第359話

 罵詈雑言ともとれる言葉が幾つも飛んでくるが、趙厳は至って冷静だな、いいぞ。チラッと後ろを見て文武のやつらの顔を確かめるが知ってる奴は並んでいない。印綬を見ても銅印黄綬が精々で、青紺綬が殆どだな。許昭のおっさんは黒綬何だから前にも立つわけだ。


「悪いな、こちらにも事情があってな」


 再度騒ごうとしたのを見て許昭が「凡俗が喚くでない。お前ら等いくらいてもこの伯龍殿には敵いはせん。お久しぶりですな」にこやかにそんな声をかけたのを見て諸官が驚いている。というのも無愛想で高飛車でという態度がデフォルトな奴らしいからな。


「先だっては黙って行ってしまい申し訳ありませんでした。何とも居心地が悪かったものでして」


「ははは、結構結構! そのようなことは何一つ気になさるな。私と貴殿の仲ではないか」


 うーん、それは否定したいが黙っているとしよう。いったいどういう仲やら。まあそれはいいか。


「伯龍殿、よくぞ来てくれましたな。ご事情は少なからず理解しているつもりですぞ」


「そう言って貰えたら幸い。名の知れないどこかの誰かが少々話を持ってきましたが、もしお聞きになるのでしたら場を移しましょう。そうでないならば、私は黙って去りましょう」


 こういうのは相手の意志というのが大切だからな、余計なお節介はするなってことなら放っておくべきなんだよ。会話の意味が理解出来ないと大勢が厳しい注目をしてくる。


「貴殿はどこを向いておられるだろうか?」


 どこを、か。昔なら劉協だけだったが、今は劉協と国が一体だからな。あまり仰々しいことはいわんぞ。


「西の友人と、その友人の国を」


「……色々と話は耳にしております。詳しく聞かせて頂けるでしょうか?」


「むろん、その為に私はここに在ります」


 徐蓼が立ち上がると階段を降りてきて目の前に来ると拱手したので、同じようにした。我々は対等であるという意思表示だな、国家の為に隔たりはないってことか。その前に少しやっておくべきことがあるな。


「さて、突然やって来て不満で一杯の者が居るだろうから運動でもして発散させるべきだろう。この場で軽い手合わせでもしたらどうだ、趙厳」


 苦笑する徐蓼と上機嫌の許昭、そして無表情の趙厳に、怒りの表情の武官たち。中央に場を設ける為に皆が壁に下がっていくと、三人の中年武官が進み出て来た。顔と歩く動きを見た限り、さしたる能力ではないな。


「お前の好きにしろ」


 勝手に始めさせたくせに丸投げする、あいつも大きく頷いているがね。


「初めまして、趙厳と申します。手合わせの相手を務めさせていただきますのでどうぞお見知りおきを」


「ガキが何様のつもりだ!」


「時間が惜しいので文句は全て自分にぶつけていただければと思います。どうぞ三人同時にお相手を」


「はぁ? 舐めてるのか小僧が!」


 趙厳は腰の剣を鞘のまま片手で構える。同じように武官らが剣を持って囲んだ。やる前からこうも結果が見えるのは良いのか悪いのか。懐から銭を一枚取り出すと、軽く放ってやる。金属音を響かせて床に跳ねる。瞬間、趙厳が一気に目の前の男との距離を詰めると、腹に突きを入れた。


「ばかな!」


 速やかに二人が迫って来るが、一直線に並ぶような位置取りをすると一対一を瞬時に作りだし脇腹を殴打。残る一人が打ちかかって来るのを半歩下がってかわすと、首筋を叩いてやった。


「ぐぇ!」


 あっという間に三人が床に転がる、文武の官らが唖然とする。


「うちの若い奴が世話になった、良い訓練に感謝する。さあそれでは行きましょう」


「ははははは、将来有望な若者ですな! 身の程を知らぬ凡愚は以後頭を低くして生きておれ!」


 許昭のおっさん、いつか刺されるぞ、知ったことではないがな。このまま去っては徐蓼殿に迷惑がかかるな。


「趙厳、お前はここに残り情報を収集しておけ。話す範囲は一任する」


「御意」


 余計なことまで喋りはせんだろう、ここで大きく感覚がずれるようなら、まあその時に考えるとしよう。連れだって三人で別室へと行くと、座が用意されていて酒も置かれている。


