第354話
「聞いたところによると、随分と転々としていたらしいが」
「ええ、父の墓を求めてみたり、江都で陶謙殿に警戒されたりで母を江の南に寄せたりで、今は叔父のところへ避難してきています」
「陶謙というと徐州刺史のか? なんでまた」
朱儁将軍を支援したりする真っ当な人物だって聞こえているが、どうして喪に服している若者を警戒する必要があるんだよ。
「それは父が袁術殿の派閥だと見られていたからです」
「袁術の? うーん、まあそうか、そうだな。それで息子の孫策も袁術の手の者だと思ったってことか」
袁術があちこちに手を出しているから、尖兵かと警戒されたわけか。能力は間違いないんだ、しっかりと人物をみられていたってことの裏返しかもしれん。
「とはいえ、自分に付き従ってくれているのは、孫河だけですが」
「黄蓋はどうしたんだ?」
「公覆は孫賁殿の麾下に戻りました。孫閥の継承者は孫賁殿ですので当然の帰結です」
十代のうちは数歳の違いが全てを得たり失ったりの境目になることがある、ましてや多くの者を背負うことが出来るかを見極めるならば、少しでもはっきりとわかっている人物を担ぐのを選ぶだろうな。
「そうか。それで孫策は今後どうするつもりなんだ」
「まだ父の喪に服していることにします」
今はまだ、だな。機が熟していないと見ているならばそれが正しいんだろう。
「それがいい。一つ覚えておいてほしい。お前は一人じゃないってな、いつでも俺を頼るんだ。いいか頼るというのは決して悪いことではない、頼ることが出来る相手がいるという素晴らしいことだからな」
「孫伯符が最大限の礼を示させて頂きます」
「ところで、恭荻別部司馬の印綬、まだ持っているか?」
わかれた時にそのままだったからな。部屋の奥から持ってこさせると、中身を確かめて差し出してきた。
「長らく勝手に所持していて申し訳ございません。お返しいたします」
「なぜだ。何か別のに任官したのか?」
こちらがどうしてという顔をしてやる、実際解任すると言ってるわけでもないからな。
「いえそのようなわけはありません。ですが役目につけずにいるのに、どうして持っていられるでしょうか」
「そんな細かいことはどうでもいい。そいつは孫策が持っていてくれ、邪魔になれば打ち捨てて構わんが、何かの役に立つことだってあるだろう。それと暫く俸禄の支給が届いていないだろう、ここで支払っておくぞ」
趙厳に軍需物資から銭と米を分け与えるように指示してしまう。公費で公給を支払うのに何の問題があるのかってことだよな。
「そ、そのような。受け取れません!」
「いいか孫策、遠く離れて居ようとも俺はお前を認めている。いつかその才覚で、どこかの誰かを助けてやってくれ。それは須らく漢の民であり、劉協の臣民だ。それを以てして功績を示せばいい」
「有り難く」
座したままで礼をする。複雑な想いなのかもしれんが、世が失うにはあまりに惜しいんだよお前は。後ろで立っている孫河に視線をやる。
「孫河、配下の兵は居るのか」
「いえ、我が身一つで御座います」
悔しいわけでもないだろうが、何かあればと不安もあるだろうな。孫策が自身で動くのも喪中では良くないのかも知れん。
「お前を軍侯に任じて孫策の護衛を命じる。兵十人だけだが雇用する資金を与える、身辺に注意するんだ」
「か、畏まりました!」
随分と一方的だが、この位しないと断るだろうからな。しみったれたやりとりはこれで終わりだ。
「訓練場で運動がしたくなった、お前達もどうだ?」
「是非ともお供させて頂きます!」
はつらつとした顔の孫策が立ち上がる、そうだそれでいい。若いのを全て連れて行き、練兵場に向かう。そこには丹楊兵らが居て鍛錬をしていた。
「よーし、まずは小手調べだ。お前達全員、丹楊兵と手合わせしてみろ」
全員といっても四人、趙厳、呼廚泉、孫策、孫河だ。棍を手にしてそれぞれが二対一で向き合うと「始め!」の言葉から十秒程で兵に一手ずつつけてしまう、孫河だけがやや遅かった。
「では次は四対一だ」
丹楊兵を増員する、この頃になると面白がって見物人が増えて来た。あの伯長らもこの場にやってきているようだな。合図をすると、目まぐるしいやり取りがあり、孫河が三人目を叩いた後に一撃貰い脱落した。それでも兵が大盛り上がりをする。
