第329話
兵士に尋ねてみる、そこらにあれこれと聞きまくって「恐らくは五百歩から六百歩かと」緊張して答えて来た。すると歩幅六十だとして、三百メートルから三百六十メートルあたりか。こちらのほうが高さもある、やれない距離ではないな。
「少し離れていろよ」
側近らに注意を促すと、先ほどの布の端を握って石ころを吊り下げる。ゆっくりと回し始めて徐々に加速させると目標を睨む。勢いが乗ったところで布の端を離すと、石ころがそのまま空を飛んでいった。それは真っすぐ黄色い旗のあたりまで飛んでいき、立っていた人間が倒れた。
「おお!」
兵士たちが驚きの声を上げた。こんなに離れているのに石を飛ばした俺と、旗のあたりで慌てている奴らを交互にみている。
「寝起きの運動としてはまあまあだな。お前達もやる時は、周囲の味方に気を付けてやるんだぞ」
軽口を残して場を去ると、妙に騒がしくなりあちこちで布を求めて走り回りだした。単調だった任務に刺激が加わったようでなによりだな。
「我が君、投擲とは。それにしても凄まじい飛距離」
「道具と慣れがあればあと百歩か二百歩はいけるぞ。便利なものだろ、何でも使いようだ」
荀彧が何事かを思案し「いずれ急造の軍を揃える際には、投石部隊を複数設置するのも良いかもしれません。訓練も短く費用も少ないので」未来について言及してきた。防御力は皆無で、汎用性は全くないんだが、まあいいか。
「選択肢の一つではあるな。朝飯にしよう」
鍋で材料を適当に煮ただけのものが提供される。これに少量の塩をいれて出来上がりだ。基本、煮ると焼く以外の調理法はない、蒸すことはあるが手間がかかるので軍隊の、それも戦闘中では行われない。満足する仕上がりではないが、口に出来るだけマシだと思いはらにおさめた。
「あと二日も相手をしていてやれば変化もあるものかね」
「なければこちらから打診をいたしましょう」
軽く笑って頷いてやると、柔軟体操をして幕に戻った。将軍がうろうろしていると兵士が休めないからな。大人しくしているさ。ある日のこと、こういうときに語り部が居ればと思ったことがあり、適当に傍に呼んであったので語らせた。少しでも常識が身に付けばよいなという部分もあるんだぞ?
争いを始めて暫く、ようやく変化が訪れた。民衆が攻撃をやめて少しばかり距離をとったのだ。さて何が出てくる。木柵の後ろで外を見ていると、五十歳か六十歳くらいに見える男が進み出て来た。あれが指導者か。
「我は青州黄巾党の領導者、貴殿らは何故我等の行く手を阻むのだろうか」
問答を仕掛けて来たか、応じない手はないな。赤兎馬を連れて来させて、黒兵を五人と典韋を引き連れて門から外へ出て姿を見せてやる。典韋には『島』の軍旗を掲げさせた。
「俺がこの軍の主将だ。ようやく出て来たか」
3
争う為に前に出てきたわけではないのならば、話し合う為にここにいるわけだからな。相手を説得なりをするときには、まず聞くことだ。
「そちらから見て我等はどう映っているだろう?」
禅問答のような投げかけでは無くて嬉しい限りだよ。実はこの時代、結構な数の奴らが農民を見てゴミだのクズだの言い出すわけだから恐ろしい。数が多いのはそういう常識があったりするからなわけだが、俺は好きなようにするさ。
「怒りと悲しみを持った漢の農民。行き先を失った迷い人。縋るべき何かを求める者」
こいつらは別に国家に背いているわけではない、かといって政治から外れた存在ではある。だがどこに向かうかは決められていないからな。
「こちらからも問おう。お前達はどうしたいのだ」
集団である以上は支離滅裂な返答は出来ないぞ、望みがあるならばそれがかなうならば敵対も出来ん。こちらが実現できないような無茶を突き付けるのが関の山だろう。民衆がざわつく、何かが起ころうとしていると敏感に察知しているのかも知れんな。
