が軍を向けて来たようでございますな」


「ふむ、しかし橋随には五千の兵を預けてあるのだぞ。徐汝南のところにそのように強力な部隊はあったか」


 戦は数で行うもの、文官の域を出ないのに袁術は武官の最高峰である前後左右の将軍号を履いていた、その血筋ゆえに。誰もそれを指摘などはしない、そういうものだからと。


「汝南には智謀の士は居ても、そこまで戦が上手な者が居るとは伝え聞いておりませぬ。これ、詳細を聞かせよ」


 黙っていろと言ったくせに今度は喋るように急かす、伝令もそういうものだと信じて疑っていないので気を悪くはしない。


「李豊様、梁綱様、楽就様の三方が前衛を率いて鯛陽城に迫ろうとしたところ、城から二百ほどの騎兵が出てまいりました。単身駆けて来た騎兵にそれぞれが落馬させられ、後方にいらした橋随様のところにまで一騎が辿り着き、一太刀負わせたものです」


「うん、すると三人の豪傑が居たと?」


「はい、三騎がすこぶる強く大暴れをしておりました。ですが騎兵指揮官は別にいるようで、百ずつに分かれて行動をしておりました」


「べ、別に部将が居るというのか! 袁後将軍、これは一体」


 彼等の頭では高位の人物になればなるほど安全なところで指揮を執る。単騎で駆けるなど、下っ端の所業でしかないのだ。実際のところそれが正しいのでこうもなってしまう。


「橋随までもが負傷するとは、誰を差し向けるべきだろうか」


「……それでしたら、孫堅の残党を当てられはいかがでしょうか。対抗出来ればそれはそれで良いですし、痛い目を見るのもまた宜しいかと」


 孫堅の残党、今は孫憤が筆頭として袁術の配下に組み込まれている。兵は千人程と少ないが、戦闘能力は高い。袁術の陣営内だけでなく、恐らく他所と比べても優秀。だからこそ出る杭は打たれてしまう。


「なるほど、確かにそれならば良いな。これ、直ぐに孫憤に命じ、一戦してくるようさせよ」


「御意」


 自身の腹は痛まず、どちらに転んでも良い案を出した諸葛玄、また側近としての覚えが良くなる。段下の先頭で黙ってそれを見ている袁胤が去っていく諸葛玄の姿が完全に消えたあたりで中央に進み出た。


「どうしたのだ仲績」


 落ち付いて声をかける。それは諸葛玄に駆けたような上司と部下のそれではなく、どこか優し気な声。


「従兄様、一つ申し上げたきことが」


「おお、なんだ申せ申せ」


「孫軍閥のことについてで御座います。確かに勝とうが負けようが我等は痛みはしませぬ、ですが撃退されたのが続けば麾下の軍に不信が広がるやも知れません」


 負けが続けば心が離れてしまう、勝ち続ければ幾らでも人が集まるのと反対なだけ、当然の懸念だと頷く。


「そうであるな。ではどうすべきだと思うのだ」


「劉勲に命じ、平興を攻撃なさいませ。さすれば局地で勝とうと負けようと関係御座いません。孫憤が勝っても取り上げず、負ければその責を問うのです」


「ほう、戦略的な価値を失わせるというのだな。良いぞ仲績、では劉勲に兵五千を増援し、一万で平興を攻めさせよ」


「畏まりました従兄様」


 一事が万事宮廷闘争のようなことをする、何故ならば袁術がそういう思考が好みだから。主人がそうであるならばと配下もそれに合わせてしまう、発展的かと言われたら疑問しかないが。手配の為に袁胤も目の前から消えた、そこへまた別の使者がやって来る。


 参軍の閻象が使者の話を聞くと、それを伴い目の前に立つ。今日は随分と忙しいものだなと袁術が唸った。終わったら休もうと思いながら。


「将軍閣下、凶報に御座いますぞ。荊州は屠陽で何者かが蜂起し、南陽との連絡が断たれました」



「なんとしたか! 蜂起とは、黄巾賊の類であるか?」


「いえ、黄巾は掲げていないとのこと。在地の賊徒と思われますが、軍兵はこちらに引き連れてきておりますので、南陽ではどうにもし難いかと」


 どうしたものかと諸葛玄を探したが、先ほど送り出したばかりだと直ぐに気づいた。仕方なく「閻象よ、どうしたらよい」目の前の男に尋ねる。自分で解決策を探さないのは悪いことではない、他者の頭脳を使い判断だけすればよいのから。


「こちらは汝南の平定をしなければなりませぬ、ゆえに荊州のことは荊州ですべきでありましょう。劉荊州に要請し、治安維持に努めるようにと伝えてみては」


 閻象の言はもっともであったが、袁術は気に入らなかった。どこがというと、州刺史ごときに要請しなければならないことが。そう、彼は命令したかったのだ、表現が納得いかなかった閻象の言い方が。正しいというのに。


「領地もまともに治めることが出来んとはな。お前がやっておけ」


「畏まりまして」


 一気にご機嫌斜めになったので、段下の者達は無表情で視線を合わせずに前を向いて立ったままになる。音が聞こえなくなったので袁術が「儂は休むぞ」そういって席を立つと、皆が向き直り頭を垂れた。

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