第356話


「長官、使者がやってきました」


 通させると官服の青年と黒兵が一人付き添いで目の前にきた。黒兵が居るということは偽りの使者ではないな、強要をされているかの部分は、兵の顔色を窺うとしよう。


「私、徐州治中従事王朗様の吏で御座います。此度は会談の準備が整いましたので、是非屋敷へおいで下さいますようお招きにあがりました。そちらで趙厳様もお待ちで御座います」


「そうか。ではいつ行けばいい」


 誰の使いでこちらが誰かは伝わっている、その上で会うというのだから充分だ。王朗というのは学者であり政治家のような立ち位置らしい、皇帝擁護派との姿勢を隠していない。学識や性質だけでなく、礼儀もあれば弱者にも寛大と聞いた。


「いつでも宜しいので、ご都合の良い時にお願いいたします」


「ではこれから直ぐに向かうとしよう。呼廚泉、供はお前だけだ」


「承知した」


 居残りが板に付いてきた伯長の二人、南匈奴と北狄の出で相性も良いらしく目で会話をしているな。まあ俺は異民族がどうのだけでなく、肌が黒くたって気にしないんだがね。使者に同道して下丕へと入ると、城ではなく市街地の屋敷へとそのまま向かった。


 下僕が門の傍で侍っていて、直ぐに主人へお伝えいたしますとそそくさと奥へ行ってしまう。こちらはこちらで応接室のような場所に通されて座って待っているぞ。足音が聞こえてくると表情を緩めた。


「長官、お待たせいたしました」


「おう趙厳、ご苦労だ」


 足音というのは特徴があって、誰かというのは案外わかるものだ。先導されて少し広めの部屋にと通される。そこには、四十路の男が柔和な表情を浮かべて立っていた。


「初めてお目にかかります。某、徐州治中の王景興と申します。遠路はるばるようこそお出で下さいました」


「恭荻将軍の島介です。不躾な申し出というのに会って頂いて感謝します」


「ささ、どうぞお掛けを」


 差し向かいの座を用意されたので、供回りは全て部屋の出入り口にまで下がらせて待機させてしまう。王朗だって従僕の一人を立たせているだけだからな。


「島殿と言われれば、勅令軍を率い冤州に治安をもたらした武君だと聞き及んでおります。昨今刺史を履き、州は見事に治まっているとか」


「州の賊徒は農民に戻りたかったのです、ただ状況がそれを許さなかっただけ。私は皆の話を聞いて、機会を与えたのです。州の内事は荀彧らを始めとする若い奴らの功績」



 なお概ね事実だ。ちょっと矛を振ったくらいはあるが、基本的に俺がどうのこうのってやつはかなり少ないんだよな。世界は知恵を必要としているんだよ、それも圧倒的にな。


「徳事とはそのようなことをいうのだと愚考して御座います。して徐州殿ではなく、なにゆえ某をお訪ねになられたのでしょうか?」


「私の目的は献帝を支えること。王朗殿の勤皇の声は遠くにも届いていますので、一度あってみたかった、というのが理由です。我がままでしかないですが」


 陶謙についてはそういうのを全く聞かなかったんだよ、徐州の足元ですらだぞ。王朗も直ぐには返事を出来ずに思案しているということは、まあそういう話ってことだ。悪い奴どころか住民には恩徳を示して人気があるんだが、陶謙はそこまでだ。恐らくは自分の為に民に優しくしているってことだぞ。


「皇帝陛下にあらせられては、不憫な想いをさせてしまい心が痛みます。国賊が誅されたとはいえ、その残党が未だに大きな力を持っております。都への道は閉ざされ、状況もあまり伝わっては参りません」


「軍を通すには至っていない、個人が往来する程度は出来るのだが何とも。山間の長安洛陽間を行くのは無理なので、荊州方面を迂回しての経路を目指すべきかといったところ」


「朱儁将軍が河南尹で戦っておられるのも聞いております。戦線が膠着しているとも。荊州牧の劉表殿は陛下のご同族であられますので、南部を行くのが良いのかも知れません」


 それな。劉表が協力してくれたらいいが、朝廷の騒乱から逃げるように転出した面々の一人だぞ。あえて揉め事に首を突っ込むのは難しいだろうな。それでもこちらがすべて持ち出すから関わらず通せっていえば、そのくらいは認めるのか?


「こうしている間にも、周囲を警戒し、蜘蛛の糸ほどの希望に縋り、今を耐えているに違いない。なあ王朗殿、血筋とはいえ年端も行かぬ子がそのような苦労を背負わなければならないものなのだろうか?」


「某では軽々しくお答え出来かねます。ですが、島殿のお心は至徳というものでありましょう。上は天子への、下は庶民への想いが詰まっております。王景興は敬服致します」


「自分のことなど蔑まれたって構わない、早く劉協を助けてやりたいんだ。すまない王朗殿、この位にして戻るよ」


「某が徐州殿へ勤皇の勧めを説いてみましょう。地方が力を合わせれば、いずれ達せられましょう」


 立ち上がると俺は拳礼を行い、王朗の瞳を覗き込む。会って良かった。屋敷を出ると下相へと黙って向かう、居残りの奴らと合流すると西へと馬を走らせる。沛国、焦と抜けて長平の様子を見てから戻ることにした。


 192年夏

 

 平たい背が低い長平城の前で警戒されたので軍旗を示すと城兵が大歓迎で入城を先導してくれた。そうまでされると逆に気が引けるものなんだよ。やれやれと城主の間に行くと荀諶が待っていた。


「ぐるっと一周して戻って来たよ、調子はどうだ」


「お帰りなさいませ。陳への調略は進み、遠くないうちに開城される見通しで御座います」


 ほう、さすがだな。戦わずに城を取り戻せるなら俺が言うことは何もない。その割には周りの顔色があまり良くないな。



「そうか。他にも何かあったか」


「はい、実は汝南のことですが、袁術軍が進出してきて南半分を奪われている状態に陥っております」


 ほう、早いな! 裏切り者が居るというよりは、兵力差なんだろうな。広くても汝南一郡だけでは一万が余剰の上限だろう、守る側は薄く広くで攻める側はまとまって一つずつでいいんだからな。だがこの短期間で南半分ということはだ、降伏したのが多いということだ。


「妙に早いが理由でもあるのか」


「袁術殿が賊退治の官軍であると、県令に開門を要求しているようです。拒否は賊徒と見なすと」


「半分事実なだけにやりづらいわけか。汝南太守としても官軍同士で争うのを良しとはしないんだろうな」


 民の事を想うならば、統治から外れることがあっても平和を維持できるのを選んでも構わないと通達を出しているかも知れん。袁術も受け入れるなら無茶もしないだろうし、致し方ない状況か。


「上奏をしたとしても沙汰が下るには時間が掛かります。治安を乱す袁術殿の行いに、どれだけの理があろうかというところ」


「うーん、汝南の太守は徐蓼殿と聞いたが、それはその昔に荊州で刺史をしていたのと同一人物だろうか?」


 黄巾賊の乱の折りに、別部司馬として働いていた時の人物と同姓同名ではあるぞ。最後は謀略に嵌められて免官されていたが、その後はどうしていたやら。


「その徐殿で御座います。刺史を免じられた後に故郷に戻られ、年が改まり再度任用されたのが汝南太守。乱れていた地の風俗が秩序を取り戻してきたところであります」

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