第360話

「袁術が汝南から引き下がる状況を作ることが出来ます」


「……と言いますと?」


 注目を浴びて少しだけだがタメを作る。興味はあるならば、あとは持って行き方次第だな。


「南陽を拠点にして汝南へ侵入していますが、もし荊州へ戻れなくなり策源地が途絶えたらどうでしょうか?」


「おお、それはいいな! 兵を安定的に養うだけの根拠を失うわけだ。だがそのように上手くいくだろうか」


 徐蓼殿は慎重だな、控えめというかなんというか。一方でこっちのおっさんは感情が激しい、わかっていればやりやすいが暴走したら誰にも止められんぞ。


「今の荊州刺史が、望まない客が留守の間に州境を封鎖すれば、もう戻れはしません。その隘路である屠陽で、とある独立勢力が往来を差し止めます。その不埒者は荊州の支援を受け、冤州や豫州の民からの助力も得て強固に連絡を断ち切るでしょう」


 余裕の笑みで不穏な台詞を吐いてやると、許昭は面白そうに笑った。徐蓼殿は困ったような表情を浮かべてから、何か達観したようになる。


「行き場を失った軍勢が、汝南をその拠り所にしようと展開してしまうのではないでしょうか」


「確かにそうなれば汝南を攻め取ろうと考える可能性はあります。が、北上しようとするか南下しようとするか、どちらを選ぶかは今の時点では決められません。より確度の高い選択をするでしょう」


「すると汝南が与しやすいと見れば汝南を、そうでなければ江夏や盧江方面へ行くわけか。江夏は荊州殿が守りを固めるだろう、盧江ならば太守の補任も未定で邪魔もされない」


 そうらしいぞ、太守不在なんてあるんだな。実際には任命したは良いが赴任前に病気で帰郷したとか、辿り着く前に賊に襲われて命を落としたとかだがな。


「盧江の民は官軍を必要としている、ならばそちらに行くように誘導してやれば良いというわけで」


「なるほど、それならば納得行きます。して、誘導するとは?」


「ただ策を弄するだけならば、私がここに居る必要はない、そうは思いませんか」


 口の端をつるし上げると挑戦的な目で二人を見詰めてやる。すると二人は互いを見合わせて笑った。


「伯龍殿は変わりませぬな」


「それでこそ武将というもの。あの時より遥かに腕に磨きがかかっておいでだろう!」


「名乗りはしませんよ、汝南の部将の一人程度で見てもらうつもりなので。汝南の軍旗と従事の印綬、それに道案内が数人居れば、袁術軍の奴らと矛を交えてきましょう」


 良くわからんやつに押しに押されたら、汝南と争えば苦労をすると悟るだろうさ。もし島介が出て来たとなれば、政治闘争に持ち込まれかねないから要注意だぞ。ピエロ再びだな。


「頼らせて頂きます。ですがそれでは伯龍殿には何の益もありませんが」


「ありますよ。劉協の国が僅かなりとも良くなる。友人としてそれだけで充分です」


 二人は再度顔を見合わせると、拱手して頭を垂れた。きっと徐蓼殿の望む未来は、俺のものと方向性を同じくしている。もう貧乏くじを引かせはしないさ。


 192年夏の終わり。 

 上谷郡の今の都、啄鹿県に曹操一行はやって来てた。軍兵三千と軍糧を携え、途中韓馥のところに寄ると事情を話し、武装と軍資金を融通してもらってだ。許しを得て募兵をして数を五千に増やし山中に入ると余りに人里離れた景色に愕然とした。


「孟徳、ここは本当に郡都なのか?」


 騎馬したままあたりを伺い、人間の姿が少ないのに落胆する。夏侯淵は人間を監督するのを得意としているのであって、大自然を相手にしても何の強みもない。


「ああ、んん。漢の版図は広いのだ、このような地もあろう。妙才であっても、ここではどうにもならんか?」


「うーむ、中央には無い立派な木材や野生動物が収獲出来るだろう。それを牛馬を使い送り出す、補給地としての魅力を引き出すというならば」


「うむ、おお。そうだ、その場にあって最善を見極めることこそ肝要だ」


 実は曹操もがっかりしてはいたが、それを言ってもどうにもならない。行くと決めたのは自分なので、嫌でも前向きになるしかない。先触れを出していたので城へはすんなりと入ることが出来たが、住民よりも兵数の方が多いのではないかという驚きだけは隠せずにいた。


