第334話


 騒ぎを無視して移動をそのまま続けて暫くすると趙厳が戻って来る。慌てた様子はない、大したことじゃなかったか。


「どうやら賊が姿を見せたので、斥候隊が追い散らしたようです。これといった被害はありません」


「こちらを見て仕掛けてくるような賊はこのあたりには居ないらしい。まあいい、たまにそういうのが出た方が警戒もし甲斐があるだろ」


 適当なことを言って終わりにしたが、黒兵らが苦笑しているのが目に入った。敵が居ない方が良いのはわかってるよ、だがそれじゃ訓練にもなりゃしないだろ。こちらが崩れない位の問題が起こるのが実は一番好ましい、現場にとっては迷惑な話なんだろうがね。


 移動しては県で兵を集め、野営時には訓練を施し、ぐるっと東を遠回りして泰山の最南端、南城県を西へ抜けて僅かな山を越える。ここが最初で最後の山越えにしたいものだな。


「東海郡の合城が見えてきました!」


 話によればここらあたりは南北に縦長に入り組んでいて、瑯耶、泰山、東海、魯、任城と五つの領城が横一線で僅か三日の距離にあるらしい。湖隣、平地、河、平地、河、山裾、山向こう、地形によって分断されているので、現地を歩けば概ね納得する。


「城には『馬』の旗が靡いておりますので、賊の侵入は防いでいる様子」


 なぜ馬ならそうなるのか、きっと馬氏とやらの封地とかなんだろう。基県、公丘県と進んだところでついに兵力が一万を超えた。任城まであと一日の距離までやって来た、現状がどうなっているか四方に長距離斥候を出す。朝一番で騎馬兵が戻って来て早速報告を上げて来る。


「申し上げます。任城国軍は敗走し、鄭遂様は討ち死に、辺りには黄巾賊が跋扈しております!」


 想定通りなのはわかるが、見殺しにしてしまった責任は俺にあるんだよな。今さら悔いたところで何もならん、そんな感傷に浸るのは全て終わった後で良い。


「任城城はどうでしたか」


 荀彧が傍に立っていて、騎兵へ質問をする。


「『漢』『任城』の旗を掲げ、門を固く閉ざして籠城している様子です!」


 主将なしか。県令がどこかに伝令を走らせて、助けを待っているんだろうな。それで誰に求めるかというと、劉岱ってことになるのか? あいつは今頃なにをしているのやら。


「して、黄巾賊の頭目は」


「はい。孫観、呉敦、尹礼、孫康らの四頭目がこのあたりの軍を取り仕切っているとのことです。その数五万!」


 ふーむ、誰だそいつらは。何はともあれあとはそれらを叩きのめせば概ね解決なわけだよな。これぞ脳筋思考、だが世の中そんなものだろ。そいつらが仲良く連携しているわけではないだろうから、一度、二度蹴散らせば退くだろうさ。


「賊らの駐屯地を探り出せ」


「了解です将軍!」


 騎兵は退くと外で待っている奴らに命じて、再度の斥候に出るようにと言ってるのが聞こえて来た。


「任城に入るべきだと思うか?」


 ある種の思考を探るために軽く問いかける、荀彧が俺の常識を修正してくれればそれでいいんだ。どちらでもいいと思ってるんだ今は。


「利点と欠点がそれぞれに御座います」目線で先を話せと進めさせる「入城することにより任城を失う危険性がほぼなくなるでしょう、拠点としても利用可能です」


「まあな、あちらに賊が居るならそうするのがやりやすい。このあたりには少ないんだ、任城に集まっているんだろ」


 それはそうだ、そのうえで欠点だって気づいてはいる。どちらがより良いのか、情報が不足していて判断がわかれるんだよな。


「欠点としましては、入城することで城兵らの危機意識が下がり、その後に離れて行動することになった際に、守り切るという意志が後退する可能性が御座います」


「うむ!」


 それか、それはあるな。助かったと緊張の糸が切れたら、今まで出来ていたことが急に不明になるのは個人でも集団でもある。一度そうしたら暫くもとには戻せないしな。自力で維持できているうちはる方が良いな。


「外でこちらが引き付けることで、城への援けとしよう」


 攻撃の圧力が減ればそれだけでも充分だろ、直接的なことだけが全てじゃない。黄巾賊の頭目らを討ち取りたいな、残された兵というか民は地域に定着させれば農民に戻る。その日の夕方に偵察が戻るまでは休養に充てることになったが、新兵の調練は行われた。


