第355話

「そこそこ前からハァッダァーと呼ばれていましてね」


「なんだ、医者だって?」


 なぜここでアラビア語が! こいつ何者だ。と思った矢先、逆に驚かれてしまう。


「そ、そんな! 伯龍殿は言葉を理解しておられるとでも!?」


「まあ色々あってな。ということは元化は医者なのか」


 腰の巾着は薬とか医者の道具ってわけだったか、なるほどね。というか中国ではそう表現することもあるんだな。


「そうです。見ての通り身を立てることもかなわないような評価しか受けていませんがね」


「そうか。まあこれも縁だ、仕事が無いなら俺が雇ってやってもいいぞ。食い扶持位は保証する」


 医者というのは集団に全然居ないからな、大病を患ったり怪我をしたら死へ一直線の時代だ、大金積んで治療するのは金持ちだけだもんな。一方俺としては万が一どころか、ちょくちょく戦闘で怪我をする部将らの回復が少しでも早まれば御の字だよ。


「見ず知らずの私をですか?」


「俺はちゃんと働いてくれればそれだけで良いんだよ。すぐそこの宿に泊まっている、明日の朝にはやってこい。それとほら、こいつでもう少しマシな身なりにしてくるんだ。医者が不潔では治るものも治らんぞ」


 こういって懐から銀貨を二枚取り出すと、一枚をくれてやる。もう一枚はここの払いだ。テーブルに置くと返事も確かめずに店をあとにした。さて、孫策にもあったし、他にやることも無いから陳留に戻るとするか。今度は東回りで行ってみるとしよう。


 江は基本的に下りはしても登りはしない、河の流れと風には逆らえない。時期や人力、時間帯で登るのをちょいちょい繰り返して、一気に下るのがパターンだな。それなら陸路移動した方がいい、水上では力を出せん。


 宿に戻ると趙厳が待っていて「長官、お一人で出歩かれては危険です」真面目なお小言を頂いてしまう。誰が俺に勝てるんだよ、とかいうつもりはないぞ。


「すまんな、ちょっと酒場に寄っただけだ。明日の朝にはここを離れるぞ、準備をしておけ」


「承知しました」


 わかれば良いとばかりに明日の仕事に取り掛かる。兵らに移動を通知して、やっておくべきことをするために出て行ってしまった。移動経路の情報を確かめて後に早めに寝てしまう、体力が全ての基本だからな。翌朝、飯を食ってさあ出かけようとしたところに元化が現れた。ちゃんと着替えを買ったんだな。


「おお来たか元化」


「はい伯龍殿。しかしこれは一体?」


 異民族の集団がずらっと騎乗しているのを見て恐ろしいと思うのは普通だよな。俺は見慣れて何とも感じないがね。


「俺の仲間だよ、これから移動するぞ。ところで元化は馬に乗れるか?」


「いえ無理です」


「そうか。誰か乗せてやるんだ」


 長距離を二人乗りでは馬が参ってしまうが、早めに替え馬に乗り替えればその限りではない。というか遠くに行くときは一人に二頭充てるのが行動力の意味では望ましい、馬を揃えられないのでそうもいかんのだがね。


「長官、何者でしょう?」


「元化は医者だ、俺が昨日雇ったんだよ」


「でしたら走らせれば宜しいでしょう。騎兵に二人乗りとはあまりにおこがましいかと」


 趙厳のやつどうしたんだ? 黒兵や南匈奴のやつらを見ると、嫌がっているな。うーん、どういうことなんだ?


「島長官、漢では医者を馬に乗せてやるのが当たり前なんでしょうか」


「呼廚泉までどうしたってんだ」


「伯龍殿、私は遅れてでもついて行きますのでお気になさらずに」


 ついに元化までそんなことを言い始めた。これは文化の差というやつか、俺は医者を立場ある奴だと思っているが、こいつらは下に見ているってことだよな。何十年も気付かなかった、そりゃ俺が医者に掛かったことが無いからだな。それはこちらの感覚違いで仕方ないとしてだ。


「俺が勘違いして変なことを言ってたのは理解したよ」それについては頷いてやる「だが、俺は乗せてやれと言ったぞ。命令に逆らうつもりか」目を細めて趙厳と後ろに並ぶ黒兵を睨み付ける。


