第353話
兵士を四人引き連れて門を出ると素早く左右を確かめる、東門への道案内を兼ねているぞ。兵士二人を近習につけてやると、俺は荀諶殿と一緒に動く。後ろから兵士がかけてきて「止まれ賊め!」言葉を投げかけて来る。
「少し足止めしてから追いつく」
呼廚泉が四人と共に細い道で足を止めて振り向く、一瞥してこちらは東門へ向けて走る。通用門から外へ抜けると「城門を開けておくんだ」趙厳へ命じると、閂を外して速やかに開門した。篝火から松明を取り出すとぐるぐると回してて合図をする。直ぐに騎兵が駆け寄って来た。
「この先で呼廚泉が敵を足止めしている、二十騎増援に行き交代して後に撤退しろ」
南匈奴兵が速やかに東門をくぐり駆け抜けていった、場所は騒がしいので直ぐに解るだろうさ。空馬を引き受けると荀彧殿らにも与える、女性が騎馬出来ないらしいので黒兵に二人乗りさせた。呼廚泉らも戻って来ると騎馬する。
「よし、南に向かいそこから西へと折れるぞ!」
騎兵の動きに追いつけるのは騎兵だけ、追撃の方が遥かに有利。その勢いで城からも五十程の騎兵が追いかけてきたが、なんと後ろ向きに馬に乗った南匈奴兵が追撃する奴らに向けて騎射を行いこれを追い返してしまった。なんて器用なやつらだ!
「馬と共に育ち、馬と共に生きて来た南匈奴の男は、馬上で自由に動けますので」
「流石だな! 長平までかけるぞ、あそこに入城する」
緩やかな流域の交差点、真っ暗闇の中で城門の外にやって来た人影に「何者だ怪しい奴らめ!」城門の兵士が弩を構えて威嚇してきた。荀諶殿が進み出る。
「陳国相の荀友若です、暗夜に申し訳ないが開門して貰えないでしょうか」
「こ、国相様ですか! 少々お待ち下さい!」
少し待っていると県令が姿を現して、驚きの表情で迎え入れてくれた。異民族の騎兵にも同時に驚いていたけれど、まずは荀諶殿の顔がある以上は黙って受け入れてくれる。城の部屋を与えられると荀諶殿がこちらを向いて拝礼した。
「島殿、救出に感謝を示させていただきます。かように危険なことに巻き込んでしまったことを謝罪致します。城を失うとは、自分がこのような失態を晒してしまうとは情けない」
肩を落として己の不甲斐なさを責めるか、気にしなくてもいいと言っても変わらんだろうが、想いは言葉にすべきだよな。
「荀諶殿、城なんてものは幾らでも取り戻せる、けれども人はそうはいかない。俺にとって大事な荀彧の兄ってなら、陳なんて国よりも万倍大切にするのが当たり前ですよ」
「人とは、その本性に従えば譲らず、譲れば本性に逆らう。それゆえ、人の本性が悪になることは明白であり、善は後天的な仕業なり」
その場で両膝をつくと畏まり頭を垂れる。
「自分のような者にも命を張り、あまつさえそのような心遣いを為される。それこそ荀子の言う覇者に等しい存在。潁川の荀友若、島伯龍殿を主君と仰ぎ身命を捧げたく存じます。どうかお許しを」
はぁ、そんなことをする必要はないのにな。俺も目の前で片膝をついて肩に手をやると立たせる。
「私はただの考えが足りない無骨物ですよ。友人、ということでしたら喜んで。ああ、一つだけお願いがあります」
「なんでありましょうか」
「あと三か月もしたらきっと世の中はまた大混乱になります、なので今日のことはそれまで荀彧には秘密にしておいてください。危ないことをするなと叱られますから、そんな気が起きない位忙しい時にこっそりと話す感じで頼みます」
色々押し付けて心労を重ねられると申し訳なくてな。李鶴、郭汜が大暴れ始めた頃なら、面白い昔話ってことでため息一つで済むだろ。
「ははははは! 主君がそう仰られるのでしたらそういたしましょう。文若の様子を見てということで」
「ああ、済まんね。でだ、実はもう少し旅を続けようと思っているんだ。俺がここに居たことも暫く黙っていてくれるか」
「承知致しました。どうぞご自由に、用が御座いましたらいつでも友若へお申し付けください。陳を取り戻すために私もすべきことがありますので、暫くは長平に滞在します」
もう不意打ちが出来ない以上は相手じゃないだろうな。外を見ると徐々に空が明るくなってきている。
「一日くらいはここで休むとしよう。夜明けから酒を飲むのもたまには好いかも知れないな」
「それは良いですな、是非お付き合いを」
それから楽しく酒を飲んで時間を過ごして、夕方になってから眠る。兵らも休養を取り、翌日の朝までは自由気ままに過ごすことになった。
◇
長平の城を出て城門の前で騎乗して、荀彧と笑顔をかわしている。荀彧そっくりで話をしていて本当に気持ちが良かった。当然と言えば当然だ、兄弟だからな。
「して主君はどちらに?」
