第350話
呼廚泉に向けて走る、喉を狙って突いて来るそれは一切の手加減を感じない。正確すぎるぞ! よけようとせずに真っすぐ進むと、右の小手を喉のやや前に出して軌道を逸らしてやる。
「なんと!」
趙厳が腿を狙って突きを入れて来る。俺は呼廚泉の懐に肩から入り込むと背を丸める、趙厳の突きを胸の前でかわす程に低い姿勢でだ。左手で呼廚泉の左手をとり腰を入れて背負い投げの変形のような感じで趙厳の方に投げ飛ばしてやる。受け止めるともかわすとも行かず、一瞬躊躇した。
その後、投げられたくらいではどうにもならないと脇に身をよけてこちらに向き直る。趙厳の顔めがけて、今さっき拾った小石を右手で投げつけてやった。すっとかわすと突きが一瞬遅れる、近距離ではその僅かな差が大きく結果を左右させる。棍の先端が完全に突き出される前に、足の裏で踏みつけるようにしてやり軽く跳躍する。
派手な音を響かせて体当たりを受けた趙厳がその場に転倒する。腹の上には俺の膝があり、目の前には拳。呼廚泉は起き上がってはいるものの、二人で出来なかったことが一人で出来るはずもない。
「そのあたりで良いでしょう島将軍。さすが国士無双ですな!」
それは呂布の為の言葉だぞ、まったく。膝を退けてやると立ち上がり首をコキコキとならす。
「息の合っている動きの二人だった。ほんと将来が楽しみだよ」
余裕のコメントに二人が膝をついて畏まった。ふう、小さく息を吐くと二人の肩に手を置く。
「お前達は、そこらの軍を率いている武将らに負けず劣らずの良い腕をしている。ここから十年、いや五年の経験を積めば負かせる奴を探すのが難しい程に磨かれるだろう。期待してもいいか」
「最大限の努力をお約束致します!」
真面目そのものの趙厳が、精一杯の返事をした。呼廚泉を見ると「部族の未来の為にも、必ずや!」何を目指しているかを吐露して誓う。これがこいつの根底にあるんだろうな、いいさまるごと皆の未来をその手で切り拓いて輝かせてみせろ。
「島将軍はこれからどうするつもりで」
「実のところ城に戻ったところで俺にはこれといった仕事はないんだ。なあ趙厳」
州の政治は荀彧らに任せ、陸軍は文聘、水軍は甘寧に任せてしまっている。騎兵は北瑠に完全に投げているしな。外交ってガラでもない、つまるところは居ても居なくても関係ないんだよ。
「将軍が居られるからこそ皆がまとまっているのです」
まあそう言うしかないよなこいつは。肩をすくめておどけるも、一緒になって笑って来る奴はナシか。
「うん、少し遠出しようかと思ってね」
「遠出? いったいどこらへ」
於夫羅が不思議そうな顔をする。どこっていわれてもな、そうだな……行ける先もあまり多くはないぞ、やはりここは感謝の気持ちを伝えに行くに限る。
「陳国の荀彧殿の顔でも見に行くとするか」
「しょ、将軍、冤州を出られるのですか!」
おい趙厳そう驚くなよ、ただの思い付きだぞ。うーん、だからか? ここに居るのが張遼や荀彧ならば笑っていただろうな、付き合いが長いのを思い知ったよ。
「そうだな、刺史がうろうろするのも恰好がつかんから、偽名を使うとするか。いやわざわざ偽ることもないか、個人的な行動ってことで龍を名乗ろう。長官でもいいぞ」
黒兵らは島長官と呼ぶが、今回は龍長官と呼ばせよう。そういう意味では趙厳だけは枠の外だな、呼廚泉もか。
「はっはっはっは、面白いな! うむ、呼廚泉に匈奴兵百を与えるゆえしかと龍長官に学んで来い」
「承知しました、於夫羅単于!」
「ま、その前にここで軽く一杯するくらいの時間はありそうだがどうだ於夫羅」
口の端を吊り上げて挑発すると「ほう一杯で満足するのか?」話に乗って来る。やっぱり俺はこっちの方が好きだよ。その日は夜中まで皆で飲み明かすことになった。
◇
南匈奴兵と黒兵を引き連れて俊儀を出て南の開封へと行くと、そこから南東へ山林を進む。潁川の北東ギリギリをかすめてだ、その先に何があるのかというと長平があるんだよ。つまりは後半からは一度は通ったことがある道だ、山々の景色などが何と無く記憶にある。