「も、申し訳ございません! おい、お前!」


 趙厳に指名された小柄な黒兵が元化の傍に行くと足場を用意して乗せてやると、自身が後ろについて二人乗りする。元化の表情が複雑だな。


「いいか、俺は医者を下に見るつもりはない、だからと崇めろと言ってるわけでもない、それぞれの役割を持つ者を同列に扱えと言っているだけだ。理解はせずとも構わんが、納得出来んやつはここで召し放つ、好きにしろ」


 数十秒待つも誰も立ち去りはしないので、ふん、と鼻を鳴らして「進むぞ」終わりにする。大怪我をした時にはすがるというのに、用事が無い時は冷たくあしらうなんてほうがおかしいだろ。世間の常識と俺の非常識という問題は一生ついて回るんだろうがね。


 三日かけて広陵郡にやってきたぞ、郡都も広陵という名前なのでわかりやすくて宜しい。さて、ここの太守は張超ってやつだったな、反董卓連合軍でもやる気をしっかりと出していた奴で、陳留太守張貌の弟だぞ。


「うーん、張超をどう思う?」


 漠然とした問いかけ、それも誰に向けたかも今一つ不明。呼廚泉と趙厳が顔を合わせて首を傾げていた。無反応とも行かずに趙厳が応じる。


「陳留太守の弟君である広陵太守は、国家の義士でありましょう」


 まあそりゃそうなんだが、どうにも誰かに付いていくだけという感じもするんだよな。劉岱、孔抽、あとは橋帽ってやつらとグループだったな。今思えばその面子はどうにも俺とは別の方向に歩んだ奴らだぞ。


「そうか、うん。そうかも知れんな。素通りしよう、北へ向けて進むぞ」


 このあたりは人口が希薄な地域で、県と県の間が妙に間延びしていて歩きだと二日や三日はかかってしまう。まあ騎馬での移動だから俺らは一日の距離でしかないんだが、都市人口は少なめだ。異様な集団であるこちらをどこでも警戒して来るが、揉め事を起こすなと厳命しているのでこれといったトラブルは起きていない。


 そこから五日かけて徐州の都である下丕へとやって来た、ここには陶謙ってやつが居て朱儁将軍を支持したり、黄巾賊と戦ったりしているらしい。そして微かな記憶で覚えているのが、曹操の親父だか爺さんを招いて殺したってやつだな。


「陶謙についてはどう見ている」


 また変なことを言いだしたと、趙厳と呼廚泉が肩をすくめる。正確な人物評価を知りたいならば、若造ではなくどこかの知識人にでも聞くべきなのだ。


「黄巾賊の討伐では功績を挙げておられます。反面で董卓を相手にした連合軍には手を貸さずに静観をしておられましたが」


 そうなんだよな、連合には手を貸さずに今になって朱儁を応援している。曹操が勝ちだしたらその歓心を買う為に動いたと仮定すれば、陶謙は風見鶏のような考えかも知れん。とはいえ徐州を統治しているわけだから、能力もあれば政治も上手い。


「補佐は誰だったか知っているか」


「確か、別駕は趙立殿、治中は王朗殿かと」


 王朗は何と無く聞き覚えがあるが、趙立は知らん。うーん、王朗というと画面の右下あたりの地域で太守やってるモブのようなキャラだったような? 揚州、呉とか会稽とか丹楊あたりだよな。


「王朗とやらと会って話をしてみたい。趙厳、手筈を整えて来い」


 とんだ無茶ぶりではあるが、内心驚いていたとしても顔は冷静そのもの。大分なれてきたようだな。


「畏まりました。隣に下相がありますので、そこでお待ちください。数日で戻ります」


 黒兵を五人だけ連れて行くと、下丕城へ向かって行った。下相ね、わかったよそこで待っていればいいんだろ。


「よし、俺達はその下相県へと行くぞ」


 馬で僅か一時間というところに中程度の城があり、そこが県城という話だった。警戒も何もしていない、黄巾賊の姿も見えない。周りが全て官軍に制圧されている街で、安全地帯なのかもしれんな。趙厳の言葉を信じて四日、黙って借り切っている農家の敷地で待ち続けた。


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