「我等は共に生きたい、我等は共に信じたい、我等は共に得たい」
一つの集団として扱えということか? 信じたいは宗教でも何でも構わん、生活の糧を得たいならば政治を得るべきだぞ。若いのも居れば年寄りもいる、男も女も半々だ。
「俺は勅令を履いた将軍だ。お前達は漢という国家に背きたいのか? それとも国家に寄り添いたいのか?」
腹の底から声を出して一人でも多くに聞いて貰えるようにする。戦場だったこの場、一瞬だけではあったが静寂が流れた。懐疑的なんだろ、知ってるよそんなことは。
「共に生きられる道を行くのみ」
「ではお前達は天を信じるか? それとも人の言うことを信じるのか?」
天とは唯一、その天から地上を任されているのが天子である皇帝だ。教祖らを信じ、教義のみを信じるというならばそれはそれで構わん。何を考えているかがわからないのが一番良くないんだ。
「教義を奪われさえしなければ、我等は共に信じたい」
荀彧が目を細めてやり取りに注目している、言葉の意味を一字一句記憶して今後に生かしてくれそうでなによりだよ。俺は宗教には寛大だ、勝手に信じる分には好きにして構わん。大勢の邪魔をしなければの話だ。
「何かを得るためには何かを失う必要がある。生活の糧を得たければ、地に腰を据えて働かなければならん。お前達はその覚悟があるか?」
「土地を追われた我等がまたそうなれるならば、我等は得たい」
赤兎馬を数歩前に出して多くを見渡してやる。やせ細った病人と見間違えるような奴らが大半だな。矛を高く掲げると典韋も軍旗をより高く掲げる。
「良かろう、この俺が約束してやる。お前達が漢の民であろうとし、政治に従うのであれば全て面倒を見てやる!」
「……言葉のみであればどうとでもできましょう。我等はそうやって奪われ続けて来た」
それはそうだ、こんな口約束はいつでも反故に出来る。立場が逆なら俺だって命を預けたりはせんぞ。だが!
「陳留は孫羽将軍が後継者、島介が誓う! 志続く限り、約定は決して破られはしない!」
黒騎兵が進み出ると矛を掲げ「島将軍! 島将軍!」と連呼する。冤州を目指してきた者達だ、孫羽将軍のことは知っているだろう。羽長官の残光も、これを最後としたいものだ。
「なんと貴殿が噂に聞く、あの!」
「選べ! 俺と戦い滅ぶか、俺と共に進むかを!」
幾ばくかの無言の時間が流れると、手にしていた棒や刃物をその場に捨てて民が膝をついた。領導者を名乗っていた男も、同じように膝をつく。
「今を以て、この地の賊は全て鎮圧され、漢の民を保護下においた! 荀彧!」
「はっ!」
後方から小走りでやって来ると、赤兎馬のすぐ隣で拱手して畏まる。
「良民を陳留へ誘導する手配を行え!」
「御意に!」
指名されて満足といった顔だな、こういう役目は武官よりも文官にさせるべきだ。荀氏の名声も利用させて貰うぞ。それから十日ほどだ、泰山北東部の黄巾賊が次々に恭順を申し出てきたのは。応劭太守に相談し、食糧を分けて貰うとそいつらに施してやった。穴埋めはそのうち冀州から届いたらしてやるさ。
張遼と北瑠、そして郭嘉を済北へと向かわせた、騎兵千と歩兵五千を与えて。そのせいでこちらは騎兵七百に歩兵五千しか残らない。
「これで戦うのは構わんが、賊を鎮圧するってのは一苦労だな」
聞こえるように漏らしてやる。とはいえ張遼に無茶をさせたくはないので、こちらにこれ以上兵を寄せることはできない。荀彧が傍に寄って来る。
「鄭遂殿が差し迫った際に最大の危険があるでしょう」
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