そこらをうろついている鹿やイノシシを狩りながらの行動で、たまに郷によってみたりで気ままに動くと七日とせずに長平の平たい城が目に入った。懐かしいったらありゃしないな、寄りはしないが十年二十年くらいじゃ何も変わらんな。山を一つ越えたあたりで大休止だ。
「龍長官、賊の姿が多く見受けられますので警戒を強めます」
「ああ、趙厳の思うようにやれ」
軍隊を使うのになれさせる為に行きたい先を示すだけで殆ど丸投げしている、黒兵は趙厳だが南匈奴の奴らは呼廚泉が命令を出していた。子供の延長のような部分はあるが、兵等は馬鹿にするわけでもなく素直に従っているな、血筋のせいだけじゃないだろう、思ったよりしおらしいって印象だぞ。
「呼廚泉は南へは行ったことはあるか」
「いえ、南匈奴の地で生まれ育ち、幽州で過ごした後に中原です」
「ふむ。必ずそうすべきことでもないが、やはり様々な地を見た方が良い。知るということは素晴らしいことだぞ」
時に知らない方が良いこともあるが、そう思えるのは知っていることが多いからだって思っている。上手くは表現できんが経験こそが全ての土台だ。
「すると長官は中華全土を巡ったことが?」
「呉のあたりは行ったことが無いな」
大きなことを言ったくせに、そんなものかと思われているんだろうな。どこまで理解出来るかはわからんが、漏らしてみるか。
「中華だけが世界ではないぞ」
「確かに匈奴や鮮卑に羌も」
「南には南蛮があり、東の海を越えた先には日本、中華の端から端の距離を五つほど越えた海の先にはアメリカがあり、同じだけまた海を行った先にはイギリス、その先にはフランスがあり、トルコ、インドを越えて羌に戻って来る」
「そ、そのような遠方に?」
今まで見せていない驚きの表情は歳相応か、努力して作っていたんだな。
「ああ、俺は世界の七つの大陸を旅し、十以上の国の言葉を喋る。国々で人は大きく違うが、共通の部分もある」
「それは一体」
じっと呼廚泉を見詰める。こいつはゴクリと生唾を飲み込んで動かない。
「家族を愛する心は、今も昔もこれからも、どの種族でも一緒だ。基準が無く困ることがあれば思い出せ、それだけは決して裏切らん」
「羌渠単于が子、於夫羅単于が弟の呼廚泉、その言葉を決して忘れはしません!」
「なに、必要な時にだけ思い出せばいいさ」
表情を崩して微笑んでやる。ガチガチにすることなんて無いからな。それにしても趙厳のやつ随分と遅いな。遠くを見ていると伝令がやって来る。
「趙厳様より言伝です。賊徒の姿が近いので偵察に出てくるとのこと」
「そうか」
伝令を下がらせると呼廚泉に視線を向ける。お前ならどうする、というやつだぞ。目を細めて数秒思案すると「部族兵に待機をかけろ」近習にそう言い放つ。
「俺は常々、物事を甘く見るなと言ってきたが、呼廚泉は慎重だな」
「我々のような少数の部族は、いつ族滅を受けるともわかりませんので」
わかれてやって来たのが数万戸ということは、居ても十万人の部族。兵力にして防衛で無理して一万ならば、確かに温いことはやってられんな。腕組をして暫く、大きな異変はなく趙厳が戻って来た。だが平穏無事といった感じではないな。
「長官、この先の山を三つ先にいったところに山賊の集団が屯しています」
山三つとは随分と追いかけたものだな、まあいい。
「詳細を」
「石楼山と呼ばれている場所に凡そ二千程の賊徒が集まっていて、ちらほらと黄色い布を頭や腕に巻いているので黄巾党かも知れません。全てという感じではありませんが、目立つくらいは混ざっています」
混ぜるな危険な奴らなんだ、恐らくは黄巾賊だろうな。二千ということは大きな集団の支隊か、或いは自然発生したようなやつか。いずれにしても仲良くはなれそうにないぞ。
「ただ集まっているだけなら放っておけばいいが、どこかを襲うつもりというなら見過ごせんな」
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