「お騒がせして申し訳ない」


「腕のたつ部将は現在、郡の警備に出ておりましてな。お恥ずかしいところをお見せしました」


「雑魚ほど吠えるものだ、気にするでない伯龍殿」


 この二人が友人同士というのは、徐蓼殿の穏やかな性格のたまものだ。ちょうどあれだ、馬謖と向朗という組み合わせのようだな。


「その汝南の警備ですが、南部に袁術が侵入し影響力を強めているようですが」


 白い髭をしごいて、ふむ、と一拍置いて頷く。隠し立てするようなことでもないし、認めようがどうしようが今さらだ。


「どうしてか、漢の者同士がいがみ合うようなことに。悲しいものですな」


「ふん、あのような輩は国賊と呼ぶのだ。徹底抗戦すべきだと私は言っているのだが、孟玉殿が是とは言ってくれんのだ」


 争えば傷を深くするだけだからな、耐えるしかないというのも解るが、それだけでは解決しないのも現実だ。俺がここにやって来た理由は概ね理解しているだろうが、どんな手段を用いるかまでは不明だな。


「汝南を治めるのは汝南太守であるべきです。袁術が豫州の印綬を持っているのは知っていますが、元はと言えばそれは孫堅殿のもの。印綬がそこに在れば良いなどというのは誤りです。かといってなければ何も出来ないわけでもない」


「ふむ、そうですな。それぞれの者らが職務に励み、共に国家の風紀を守ればより良くなっていくのが道理。全て私の不徳でありましょう」


「何を言うか孟玉殿、行く先々で治世が改まって行くのは、それ即ち貴殿の徳。愚かな朝賊らに比べるまでもなく、どちらが正しいかなど明らかではないか! 伯龍殿もそうは思わぬかね」


 普段ならあまり同意などして関りを持ちたくはないのだが、この発言については何一つ相違ないな。徐蓼殿こそ政治家の良心であるってな。


「何が正しく何を求めているのか、それをはっきりと感じているのは良民でしょう。徐蓼殿を頂くことに感謝の念を持っている者が多いならば、答えは一つではありませんか」


 迂遠な表現だが、こういう手合いへのスタンダードなやりかたらしいからな。あとは勝手に想像して受け止めてくれる、第三者がどう思っているかが自身への評価を素直に飲み込めるやりかただ。


「ですが今、汝南は二つに割れてしまい不安定な世情になろうとすらしております。伯龍殿が来訪の理由をお聞かせ願えるでしょうか」


 一旦目を閉じて心を落ち着かせる。それは俺だけではなくて、二人にもこちらの言い分を聞くための時間を与える為にだ。


「袁術は己の支配地を拡大させようと独自に動いています。勅令が下り鎮賊するわけでもなく、太守や牧として平定をするでもなく、兵事を行うのがその証拠。それについてはいかがでしょうか」


「後将軍である袁術殿ならば兵を動かす権限はお持ちでしょう。恥ずかしながら汝南では賊が皆無であるとまでは言えません」


 それをいえばどこだって皆無なことはない、名乗りを上げて反乱をしている奴が居ないならば、充分平和だとみなすべきなんだよ。どこにだって社会不適合者は存在するさ。


「賊退治であるならば、汝南太守が行うのが筋。もし手に余るようであれば、初めて在外の者に助力を要請するはず。袁術にそのような依頼をされましたか?」


「いえ、それはしておりません」


「であるならば、朝廷の指示もなく、正式な権限もなく、汝南の許しも無く兵を入れたのは和を乱す行い。ここに名分はありません」


 黙ってしまう徐蓼に代わり「その通りですぞ。汝南の地は、汝南の太守が責任を持ち治めるもの。誰憚ることがあろうか」こうであれということを強く押す。いいぞ、今だけはその応援を嬉しく思うよ。

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