第339話


 なるほどな、荀彧の親父さんをか。そりゃ荀彧の口からは言いづらかろう、だが人事としてはすこぶる良さそうだ。済南国相として地に根付いている、ここの太守くらいは難なくこなすだろうからな。より大きな地で潁川太守ということなら張遼も文句を言うまい。


「よし、そうしろ。と言っても勝手にやっていいもんなのか?」


 今さらだがね、前は色々とあって自由に事後承諾で済んだんだよ。今は情勢が違うし制度が生きているわけだからな。


「冤州刺史劉岱殿の代わりに冤州を善導する為に仮に刺史を引き継いでおり、その為潁川太守を辞して後任に張遼殿を推挙する。その上で、相が不在になるので済北は県令として赴任している荀紺を指名、任城相には甘寧殿を指名する、ということでは」


 俺の立場としては刺史が良いわけだよな、将軍はそのままだからこれはいい。済北と潁川も良いだろう、任城だな。甘寧にか、太守を任せるのは少し不安はあるが、城のすぐ傍に大きな湖があるから水軍の調練には最高の場所なのは間違いない。


「それで良いとしてだが、甘寧だけでは今ひとつ落ち着かんが」


「では公達殿に補佐を依頼してはいかがでしょう」


 荀攸殿か、確かにそれなら甘寧も反発しないだろう。というかそちらを太守にした方が遥かに納得いくんだが、荀氏から済北に陳、任城までとなれば別の問題がありそうだな。


「引き受けてくれるならそうしたいものだな」


「では私からそのようにお伝えしておきます。小黄の件も含め、陳留太守張貌殿とは一度直接話をする場を設ける必要が御座いましょう」


 それな。いつまでも近くでふわふわとしたことをしてもいられん、近づくにしても反目するにしても言葉を交わしておく必要がある。俺の身体は一つしかないんだ、優先順位を決めて他の誰かで良いことは任せるべきだな。


「張貌とは速やかに面会する、その後に朱儁将軍とだ。冤州の現状を確認し、政治を整え治安を取り戻すのは東半分は荀攸殿に、西半分は荀彧に任せる。潁川と陳の軍勢は張遼が総括して訓練を担当だな。小黄に州府を置いて、州軍は文聘、典韋、趙厳、牽招に訓練させよう。私兵については北瑠に任せておけばいいか」


 頭数こそそこそこな状況になって来たが、ここ一番を任せられるのはやはり張遼と甘寧だけだな。それにしたって政治が絡むと途端に怪しくなる、十全を求めは出来ないが経験不足が祟りそうだよ。


「それらの線で適切な官職を整えておきます。時に、徐文嚮殿でありますが、確かに有望な者かと」


「おお、そう言えばそいつが居たな。あれでただの農民だったというんだから眉唾な話だが、実際はどうなんだ?」


「姓は徐、名は盛、字を文嚮。閃きはあるものの学は無く、その実直さと勇壮さは茜でも有名だったようです。驚くことに小作農でして、嘘をついている様子もありませんでした」


 うん? 徐盛、徐盛、どこかで聞いた名前だな。うーむ……味方でなく、俺が戦った記憶がないなら魏の南東部に張り付いていたか、呉の武将になるな。そう言えば江南に行こうとしていたみたいなことを言ってたか、なら呉の将軍に違いないぞ。となるとこいつも水軍の適性を持って居そうだな、違っても別に構わん。


「そうか。徐盛だが、甘寧の下に組み込んで水軍を担当させるぞ。きっと上手くやる」


「我が君がそう仰られるならばそのように致します」


 若干の疑問はありそうだったが、些細なことなので聞き流すことにしてしまったようだ。取り決めることばかりで実は全く朱儁の件には触れてなかったな。


「で、朱儁将軍についてだが、兵や物資を送るという中途半端なことではないよな?」


 ようやく本題だ。こちらに進めは中央関連の新たな争いに突入し、これを見過ごせば冤州閥とでも言えるような強化と、恐らくは予州の支配に乗り出していくことになるぞ。二兎を追う者は一兎も得ずとはいうが、この乱世では二兎でも三兎でも追って行かねばならんな。


「戦いとは刃を以てのみ行うものでは御座いませんので。まずは朝廷に貢物を送り、各種の追認を得ます。そして胡軫殿、徐栄殿と相国殿の仲を裂く動きをするのが宜しいかと」


 離間策か、それは道理だ。敵が大きい程に効果もまた大きい。義息子の牛輔を遠ざけることは出来なくても、胡軫、徐栄ならば充分目がある。そういえば董卓は裏切りで死んだんだったな、でも王允の策ってので呂布がやったんじゃ? あれは漫画だけの話か?


