第351話
「監視を残してきてあります」
「そうか。取り敢えず休んでおけ、呼廚泉も待機は解いていいぞ、見張りだけ立たせておくんだ」
午後二時過ぎと言ったところか、進んでもいいしここで野営しても構わん。長平に行ってもいいのだが、さてどうしたものかね。二人とも部下に命令を出すだけ出して傍から離れようとしない。自由にしたらいいさ。
「なにかあるか」
「石楼山の手前に三楼郷があります。一先ずはそこに拠ってはいかがでしょう」
野営するのと郷に居るのとどちらが有利だ? その郷が敵性地域ならば目も当てられんが、陳国の相が民に恨まれるような統治をしているとは思えんな。
「わかった、移動するぞ。手配は趙厳に任せる、いいな」
「お任せください!」
表情を引き締めて請け負うと部隊のところへと行ってしまう。呼廚泉を見ると同じように何かを思案しているようだった。
「どうした」
「いえ、何でもありません」
「何でもないような顔ではなかったぞ。思ったことを言うんだ、それでどうするわけでもない」
大方言い出しづらい何かなんだろうが、遠慮させるのは違うんだよ。こうだと思ったことをスッと言えるような間を作り出すのが役目でね。
「漢というのは、巨大ではあってもこのように内部で争いばかりをしているものなのだなと。侮るような言で申し訳ありません」
「なるほど、何も謝ることはないぞ、事実だからな。実は今、漢という国は一つの変節を迎えようとしているところなんだ。世代を十重ねる間に一度起こるかどうかの大きなうねりがな」
何年位の治世だったか覚えてない、歴史とかで習ったような気はしたがまったくだ。劉協が十何代かだかの皇帝らしいから、大体あってるだろ。
「変節……ですか」
「ああ、国というのは外敵に滅ぼされるのは実は少数派だ。国が大きければ大きい程に内側から崩れていく、そういうものだと覚えておけ」
都市国家のようなのが沢山あった時代は何とも言えないが、中国だと春秋戦国時代といったか、あの頃が最後だろう。一度統一された王朝が建てば、その後はそんな分裂はしない。
「間接的な支配を重ねることで内部崩壊を招きやすい?」
「ふむ、その表現は正しいと思う。人の目が届く範囲など知れているがな」
こいつはやはり政治的な面の鋭さがあるんだな、良い政治家になってくれ。武闘派のやつが若いうちに戦い、中年以後は政治の世界に入ると化ける。何を守り、何を切り捨てるかを判断する力がついているんだろう。
「では島……長官はどのように国を治めれば良いと考えておいでで」
「自分ですることなんて考えたことすらないよ。俺はただ、友の為に役に立ちたい、ただそれだけだ」
劉協、今頃どうしているやら。董卓が消えて、李鶴、郭汜がのさばるまでの僅かな間の安寧を味わってくれているものかね。しかしどうしてここでしくじったのやら、清流派の士とやらが全力で支えているんじゃなかったのか。
黒兵がやってきて移動を開始するというので騎乗する。三楼郷とやらについたのは日が傾いた頃だったが、到着すると歓迎された。少なくとも今はそう見えている。住民の様子をチラッと見たが、様子がおかしい感じではないな。
「それで趙厳、この後の予定はどうなんだ」
中程度の家を一つ貸し与えられたので、そこに幹部らを集めている。といっても、俺達三人に伯長の二人の五人だ。妙に迫力がある伯長たちだが、能動的な意見を上げてくることはない。
「偵察を出します、周囲の情報を集めるのを最優先します」
「そうか、詳細は」
「護衛に十人のみ残し、後は全員を動かし最速で状況を把握します」
ふむ、着いて直ぐは郷の者も手出しをしないだろうし、何より南匈奴の奴らがいるからな。直接的に切り合っても簡単に勝てるほど温い面子には見えまい、やるなら寝静まった後だ。
「呼廚泉、兵の半数を直ぐに眠らせておくんだ。四時間で交代して警備に充てろ」
「承知した」
自分の危険回避にもなる、反発する理由が無いからなこれは。戦場でもここまでの警戒はしない、ちょっとした訓練にはちょうどいい。
「ではここで指揮官の思考というのを一つ伝えておこう。現状どうあれ最悪が起こった場合を想定し、常にどうするかを一度考えておくんだ」
「最悪を、ですか」
「ああ。普通に考えればそのようなことなど起こらない、まさか、そんな時の対策を持っておくんだ。例えば今ならば、郷の人間の手引きで多数の黄巾賊が襲撃して来るとかだな」
なおその際は一目散に逃げる以外の選択肢はない。どこにどうやって逃げるか、そして散り散りになったらどこで落ち合うかを決めておくわけだな。
「……多勢に奇襲を受ければ守り切るのは無理。ならば予め示し合わせた場所に落ち延びて、生き残ることを最優先させるべきでありましょう」
なるほど、趙厳は正しい。では呼廚泉はどうだと視線を投げかけてやる。
「十人一組で行動し、郷には火をかけるなどで混乱を起こすなどして離脱をはかる。その上で東へ向かうのが良いかと」
「ほう、理由は」
「風下であり煙幕の効果が期待できるのと、追撃を受けた際には朝日を背にして戦う選択も可能ゆえ」
「うむ! 良いな、二人ともとても良いぞ! もしはぐれでもしたら最寄りの郡都近くにでもいるんだ、それがどの地であってもな。その上で、各城南門の門番に言伝をするなどで連絡を取り合うことも想定しておけ。門番に報酬を払うのも忘れるなよ、伝える時も聞く時もだ」
というやり方が前にあったのを覚えていたので付け加えておく、身の心配がない武猛の徒だから気楽なものだがね。そんな一言でも、真面目な二人は大きく頷いていたのが印象的だよ。
28
翌朝まで変事は起こらなかった、いや起こせなかったというところだろうか。夜中でも郷の者がちらほらと様子を見に来ていたという報告は受けている。あちらも妙に警戒が強くておかしいと、動くのを見合わせたんだろう。何も無ければそれはそれで構わないんだ。
「長官、偵察が戻ってきています。数名未帰還が」
「どこかで足止めでもされているだけだろうさ」
こんなとこで命を落とすような弱兵ではない、それを俺は知っている。朝食を交代で採りながら、まずは報告を促す。
「黄巾賊ですが、ここ陳国でその勢力を伸ばそうと動いているのですが、少し妙な噂が」
「噂?」
「はい。相の政策が急変して民を虐げるかのようなものが発されているからと、住民が困惑をしていると」
荀彧殿が? それは誤報だろう。取り敢えず言葉を挟まずに、聞くことに集中した。
「百日ほど前から締め付けが厳しくなり、徴発が続いていると。最初のうちは必要なのだろうから仕方ないと協力していたのに、今は疑念が渦巻いているようです」
「そこへ黄巾賊が入って来たと」
「はい。協調するものが出ては来ているようですが、入信するまでは躊躇しているものも多いようで」
それでか、こいつは何かあるぞ。放置は出来ん、様子を見に陳県に行ってみるか。
「わかった、郡都にも偵察を出しておけ。官吏と接触はさせるなよ」
「畏まりました」
食事が終わるとさっさと三楼郷を出て行ってしまう、それがお互いの為だろう。こちらの存在が漏れているのは確かだ、黄巾賊らがどうでてくるか。南東に進路をとる、左右を山に挟まれている細い街道だ、ここで挟撃を受けると戦術的に面白くない。
「呼廚泉、三方三里に偵察を出せ」
「伏兵が居ると?」
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