「おい長棍を貸せ。趙厳、呼廚泉、孫策、三人で俺に掛かってこい。手加減は要らんぞ」
丹楊兵を圧倒した三人を指名して、一人で進み出る。兵がそれは無理だろうとザワザワしているが、三人は真剣そのものの表情だ。
「そうだな、先手はくれてやろう。いいか頑張って俺を倒せよ」
かなりの挑発だが、最近妙に感覚が鋭くなっていて全然負ける気がしない。流石にこいつら相手では厳しいだろうがね。三人が囲むように位置すると、棍を突き出して来る。初撃に全てをかけるかのような一撃を孫策が放って来る、だが趙厳と呼廚泉は連携での攻めだった。
孫策を正面に捉えて棍の先端同士をぶつける、物凄く驚いた顔をされたな! そりゃそうか、あんな細くて速い一撃を合わせるなんて想定外だろうな。衝突の反動を使って棍を引き戻すと、中央を持って趙厳と呼廚泉の同時の動きをやはり同時に弾く。
呼廚泉に向けて無遠慮に距離を詰める、互いに突きを繰り出すがこちらのは奴の左肩にあたりあちらのは俺の胸の先すれすれを素通りした。振り返ると孫策が進んできて足払いを狙って来ていた、趙厳は突きを。これらを同時に止めることは出来ない、だから斜めに転がって体をかわしてしまう。
「おおおおお、すげぇ!」
丹楊兵が一斉に沸き立つ、何が起こっているかを言葉で説明するほうが時間が掛かるような動きを一瞬でこなしたことに大興奮している。気持ちはわかるよ。
29
「こちらから行くぞ」
趙厳に向けて駆ける。孫策が自由にはさせまいと突きを入れて来るのを棍で弾くと、こちらの体勢が整わないうちに趙厳が時間差で突いて来る。見事に当たると見えたが、棍を地面に刺すと両腕の力で以て無理矢理に体の位置を変えてかわす。
重心が乱れているところへ素早く引き戻した棍の切っ先を向けて来た、それを体を巻き込むようにして回転してかわしてやりそのまま蹴りを腹に叩きこんでやる。趙厳がたまらず後ろへ転がっていく。時間を与えずに孫策が距離を詰めて来る。ここが勝負どころだ!
渾身の一撃をここぞとばかりに打ち込んできた。みぞおちを狙って真っすぐ、最速に。逸らして打ち払うことも、かわすことも出来ないぞ! 手にしていた棍を離すと両拳に力を入れて、自分の胸の前で僅かなずれを作り真横に殴りつける。孫策の棍の先がみぞおちに到達する前に、メキっと叩き折れてしまう。
「なんと!」
「惜しかったな孫策、あと少しだった」
「むむむ! あれでダメなら自分では敵いません。降参します」
丹楊兵らが唖然としていた。こういうことが世の中にはあるんだよ、自分でもよくもまあやったと思っているよ。
「そうか。俺は酒でも飲みにいく、後はお前達で好きにしてろ」
そこらに立っている丹楊兵に棍を片付けておいてくれと肩を叩くと、コクコクと頷いていた。鍛錬場の伝説として語り継がれることになったのは言うまでもないな。一人で街の酒場に転がり込むと、適当に「酒をくれ」と注文する。出された肴を黙って飲み食いしていると、中年の男が店に入って来る。
薄汚れた衣服、ゆったりとしたものだが庶民が着るようなものだな。小柄だ、腰に幾つも巾着を括りつけてるのはなんでかね。まあいいが。
「おい、ここは素寒貧のやつがくるところじゃねぇぞ!」
店主に怒鳴られて中年が視線を落としてしまう。なんだ、物乞いか? とぼとぼと帰って行こうとするのを見て「おいお前、一緒にどうだ、一人よりも二人で飲んだ方が酒も旨い」気分で声をかけてみる。こっちを向いた顔は冴えないやつで、ひょうひょうとしたような雰囲気があった。
「それはありがたい。ご相伴に与りましょう」
うん? 農民ではないなこの喋り方は。かといって野盗ではないぞ、一体何者だ。
「俺はし……いや、伯龍だ。お前は」
「元化です、頂いても?」
「ああ食え食え。ところで何をそんなに腰につけてるんだ?」
歩くのにも邪魔くさそうに見えたぞ、背負い袋にでもまとめればいいのにな。一つだけ青っぽい色の巾着があるが、他は麻布だ。
「これは商売道具といいますか、こうしていた方が使いやすいのでしてるだけです」
「商売道具? 何をしてるんだ」
単に会話のキャッチボールをしてるだけ、暇つぶしのようなやりとりだよ。店の客の誰もが無関心だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます