第340話

 ふむ、軍従事か、ということは太守の意を受けての行動で間違いなさそうだ。流民らがこちらをじっと見つめている、心配するな今解決してやるさ。


「何故街道を封鎖している」


「太守の命を受け不穏分子の陳留への流入を差し止めているゆえに」


「ここに居るのは漢の良民、だというのに留め立てするのはなぜだ」


 こいつらは俺との約束を守り、国家を裏切ることなく耐えている。小勢だと押し通ろうとすれば出来ないことも無かったろうに。流民は数万、だがあの陳留軍は精々千か二千だからな。


「農民は須らく土地に根付き、離れることを許されてはいない。ならばこれを受け入れる理由がない」


 きっと言っていることは正しいんだろう、荀彧がじっと黙っているというのが証明みたいなものだからな。横車を押すようなことはしたくはないが、全ての責任は俺にある、いくらでも糾弾して来い。


「張升は俺を知っているか?」


「潁川太守恭荻将軍殿でありましょう」


「俺は官である前に孫羽長官の後継者だ。この民は俺が庇護を与えると約束した、全責任を持ち引き受けるとな。封鎖を解き小黄へ通せ」



「出来ません。農民らを通せば規則に反します」


「それは間違いだ。こいつらは全て島介の使用人、我が郎党ゆえ他所の農民扱いをされるのは心外だな。ここに来い!」


 流民の代表らが近くに見えたので目線を合わせて声を出す。すると大切にしまわれていた『島』の軍旗一流と、印鑑が捺されている布を手にしてやって来る。そのまま張升のところへ持って行くようにさせると、布を見て恭荻将軍の印だと認める。


「そんな。ですがお通しは出来ません!」


「俺は賊を鎮め、漢の民を援けよと勅令を受けている。その良民を苦しめる者こそが賊であり、官吏であるならば官賊とみなしこれを排除する意志と権利と能力を有している。これ以上留め立てするようであれば、賊を認め殲滅するぞ、どうだ!」


 兵らが矛と盾をガンと一度ぶつけて威嚇をする。拳を振りかざした以上はもう引き下がらんぞ!


「むむむ! ……我等も、良民に刃を向けるつもりは御座いません。どうぞお通り下さい」


 仕方なくではあるが張升が軍を左右に退かせて首を垂れる。役目もそうだがこいつは軍に対しても責任を持っている、ここで全滅など選べるはずがない。


「軍従事張升の熱心な勤務を称賛する。以後も職務に励め。荀彧、民を通した後に糧食を振る舞ってやれ」


「御意。この数に振舞っては手持ちが枯渇してしまいますが」


「構うな、小黄は直ぐ近くだ、伝令を走らせ食糧を用意させろ。手持ちを全て使い全員に配布するんだ」こちらを見詰める荀彧に「馬鹿な真似をしたと笑っても構わんぞ」


「是を是と謂い、非を非と謂うを直と曰う。民であろうと決めた者らを援けることを良しとし、それを遮るものを非とする姿勢をどうして笑いましょう」


 真面目な顔で腰を折り礼をする。こいつは俺を買いかぶり過ぎだ。


「趙厳! 移動に助けを必要とする者が居たら手を貸してやるんだ、食糧は全て使い切るから馬車に乗せてやっても構わん」


「お任せ下さい将軍!」


 こういう役目ならば喜んでと言わんばかりに駆けてゆく。さてこうなれば張貌との面会もやりづらいが、だからと会わないという選択肢はない。何はともあれ屋敷に向かうとするか、数万の流民をどうやって定住させたものかね。


 出した伝令が夜中に戻って来ると、さすがにその数を屋敷のある山に受け入れるとは思っていなかったようで、準備に時間が掛かるとの返事が来た。そりゃそうだ。幕に荀彧を呼び出すと、こちらをみて微笑している。


「俺が何かを言う前に内容がわかっているかのようだな」


「それなりの時間を共に過ごしたと自負しておりますので」


「そうか。ではあの数をどうしたらいい」


 割とガチ目にな! 黙って寝起きするだけでも場所は必要だぞ、それだけの広さは流石にないからな。詰め込んでも五千人が精一杯だろ。


「小黄県は平野部が大きく、県城の南には耕作可能な地が御座います。その地を分け与えては」


「それで自活可能になるのか?」


「早根の根菜や芋で繋ぎ、麦の収穫を分け合えば可能でありましょう。それらの種もみや、育つまでの食糧援助は必要になります」


 一年とは言わんが、半年で先が見えるようにはなるわけか。ここにそんな備蓄はない、これを何とかしなきゃならんな。


「食糧難の時代だ、分けてくれとか貸してくれと言ってもおいそれと是とは言わんぞ」


「冀州の韓馥殿をお頼り下さい」


「つい先日そうしたばかりだ。また無心するのはどうだ」


 だってそうだろ、済北に食糧を運んでそれをばらまいたんだ、舌の根も乾かないうちに足りないからまた出せとはいくら何でも言えんぞ。すると荀彧は頭を左右に小さく振る。


「私腹を肥やす為に財貨を求めたのではなく、民草の今日を満たすために使っているのです。韓馥殿もわかって下さるでしょう」


 うーむ、とはいえ言い出しづらい。いくら何でも虫が良すぎだ。しかめ面していると微笑んだ荀彧が提案して来る。


「ではこうしてはいかがでしょう。宝飾や美術品の類を冀州に送り、交換で食糧を求めそれを与えるのです。これならば対等な取引と言えるでしょう」


「ふむ、それならば使い方次第でより以上にもなる。蔵にあるものは何でも利用して構わん、速やかに食糧の供給が行えるように手配をするんだ」


「畏まりました」


 足元のことは全て配下らに任せてしまい、俺は陳留城へと向かうことにした。張貌と直接話をするためにだ、非常に気が重いがやらなければならないならば早めに済ませてしまう方が良いだろう。騎兵のみ五百を引き連れて、城へと入る。


 歓迎されているかというと、それを望む方がおかしいよな。敵視されているわけでもない、単にまねかれざる客という手合いなだけか。無礼があるわけでもないからな。


「よくわからんがこんなものだろうよ」 


「陳留殿は良からぬことを企むような方では御座いませんよ」


 口を閉ざして先導されるがまま内城へと入る。僅かな供回りと一緒に城主の間にやって来たが、あまり文武の者らが多いとは言えんのだな。椅子から立ち上がると拱手して名乗りを上げる。


「先の連合戦以来でありますな。張孟卓が来訪を歓迎いたします」


 丁寧なあいさつを受けたならば応じるのが当然だ、名乗りも隠す必要はなかろう。


「仮の冤州刺史恭荻将軍島介です。急な訪問で申し訳ない」


 これといって表情を変えることも無いのでしっかりと発信が届いているようだな。あれこれと細かい任官もあったりはしたが、現在はこの二つのみが有効だと割り切っておこう。


「冤州東部での黄巾賊の鎮圧、お見事でございました。民に成り代わり礼を述べさせていただきます」


「泰山、東平、任城、済北あたりの黄巾賊は全て落ち付いた、残るのは良民のみ。それゆえに尋ねたいのですが、何故陳留への避難者らを阻害したのでしょう」


 報告は届いているだろう、避けては通れん一件だ、真っすぐに触れておこうじゃないか。


「それでありますが、黄巾賊が接近していると報を受けておりました。ところが恭荻殿の言うように国家の良民であったと聞き、愕然としておりました。そうと知っていれば苦しめることも無かったというのに、孟卓の不徳でしかありません」


 いけしゃあしゃあとそんなことを、部下がやりました、か。チラッと荀彧を見てみると意外な顔をしていた、怒るわけでも謀るわけでもない。本当に齟齬があっただけなのか? こいつが指摘しないんだからそうか、ふーむ。


「着の身着のままで逃げ出してきたので、こちらで当座の食糧は渡したものの、収穫までは持ちそうにありません。張貌殿の援助を願えないでしょうか」


「飢えて苦しむ民が居るならば助けるのが官の役目。喜んで援助致しましょう」


 おっと、挑戦的な物言いをしたつもりだぞ、これはどうやら俺が間違っていたようだな。いともあっさりと受け入れられてしまったので拍子抜けしてしまう。


「すまなかった」


「急にどうされました?」


「自身の勝手な思い込みで恥ずかしい態度をとっていたことを詫びさせて頂きたい」


 拳礼を以て謝罪する。そんな唐突なことにもにこやかに「恭荻殿が謝罪と仰るならばお受けいたします。ですがこちらからもお詫びを。私にもそう思われるような言動があったのが原因でありましょう、どうぞお許しを」拱手して何故か謝罪されてしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る