「ああ、ちょっと孫策の顔でも見てこようかと思ってな」
と、軽く言ってはいるが片道半月はかかるだろう見込みだ。確か曲阿とかいう場所に住んでいたとかいう話だが。
「それでしたら序から曲阿、江都と転居して、現在は丹楊郡都の宛陵に暮らしておいでのはずです」
「おおそうだったか、そいつは助かる情報だ。ではそこを目指すとしよう」
そういえば見守りに潁川の家のものを寄せてあるんだったな、ちゃんとやっていてくれたようでありがたい。
「若者に目をかけるお心、友若とても嬉しく思います。真っすぐ向かうよりも南進し江夏郡より船にて下れば五日は早くたどり着けるでしょう」
「なるほど、寝ている間も進める船の方が確かに早いな。では南へ向かおう」
南は汝南ではあるのだが、姿を見られて通報されても直進する騎兵を捕捉など出来るはずもなく、あっという間に江夏郡へ入ってしまう。船を雇って船上でも三日であっさりと丹楊郡についてしまう。
「良い気候だな、既にもう暑くなってきているくらいだ」
肌がじわっと汗ばむくらいの気温、二十度の後半くらいだぞ。その昔は春穀県を目指してやってきたものだったな、もうどれだけ前だったか。あの頃の太守は周欣とかいうやつだったが、今は誰だ? 趙厳が気を聞かせて情報取集に兵を放っているが、このあたりに来ると言葉も訛りが違ったり知らない単語が混ざって来て、何度か聞きなおすようなことも増える。
「長官、今の丹楊太守は呉景という人物のようです。前の太守は追い出されて会稽に帰途したとか」
「呉景? 知らんやつだな、どういつやつかわかるか」
「袁術殿麾下の人物で、元は孫堅殿の配下の武将でした。というのも孫堅殿のご夫人が呉景殿の姉のようで」
孫堅の妻が呉景の姉、ということは孫策の叔父ってことか。それなら暮らすに困ることもないだろう、一先ずは安心だな。
「そうか。ところで前の太守を追い出したってのは?」
「はい、それですが袁術殿が影響力を伸ばそうとして、この地に呉景殿を派遣したようです。その際に、前太守を擁護する民を全て敵とみなして殺すと布告したことで、仕方なく周欣殿が退いたとか」
過激派だな、或いは戦略家ともいえるか。結果として血を流すのが少なく済んだならば、それも飲める手段だったろう。袁術の動きが大きいな、他にも色々とやってるだろうし侮れんぞ。
「わかった、まずは孫策と連絡を取ることにしよう」
居場所がわかっているので使いを出して孫策に面会を申し込んでやった。近くの郷で待っていると、一人の部将が返事を持ってやってきた。どこかで見たことがあるな。
「孫策様が配下、孫河であります。島将軍にはお久しぶりに御座います!」
孫堅の配下だったわけだよな、ということは反董卓連合軍の時に傍にいた奴なんだろうな。
「おう、元気にやっていたようでなによりだ。孫策はどうだ」
「ことの真偽を確かめるべく自分が参りましたが、何故このような地に?」
「何のことはない、孫策の顔が見たくなっただけだよ」
そういうと孫河は怪訝な表情を見せたが、趙厳と呼廚泉が若干の疲れたような顔をしたので苦笑いする。
「主君もお喜びになります。ご案内致しますのでどうぞこちらへ!」
騎馬すると先導してくれる、宛陵には一時間程で到着した。やって来るのも二度目だが、相変わらず兵らの体格は優れているな。城内警邏の兵に見つかり対峙することになったが、伯長が「これは島殿! ようこそおいでくださいました!」力一杯の挨拶をされてしまう。誰だよお前は。
「うーん、もしかして手合わせした丹楊兵か?」
「はい! 足を止めさせてしまい申しわけございません!」
「いいさ。野暮用が終わったらまたやってみるか、今日はうちの若いのもいるぞ」
後ろの二人を指さしてやると、二人も拳礼をしたので伯長もきびきびと礼を返した。いいなこういうのは。城内屋敷に辿り着くと、そこで孫策が待っていた。五体満足無事でいてくれたか。
「島将軍、遠路はるばるようこそお出で下さいました。様々配慮いただきました件、孫伯符が心より御礼申し上げます!」
「うむ、お前が元気ならそれでいいさ。どうしても気になって突然やって来て悪いな。今の立場上で迷惑になるなら直ぐに立ち去るぞ」
「そのような不義理を働けば天がお許しにならないでしょう。どうぞ屋敷へおあがりください」
小さな屋敷、それはもう屋敷と呼ぶよりも小屋と言っても否定できないような造り。だとしてもここがこいつの城なんだよな。中に入ると上座を勧められ「是非こちらへお座りください」ダメ押しされたので素直に腰を下ろす。使用人が茶を持って来る。
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