「地図を持ってこい」


 黄巾賊の本営らしき場所が判明した、雛県の西にある東西に延びている小山が連なるところだ。今現在居る場所の北東だな。丁度予州と冤州の境目、この山が予州で北側が冤州になる。


「山地であれば木を伐りだすことが出来、暖を取れますので恐らくは」


 ああ、そういうことだったのか。これだけ寒いんだ、火はいくらあってもいいからな。賊は山に隠れなきゃならん決まりでもあるのかと思えるほどに巣くっているが、そういう理由があったのか。


「甘寧、お前ならどうする?」


 俺的な定番の一言だ、これで随分色々と解るものなんだぞ。地図の上に沢山の小石を用意して、黄巾賊と官軍に色分けし、それぞれの主将が居る場所に旗を立ててやる。視覚的な感触は充分だ。


「西は任城、それに湖があるから大きく行けない。東は泰山が広がってるな。てーことは、東から攻め込んでやればあいつらは逃げ場が南北の平地しかなくなるんじゃねぇか」


 ふむ。山に逃げ込まれると面倒なんだよな、攻め込む方向はそこが最善だろう。しかしこれだけでは粘りが足りない手立てと言わざるをえん。


「趙厳はどうだ」


「統率を乱す意味ならば暗夜未明が仕掛けどころですが、賊を討伐に来ているのです、早朝明かりがさしている時に始めるべきでは? 山間は歩兵で、平地に逃げ惑う賊は軽騎兵が仕留める。東の山には官軍の旗を多数立てるなどの偽兵を計略するのもいかがでしょうか」


「結構だ。荀彧は」


 理性的な作戦立案能力が高いな、ここまできちっと下準備が整えば危ういこともなさそうだ。甘寧の方は感覚で動けるから乱戦での指揮能力や、突発的な時は動きが光るだろう。比較的俺は甘寧と軸を同じくしているぞ。


「それらも宜しいでしょう。我等の軍は補給が充足しているという優位点がございます、それを生かし戦うというのはいかがでありましょうか」


 おっと、そうだな。わざわざ相手の土俵で争う必要はないんだ、陣形を作りづらい山地で争うよりも、平地で戦える状況に持って行くべきだ。それを待つだけの物資もあるんだからな。


「真っすぐ泰山へ逃げられるのは愚かな行為だ。甘寧、お前は雛県を後方地にし、この飛び出した山地の東端に山陣を構えて意地悪く移動の邪魔をしてやれ。三千を預ける」


 なお内訳で千だけが元からの正規兵だが、こういう防御の役目は移動が少ない分訓練が不足していても運用しやすい。土木工事は多いがね。


「山塞の確保か、俺向きな役目だな。あっちが鈍い奴なら仕掛けても構わねぇか?」


「好きにしろ。ただし、お前が留守で陣を抜かれるようなことだけは許さんぞ」


「わかってるさ」


 本当か? こいつが詰めて居れば万が一にも突破はされんだろうが、調子に乗ってどこかに行ってしまえば死に物狂いの奴らが殺到して逃げられることだってあるぞ。


「結果で示せばとやかくは言わん。残りはこちら側、南の平地にある大坪郷で賊を監視する。平地に降りてきたら順次討伐するぞ、北側にぞろぞろ流れるならそれはそれで構わん、向こうは平野が広がってるだけだからな」


 逃げ隠れ出来る山にさえ入らなければ、後はどうとでもなる。いずれにしても食糧不足で直ぐに動かなければならなくなるはずだ、山で戦う必要はない。


「我が君、東平、山陽、魯の三郡へ黄巾賊への警戒を促してはいかがでしょうか。平地へ迷い込むようならば、包囲することが可能に」


 いつもならどうにもならんが、今は勅令軍だからな、ある程度はこちらの要求を飲まなければならん立場なんだろ。こちらの指揮下には入らないが、包囲する為の軍は配備するくらいは。


「そうしろ。大坪郷に真っすぐ全てが向かってきたら、こちらが不利になるな。黄巾賊の頭目らが連合して、動きを一致させればだが」


 そんなことはないと慢心してしまえば、その万が一が起こるのが世の常だ。俺はその時にどうしたら勝てるかを考え用意しておく責任がある。だが少々懐疑的だな、うーむ。


「大坪郷は小さな城域しか持ち合わせておりませんので、注意が必要でありましょう」


 おっと、荀彧にダメ出しをされたか。糧食を積んでおいて守れるのだけでも有効だが、戦闘の面では集中されればそこまで頼ることはできない。城外陣地を増築したとしても、基本となる部分がやはり気になる。

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