第358話
「ならば一直線で向かって来てもおかしくはないな」
「使者の一行を邪魔するのも容易でしょう」
含み笑いをする趙厳を見て「不慮の事故はつきものだからな」そう応じてやった。降伏の使者に来られては困るんだよ、チラっと呼廚泉を見てやると頷いてきたよ。言葉にせずとも通じたか、そうか。
「道案内が誤った先に行くくらいでいいか? 一日稼げばってことだが」
「上出来だよ、そもそも難色を示されるようでは元からどうにも出来んからな。やってくれるか呼廚泉」
「まったく、将軍なんだから命令すればいいだろう。俺は族が受けた恩義を忘れなどしない、任せてくれ」
言うが早いか、戻ったばかりだというのに呼廚泉は兵士を連れて出て行ってしまう。我がままに付き合わせて悪いね。
「よし、では俺達も動くとしようか。こちらは四人で動くぞ、俺とお前とそうだな、元化にもう一人だ」
いつもの伯長に兵の保全を命じて、なぜ自分が指名されたのかよくわからないままの元化を連れて城へと入る。軍勢と共にならば止められてしまうが、四人だけなのでじっと見られたが笑って手を振ってやると通された。そのあたりは感覚で職務をこなしているんだよな、現代の刑事の勘で職務質問するようなものだ。つまりはここの兵士はある程度の経験で厄介者を見抜けるだけの人材を配置できてるってことだな。
「思っていたよりも大勢住んでいるなここは」
中原といっても端になると見ていたが、人口密集地に思えるほどの賑わい。統治が行き届いているんだよな、さすが徐蓼殿だ。サクっと酒場に向かう、満席の中を見回して官服を纏っている人物を見つけ出した。隣に行って声をかける。
「ちょっとすまん、汝南殿に言伝を頼みたいんだが」
「うん、どちらさまで?」
いきなりは拒絶せずに、一応の反応をしてきた。横柄なやつなら少しわからせてやろうと思ってたが、まともなやつだったか。
「荊州時代に世話になったもので、屠陽の伯龍が尋ねて来たと言って貰えれば解るはずだ。ここの二階に宿を取っていると伝えてくれ。許先生にも、屋敷では馬先生も来たというのに黙って出て行って悪かったと」
銀貨を三枚握らせてやると、顔が緩んで頷く。席を立ちあがり「わかった、これから行ってみよう」直ぐに動こうとしたので「ではこの席を貰うとしよう、ついでに払いもこちらで持つよ」相応の反応を見せてやる。皆で席につくともの言いたげだった。
「なんだ趙厳」
「自分にはどうにもあなたが見た目の年齢だというのが疑問でたまりません。もう齢六十を超えた老公のようにすら思えています」
そいつは正しい、何度かそう言われたりしてるが自分でも爺臭い行動だと気づいてるよ。公称でいま四十歳だったか、どこぞのアイドルか公称とは。
「俺の場合は学問で得た知識などではなく、幾度となく戦った結果でしかないからな。年配の兵士から得られる何かだって俺にとっては貴重なものだ。それがにじみ出ているだけだろ。ほれ元化、一杯いっておけ」
言いながら勝手に注いでしまう、お猪口に一口位でどうにもならんよ。目を丸くしてそれを飲み干すとそっと机に置いた。
「趙厳殿が仰るように、私も島しょ……旦那様が他の方々とは違うと感じています」
呼び名を直前で改めたか、充分傍で働くだけの機転はきいているな。しかし医者か、衛生観念とはどうなんだろうか。
「そうか? まあ普通かと言われたら疑問ではあるがな。ところで元化、衛生という概念がお前にはあるか?」
「衛生でございますか、それはどういう?」
「そうだな、病気に関することだな。怪我をしたときも共通するが。例えば、体調を崩す多くの原因は身体を清潔に保っていないとか、そういうところだがどうだ」
説明するのは難しいよな、価値観やら教育やらが全く違うんだから適切に通じるかどうか。
「確かに怪我をした部分は煮沸した布で拭くのが宜しいでしょう。病の原因は様々ではございますが、内腑を病むのは食に問題があるかと」
「食べる時には手を洗い、食材も洗浄しきっちりと加熱する。出来れば新鮮なうちに食べきりたいが、難しいだろうな」
趙厳は無表情で話を聞いているが、元化は少し驚いているようだ。理解度の違いという奴かも知れんな。
「汚物に触れた際に発病が多くなりますので、そのようにして頂ければ病は減りますでしょう。随分と詳しいようで敬服致します」