「それはそれでいいんだが、王允殿はどうしているか知っているか?」


「司徒殿で御座いますか。先ごろも我が君は司徒殿をお気にかけておられたご様子でしたが、此度も何か」


 ああそうだ司徒だったな、冤州のことに集中しててそのあたりはすっかり頭から消えてるんだよ。あいつが居なければ董卓は死なない、それだと困るんだなこっちが。


「きっと宮廷でもどうにかして董卓を除こうと考えている者が居る。政治的に無理で、戦争をしても無理。ならば手立ては限られる」


「暗殺でありましょうか。呂布殿が常に侍っているので、かなり困難かと存じますが」


「そうだな、呂布が居ては暗殺など無理だろう」


「ではどのような?」


「難しく物事を考えるからそうなる。発想を逆転させるんだ、その呂布が董卓を切るとしたら一体誰が止められる?」


「なんと!」


 答えから逆算したズルだよ、すまんないつも。この状況でも同じように謀反が起こるかの確信はないんだが、そうなってくれると信じてるよ。余裕の笑みを浮かべていると、荀彧が様々な可能性を何度も検証しているのが伺える。


「……呂布殿が些細なことで相国殿に手槍を投げつけられたと耳にしたことが。恨みを持っているやも知れません」


「そんな呂布だって男だ、女が泣き付けば案外宗旨替えするかもな」


 王允の娘だったよな、貂蝉というのは。傾国の美女というやつだ。


「むむむ。陳留につくまでに少々手筈を整えさせていただきます」


 思考モードに入ったか「ああそうしてくれ、俺もやることが出来たからまた後でな」そういって解放してやる。そうはいったものの特にすることはないんだよな、こんな時はふらつくに限る。


 任城を甘寧に託して山陽郡、済陰郡の郡都に寄って陳留へと戻る。平原ど真ん中の二つの郡はこれといって大きな問題は見られなかった、太守等も至って平凡、良くも悪くも味が無い。こういう奴らが席次を埋めてこそ平均というのがあげられるのは理解しているぞ。


 現在上手く行ってるなら口も手も出す必要が無い、ただ挨拶をかわすだけでそのまま。といっても荀彧の奴は馬を止めるたびに忙しそうに書簡のやり取りをし続けている、一々内容を聞きはしないが相当色々とやっているぞこれは。


 済陰の西端、冤句県から陳留の東端、済陽県に入ろうかという山林の街道から遠くに人だかりがあるのが目に入る。どこかの軍勢かと斥候を出すと驚きの報告がもたらされた。


「あれは済北、泰山などから陳留を目指している流民たちです!」


 いくら歩みが遅いとはいえ、二カ月以上も前に出発してまだこんなところというのもおかしい。今度は五倍の偵察を出して流民に接触させて状況を調べさせることにした。山林に野営をして翌日の帰還を待つ。簡易幕に偵察騎兵が入って来ると、片膝をついて声を出す。


「申し上げます! 流民は陳留軍により入境を阻まれ、域外に仕方なく滞在しているようです。手持ちの食糧も無く餓死する者も現れ、不安にさいなまれている様子!」


「荀彧、どういうことだ」


 難しい顔をして言葉を選び「陳留太守殿が治安の悪化を嫌い、多数の流民の流入を拒んでいるのでしょう」恐らくは事実であろう内容を突き付けて来た。流民には俺の印鑑がある布を渡してはあるが、あれが有効なのは小黄に入ってからだ、まさかここで足止めを食らうとは思ってもいなかった。


「太守の裁量の内というわけか。だが面白くはないな」


 あからさまに表情を歪める。俺の印鑑がどうのではないぞ、民がこうやって苦しんでいるのに手を差し伸べてやらんとはどういう了見だ。太守が責任を負うのは郡の民であるのはわかる、だが官服をまとい高官であるならば漢という国家そのものに責務を感じるべきだ。


「我が君、どうかお気持ちをお鎮め下さいますよう。陳留殿も悪気があってこうしているわけでは御座いませんでしょう」


「言われなくてもわかっている! 行くぞ」


 陣を引き払わせ騎乗すると、先頭に立って街道を進む。流民らが軍勢に驚き散っていくので「典韋、軍旗を高く掲げろ」その存在を明らかにする。


「はい、親分!」


 堂々と進んでいくと、旗印を見た流民が「あれは島将軍だ!」声を上げる。それが伝播していき群衆が集まって来た。街道を封鎖している陳留軍の目の前にまで行くと軍勢を留め置き、一人で前に出る。


「ここの主将はどいつだ!」


 呼びかけると騎乗した中年が進み出る。身なりは良い、兵等も従っているところから官吏なのは確かそうだな。


「我が名は陳留軍従事張升、恭荻将軍島介殿とお見受けする!」


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