「ああ、曹孟徳参りました。劉幽州殿、いや大司馬殿と呼んだ方が?」


「入朝はしておりませんので幽州牧と。よくお出でになられた、歓迎いたしますぞ」


 柔和な物腰で気品が溢れる人物、皇族の劉虞。対面した瞬間に、上に立つ人物としての素質を持っていると曹操は感じた。だがその能力の程はどうだろうか、幽州の山に追い込まれてしまっているので、戦略的な能力は高いとは言えなさそうだ。


「必要とあらばこの孟徳、漢のどこへでも参りますぞ、はっはっは!」


 左右の列には十数人の男が並んでいて、文武共に半々。パッと見たところ出来そうなやつは三人だと目星をつけた、前列に席次を占めているのを確認してから己の幕下を紹介した。三十代の男二人と、二十代前半だろう一人、その者らの紹介を待つ。


「東曹掾である魏攸殿、軍従事の鮮于輔殿、文従事の田疇殿です。以後は曹操殿を別駕従事として州の補佐をお願いしたい。引き受けていただけるだろうか?」


 その場にいる全員を抜き去り、突然次席を命じられる。従事や県令などならばやりづらいから抗議しようと思っていたが、これ以上ない待遇に曹操は満足する。


「謹んでお引き受けさせて頂きます。早速ですが所見をお聞かせ願いたい」


「引き受けて頂き感謝いたします。魏攸殿、頼む」


 一歩前へ出て劉虞へ拱手して後、曹操へ向きなおり同じくする。魏攸は幽州の右北平出身であり、異民族とも交友を持っているために色々と詳しかった。


「畏まりました。それでは別駕殿へ状況を報告させて頂きます」


 一礼して後に、後方の曹操の部将らにも目礼をする。実のところ現在、曹操と夏侯惇以外は正式に官職を持ち合わせていない。というのも太守だった曹操の属であったものらが、全て失職している状態だからだ。一時的なこととはいえやりづらいのはお互い様だった。


「まずはこちらの支配地でありますが、代郡、上谷郡、広陽の三郡のみ、住民は凡そ五十万ほどです」


 僅かながらも落胆の声が聞こえて来た、曹操の背中から。それがどれほどのものかというと、今まで治めていた東郡一つよりも人口が少ないのを意味していた。東郡は六十万、陳留郡は八十万の人口を抱えている、潁川は百四十万だ。


 これから三十年、四十年かけて戦乱が続き、次第に戸籍に載っている人口が激減し、四分の一ほどになってしまう。死んで消え去るわけではなく戸籍から外れた流民になるだけ。徴兵はされないけれども保護も受けられない、不安定な存在。


「ああ、はぁ。東の端まで含めれば、公孫賛はその三倍は支配している計算ですな!」


 漁陽郡、啄郡、が主でそれだけで百万人になる。遼東属国、楽浪、玄兎、遼西、右北平、などは全てを合わせても五十万になるのかならないのか。いわゆる土人と呼ばれるような、国家に属さない人間が住んでいるだけだ。


「極めて劣勢ではありますが、烏桓や匈奴、鮮卑などの異民族が劉虞様に好感を持たれているうえに、公孫賛には敵対心を持っているので、直接戦うことになれば協力を得られる見込みです。その数、凡そ十万」


 曹操は目を細めた。確かに異民族の兵が共に戦うことはあるだろうが、地力で劣っていることに違いはない。それをどうひっくり返すかと言えば、土地を取り戻すしか方法はない。
















31

「力を借りたいときに借りられるのは一種の才能。ですが、借り物なことに変わりはない。程立ならばどのようにこの窮地を解決するだろうか」


 知恵を出せと、幕僚の参謀に声をかける。大男は腰を折って劉虞の部将らを見渡す。これと言って大それた何かを成し遂げられるようなものは居ない、ならば誰にでも出来る動きでこれを成し遂げなければならない。そのうえで異民族の協力は無しでだ。


「公孫賛が軸になり、皆が集まっている状態であります。これを除けば空中分解するのは間違い御座いません」


「あぁん、うん。それはそうだ、では除けるとでも言うのか」


「公孫賛自身も腕が立つ上に、騎兵も優秀、そう易々とはいきますまい」


「ではどうする」


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