第357話

「あの人物か。ならばそれも納得いくよ。どうして上手く行っているのを邪魔するかね」


 などと愚痴をこぼしたところで何も変わりはしないか。こちらの助けを受け入れようとはしなかったが、今は状況が変わっているしどうか。手を貸しますかと聞いても断られるのは目に見えている、押しかけてさっさと消え去るなら渋々受け入れてくれそうではあるが。


 もしこのままだとどうなる。汝南を併呑するまで進出するだろうし、豫州刺史を使い陳や潁川にも手を出して来るだろう。そうされる前にとめるのは俺達の為でもあるな。かといって武力でぶつかるのは得策ではないな。


「荀諶の考えを聞かせて欲しい。汝南を黙って見過ごすとその後どうなる」


「ご下問にお答えいたします。汝南、梁国、沛国までを押さえ豫州の宣言を行うでしょう。陳と潁川は圧迫を受け、徐々に浸透されるかと」


「では汝南への進出をここで止めようとするとどうなる」


「袁術殿の閥と敵対し、武力での争奪が起こることは避けられないでしょう」


 やはりそうだよな、袁術がやる気で足を延ばしてきているんだ、多少面倒があっても進むだろうさ。


「袁術の奴は私欲で領土の拡大をしている……と、責めたところで通常はどうにもならん。だが荊州刺史は別にいるわけだが、それについてどう思う」


「荊州刺史劉表殿としては荊州から離れてくれるとありがたいでしょう。本拠地である南陽から出てくれればそれこそ望むところ。ですが袁術軍が取って返すとなるとどうにも」


 ふーむ、面倒ごとのハードルを下げてやれば良いわけか。確かあの隘路は屠陽だったな、あそこを押さえればどうにも出来んくなるだろう。果たして全てが上手く行くだろうか。


「実現可能か答えて欲しい。汝南で太守に防衛を説き、荊州で刺史に統治を勧める。袁術が戻れないよう連絡路にあたる屠陽を封鎖し、その勢力を不安定にさせ和睦を行う」


 我ながら非常にあやふやで脆弱な道筋だよ、これで上手く行くなら誰も苦労しない。


「これには二つの関門が御座います。一つ目は屠陽という連絡路の要衝をどのように奪取するかですが、何かお考えが?」


「その昔その屠陽に入り賊を排する為に戦い、糧食を振る舞ったことがある。徐刺史の指示で守りに入ったのも住民は知っている、その徐蓼殿の窮地だと協力を頼むというのではどうだ」


「そのような経緯がおありでしたのですね。劉表殿の支持も得られるならば、屠陽の民はきっと協力をしてくれるでしょう」


 そういうものか。だが見ず知らずの収奪者よりも、実益と保護を与えてくれた奴を応援するのは普通か。そこに現在の刺史まで名前を並べたら拒否する方がわからなくなるわけだな。


