第344話
「朱儁将軍、直ぐに来ることかなわず申し訳ない。東部の賊を相手にしていたもので」
当然知っているものとして話している、勅令が出ている以上耳に入らないはずがないからな。真っすぐ聞こえていない可能性だけはあるが、そんなことは後回しだ。
「なに、こうやって再会できているんだ、何を謝ることがある。向こうに場を用意してある、一杯やりながら話そうじゃないか」
断る理由も無いので、典韋だけを連れて離れの部屋に入る。部屋と言っても独立した小屋が城内にあって、壁があるので盗み聞きされることもない。そういった造りの場所があちらほらとあるのは、文化の違いだ。この時期の文明とも言うかも知れん。
朱儁も一人だけ武官を連れている、護衛は護衛なんだろうがどちらかといえば戦闘用部将というよりは、どこかの家門の子弟のような感じがした。根拠はない、勘だよ。年は三十代半ばくらいか?
「はは、紹介しておこう。太原郡の王林、字を公師だ、司馬を任せている」
「初めまして恭荻殿、王林で御座います」
「ああ島介だ。こいつは典韋、俺の宿営司馬だ」
何であれ宿営やら宿衛がつけば、側近の護衛だと解るようになっている。主人を守るために居るという名前だからな。
「恭荻殿のお噂は、兄より度々耳にしてございます」
「そいつの兄は司徒の王允殿だよ」
怪訝な視線を見せると代わりに朱儁が応えてくれた。ほう、あの王允の弟か、ならば武具をつけた文官にほど近いんだろうな。司馬ではあっても統率が仕事なだけだ。ある時に名前を出してから、三度王允を高く買っている発言をしたのが、荀彧らから伝わったんだろうな。
「無学な無礼者だと言われているだろうさ」
「かの荀爽殿や陳紀殿が認める人物であると、兄も賞賛して御座いました」
「同姓同名の別人だろ、俺はそんな立派な人間じゃない。二人とも座れ」
朱儁もそうしろと頷いたので腰を下ろす。雰囲気としては和やかだ、ぶつかるような要素もないからな。
「わざわざ来てくれたことに感謝をする。聞いているだろうが、敵の防備が厚くて前に進めん。一度は洛陽を手にしたが、あの荒れ果てようは何とも胸が痛い」
「孫策の話で聞いただけしかないですが、これが都だったのかと思えるほどだったとか」
あいつは元気にしてるものかね、ふさぎ込むような奴じゃないのはわかってるが、間が空くとつい心配になる。もしかして俺も歳なのか?
「筆舌に尽くしがたい有様だよ。異民族に攻め込まれたわけでもないのに都が焼かれるとは、一体俺達は何をしていたのだ」
朱儁将軍はこの結末に悔恨を抱えているようだな、それもそうだろ、止められるだけの地位も能力もあったはずだから。俺にだって責任の一端はあるんだ、あの時、呂布と董卓が目の前に居た、そこで奴らを縊り殺せばこうはならなかった。
「過ぎたことを悔いても仕方ありません。焼け落ちたなら復興させればよいだけです」
「ふむ。それもそうだな。過去を振り返るのは、未来をより良くさせる時だけで良い」
全く同感だ。やはり朱儁将軍とは軸を同じくしている部分が多いんだろう、何苗将軍もそうだったが案外良い人材を高官にしていたんだな。失ってしまったが何進大将軍も周りの意見を容れられる性格だったしな。
「私は冤州だけでなく、豫州にも治安をもたらさなければなりません」
言うべきことを後回しにする必要はない、きっと通じる。じっと瞳を見詰めると、ゆっくりとそう言ってやったさ。
「後背が安全だと解っただけでも大収穫だ。こちら方面は俺が何とかする、奴らとて一枚岩ではない、どこかで空中分解することもあるだろう」
うむ! 見えているのか、先の大混乱が。こいつの未来はどうだったか、全然記憶にないんだよ。でも確か俺が最初に転生して来た時に、梅県に攻めてきたのが朱儁の息子だったな、そう言えばあの矛をくれたやつが王従事とか言ってたような気がする。朱太守に仕えないかとか言ってた、朱儁を前面に押し出してきてなかったということは、その時点でもう落命していたんだろうな。
「……董卓が命を落とすとしたら、朱儁将軍ならばどうします?」
ただの雑談でも、世迷いごとでもなく、真剣にその可能性について語っている。馬鹿にするでも、否定するでもなく目を細めて朱儁も想像している。
「武装闘争をやめ、入朝し政治で争う」
歴史は繰り返される、そういうことなんだろうな。皆の想定通りきっと全てを捨てて劉協の元に行ってしまう、それ自体は俺にとっても嬉しいことだが、そこまでで終わる悪手だ。権力というのは武力という背景があって初めて生かされるんだ。
「今どのような任についているかは不明ですが、元の近衛校尉李儒殿は我等と同じ思想を持つ人物です。確実な人物が必要な際には頼られると良いでしょう」
「承知した。島将軍がそう言うならば信頼する」
一切疑わずか、この人はやはり他者を惹き付ける何かを持っているな。惜しい、だがどうにも出来ん。こうして国は滅びていくのか、切ないものだ。
「洛陽復興の際には、必ず駆け付けます」
「そう呼びかけることが出来るよう、俺も最大限の努力をしよう」
共に盃を傾け席を立つ。勝手な感覚だが、会うのはこれで最後のような気がする。長い人生、たったの一度だけでも言葉を交わすというのはかなり印象が違うものだ。昔を見知っているだけに、悲しみが止まらん。
◇
数日で小黄の屋敷に戻ると直ぐに荀彧がやって来た。こちらの様子を一目見て何かを感じたようだ。
「朱儁将軍、いかがでしたでしょうか」
「うむ。時代の荒波に飲まれるのは誰にも止めようがないのだと無力さを痛感したよ」
長く生きていることはないだろう、そう直観したのを表現した。これといった言葉もない、恐らく荀彧だって何かしらの想いはあるだろう。
「肝要なのはその意志でありますれば、何卒お気を落とされませんよう」
そうだな、意志こそが重要だ。感傷に浸るのは早い、まだ一つ二つ山を越えただけだぞ!
「陳留からの援助物資が届いていましたので、民に分け与えております」
「早いな、張太守が速やかに手配してくれたか。春小麦が収獲出来れば安定する、それまでの辛抱だな。そういえば英という名だったか、土壌改良の経験がありそうな奴らが兵にいた」
今の今まで思い出さなかったが、呼ばないと名乗り出ないだろうな流石に。
「左様で、直ぐに探させましょう」
「それと於夫羅の奴らはどうしている?」
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