「ただの聞きかじりだよ。その腰につけているもの、少し聞かせてはくれんか」
話題を作るために、何と無くそんな話をした。正直何でも良かったんだよ、こいつの人となりを知るだけ、そして時間つぶしだな。腰から巾着を外して三つ机に載せる。
「こちらですが、滋養強壮薬の類です。不足したものを補うための丸薬でして」
栄養剤だな、ビタミンミネラルのようなのを丸めたんだろうきっと。臭いのは長持ちさせるために、何かしらの保存剤を練り込んでいるからだな。
「健康な体は栄養が満ちてこそだからな」
うんうんと頷いてやる。栄養という概念は、腹を空かせているかどうか程度の話かも知れないが通じてはいるようだ。
「次に道具です。針や糸、刃物の類で」
「ふむ……切開手術に縫合の道具か。外科治療をするんだな元化は」
「お解りですか! なんと旦那様はご慧眼であらせられる」
メスに針と糸と言えばそれ以外に思いつかん。切り傷などは消毒してそのまま縫い付けるだけでも違うからな。だが切開するということはそれより一歩も二歩も先の可能性がある。
「たまたまだよ。そういえば切開するならば、何かしらの薬も使うものか?」
「はい、こちらが最後の袋で御座いますが、散薬です」
「使い方は」
白っぽい粉薬、それだけでは何一つわからん。
「二つ御座います。一つは温めた酒や湯に混ぜて飲ませることで、気を失わせることが出来ます。二つは幹部に塗ることで、痛みが和らぎます」
「麻酔薬か!」
「これをご存知でしたか! 遠く西域で用いられる秘薬にございます」
そうか、だからイランペルシャ系の……こいつは使えるぞ。大怪我をするつもりはないが、出番はいつかくるだろうな。
「手持ちが少ない?」
「これだけですので、二度も使えば無くなってしまいます。再度手に入れる為には、数年かけて西域へ行かねば」
「ふーむ、趙厳覚えているか」
「はい、アレですね」
何のことだと言わないあたり、しっかりしているよな。元化は首を傾げているが、間違いないぞ。
「種類は違うかも知れないが、江南でそいつを作ることが出来る原料がある場所を俺は知っている。大方焼き払ったが、そうそう簡単になくなるものでもないだろうからな」
「こ、江南でございますか! ですがどうしてそのようなことを?」
「そいつはな、使い続けると常習性が出てきて手放せなくなり、人の気力を蝕む毒でもあるんだ。いや、毒も薬も一緒だ、どのように使うか次第だな。そのうち人をやって採取させてこよう、精製の大まかなやり方はわかってるつもりだ。いつか必要になった時に予備があるか無いかでは結果に大きな差異がでるからな」
それがあるお陰で大切な奴を助けることが出来るかどうか、その差がな!
「私は……私は、今の今ままで旦那様のようなお方に出会ったことは御座いませんでした。何卒以後もよしなに」
「なに、悪いようにはせんよ。もしはぐれたら、潁川の荀氏に接触しろ。俺の名を出せば良いようにしてくれる」
そんな話をしながら待っていると、さっきの官吏が戻って来てこちらに駆け寄って来るではないか。まあ、そうなるな。
「御仁! なんとお人が悪い、太守様が直ぐにお会いになられるので、どうぞご同道下さいませ!」
「そうか、別に悪気はなかったんだよ。ほら、ここの饅頭は美味い、こいつを持って帰れ」
肩に手をやってせいろ一つを持たせてやる。対処に困った顔をするなよ、それと趙厳もその顔をやめろ。四人で登城すると官吏らが腰を折って迎え入れてくれる。
「趙厳だけついてこい」
城主の間は重苦しい雰囲気で諸官が左右に立っている、あいつは……なんてこった上席かよ。まあいい、来た以上は無視するわけにもいかんからな。真ん中の絨毯のような部分を進んでいくと、周りに睨まれながら一礼する。
「ゆえあって伯龍とだけ名乗らせて頂きましょう」
徐蓼太守はうんうんと小さく頷いているが、諸官の列から声が上がった。
「なんと無礼な奴だ! 汝南殿を前にしてその態度とは!」
「礼儀を知らぬ愚かものが何をしにきたのだ」
「膝をつくことが出来ないなら、俺が力づくでそうさせてやろうか?」
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