「もし実行するなら俺も行く、話す位はしてくれるだろ。それでもう一つは」


「こちらのほうが困難でありましょう。徐蓼太守には補佐として功曹を招いております。この人物がこのような策を持ち掛けられ賛同しないことには進められません」


「なるほどな、確かに俺だって荀彧が否というのを無理に推し進めることは難しい」


 何せ自分より出来る奴だと信じて知恵袋にしているんだぞ、それを否定するのは自分を否定するのも同然だろ。だが面倒だな、頑固な奴だとどうにならん。


「功曹はかなりの偏屈で知識に自信を持って居られる様子。上から言えば反発するでしょうし、下手に出れば軽く見られるでしょう」


「なんともまあ面倒な奴だな。最悪そいつを外してしまうことまで画策しなきゃならんのか」


「人物鑑定の大家で許昭殿。その名声は高く、かの袁紹殿も批判を気にして装いを改められたとか」


 あーなるほど……うん、そいつは面倒なやつだよな、知ってる。随分と有名人で持ち上げられているって聞いたことがあったが、そこまでだったんだな。へぇ。


「その、なんだ。きっと上手く話をつけることが出来るような気がするんだ。想像でしかないんだがな、うん」


「はて、ご主君はあの大家と何か繋がりが御座いましたでしょうか」


「昔ちょっとな。許殿の屋敷が賊徒に襲撃された時に撃退したことがあってな、大層喜んで持ち上げられたよ。それ以来顔を合わせたことも書簡をかわしたこともないがね」


 何なら逃げようとしてたところを勝手に戦ったともいうが、被害は皆無で喜んでいたのも事実だよな。おかげで現在こうなってるんだから、ほんと解らんよな。


「左様で御座いましたか。それならば策は成功するでしょう。ですが汝南を諦めるならば、今度は江南へ向かうことは必定。それで宜しいでしょうか?」


「そこまでわがままは言わんよ。汝南と屠陽は行けたとしても、劉表のところまでとなると俺だけではかなり厳しいな」


 説得工作なんて利害を説く弁舌だろ、それは荷が重い。趙厳や呼廚泉ってわけにもいかんしな。


「それですが、荊州のことは休若殿にお頼みしてはいかがでしょう」


「休若殿?」


「はい、我が兄で荀衍、字を休若と申します。恥ずかしながら公達殿を含めて五荀などと呼ばれております。きっと役目を果たしてくれるでしょう」


 五荀か、曹操だったか袁紹だったか、洛陽あたりで耳にしたな。確か五荀のうち一人でも知恵を借りられれば大成するとかで。もう既に四人に助けられてるのにコンプリートして冤州あたりでグダグダやっているということは、俺の不徳の致すところだな。身に覚えしかないぞ。


「このような迷惑を引き受けてくれるものだろうか?」


「その目的が争わず平和を求めてならば、休若殿は喜んで助力してくれるでしょう」


「そうか。では頼むとしよう。俺は汝南に行って話をしてくる、そこで破談になれば直ぐにでも馬を走らせるよ」


 長平に来たばかりだというのに、少し休むと直ぐに城を出ることになった。せかせかと動き回っている方が性に合っているんだから仕方ないよな。馬を走らせるとたったの二日で汝南の都、平興につくことになる。その時の趙厳と呼廚泉の顔は「もう何も言いませんよ」と書いてあった。


「なあ趙厳、もしお前が袁術だとしたら、ここからどうする?」


 荊州、屠陽の件も荀衍殿に全て任せて構わないと言われてきたわけだが、こちらがしくじったら恥かしくてな。袁術とか袁紹ってのは、動きとしてはこの時代の王道的なのをするわけだろ、なら俺が頭を悩ませるよりもそういった常識で育ってきたやつの話を聞いた方が間違いない。


「汝南殿と話をするでしょう。勢力として版図がより大きく、兵数も多く、官爵も高位であるならば、帰順を呼びかけます」


「ふむ。呼廚泉が徐蓼の立場ならどう受け止める?」


 質問は逆の人物でも良いが、双方の顔色だけは窺ておくべきだな。少なくとも俺よりは二人の方が正解に近い感覚を持っている。


「南匈奴や烏桓、鮮卑であっても、民のことを考え結果を臨む。それで抗して汝南は豊かになるだろうか、とな」


 それは真理だ。自分が折れればそれで済むならば、きっと受け入れる奴が多いだろう。徹底抗戦するにしても、何かしらの名目は必要になるぞ。ではそれが何かを知るべきだな。


「趙厳、汝南で帰順を拒否して来る時に、一番嫌な名分とはなんだ」


「無論勅令であります。でなければ次いで朝廷の判断ではないでしょうか」


 共に背けば犯罪者のようなものだからな。だがどちらも手が届かない場所だ、それに時間的に即決で往復したとしてもかなり時間が掛かるぞ。いや、だからこそ袁術も動いたわけだな。



30 

「呼廚泉はどう思う?」


「同感だ。直ぐには解決しない」


 ということはそれを狙っているので間違いないだろう。そこで徐蓼という人物だが、荊州時代の素行を知っていれば目があるのをわかるな。それを強行できるだけの背景が無い、兵数と官爵だ。


「余裕ぶって袁術も大層良い気分だろうな。まずは状況確認をする、二人で兵を率いて周辺を探ってこい。特に袁術の本営がどのあたりに居るかをだ」


「戦いを挑むおつもりで?」


 驚いてはいないようだが、こちらの真意を知りたいってところか。趙厳も呼廚泉も、俺が無茶をするのは身に染みてわかったようだからな。


「戦争をするわけではないぞ、だが挑みはすることになるだろうな。それも、島介としてではなくだ」


 全く答えになっていないが、それ以上詳細を訊ねようともしなかった。そこはやはり己を知っている証拠、命令があれば遂行するという頭がある。二人が連れ立って行ってしまう、残された黒兵はたったの十人、それと元化もか。


「ま、そういうわけで少しここらで待機だ。元化、街で酒を買ってきてくれ」


 銭を渡すと雑用を命じる。一番一般人に近い奴だからな、別に偵察を求めたりはしないよ。城外の廃屋に拠って大人しくする、黒兵らは縄張りを作るつもりのようで色々とやっている。待つこと二日、二人が戻って来た。怪我をしてるような奴も居ないので、戦いはしなかったようだな。


「二人とも偵察ご苦労」


「結論から申し上げます。袁術軍はここより南隣の安城県にまで来ております」


 一応地理の確認をしておいたんだが、平興の周りは少しばかり県城が離れていて、全て二日の距離になるほどの場所なんだよ。これは守りの戦いでは有利になる半面で、連絡が途切れがちという状況に陥りやすいんだ。

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