第327話

 そういえばそうかも知れん。今日の我が子を生かすためなら、理解していても目の前の食糧を口にする。これは決して愚かなことでも何でもない。俺の考えが浅いだけだな。


「全てを整合させられるという程俺は傲慢ではないつもりだ。だが、手を伸ばせば届くかもしれない答えを諦めるほど従順でもない。一時の汚名を甘んじて受け、いつか過去を懐かしむことが出来るようにしてみせる」


 孔明先生はやったんだよ、蜀で内政に努めて余剰を産み出すことに成功したんだ。ハートランド、いわゆる安全地帯があれば条件がぐっと良くなる。このあたりの地続きな地形では難しいな、政治力があればもしかすれば、といったところか。


「我が君の御意に。黄巾党でありますが、十人程の指導者らが存在しているようで、それぞれが数千の信徒をまとめております。と言いましても、教義は大まかで集団は緩やかに合同しているだけ」


「ところでその教義ってのはどういうものなんだ?」


 存在だけは何度も耳にしているが、教えが何かは聞いたことが無いぞ。御大層なことを掲げているのかも知れんが、何か参考になれば程度にだな。


「太平道の教えとは、良きにしも悪しきも全ては己の行動次第、善を積み重ねることこそ肝要であり、静かに部屋で己を見詰めるというものであります」


 おいおい、全然教義に沿っていないんじゃないか。そんなのは解釈次第なんだろうが、大暴れして地域を荒しまくっている事実は、どう考えても善行じゃなかろうに。


「甘寧はどう思う」


「ん、そうだな、誰にでも出来そうなのを混ぜ込んで、あとは誘導するだけで集団をまとめられる便利な内容じゃないか?」


 ふむ、そういう見方もあるか。それなりに練られている組み合わせだったんだな、俺はごめんこうむるよ。


「その十人の指導者、序列はあるのか」


「ございません。並列している善導者といった立場のようで、合議制ともまた別のようです」


 面倒だな、個別の集団が同じ方向を向いているだけという感じか。一人が良しとしても他は否を唱えるのもあり、継続性や連続性を無視していいなら、生き残りを目指す集団にとって最適な方法ですらある。


「では、黄巾賊の武装具合はどうだ」


「およそ原始的な武器を手にしているだけで、技術力を必要とする投射兵器などは殆ど持っておりません。石を投げたり、木の棒で叩いたりが大半かと」


 だからと甘く見てはいけない。投石は死傷者を充分だし得る最古の武器で、決して笑えるようなものではない。棒で叩くにしても、負傷して反撃出来ない状態ならば、死ぬまで延々叩き続けるという結果だって多々ある。その場に留まろうとする意志さえあれば、そいつらは戦力だ。


「甘寧、兵士二人に一人の割合で、竹束で作った盾を装備させろ。投石対策だ、まともに衝突するような戦いはわずかだぞ」


「石を防ぐだけなら、蔦を編んで外套のように羽織れば、背中は守れるな。矢にはなんの効果もない上に、かなり見すぼらしいけどどうだ?」


 すだれのようなもので背中を守るか、重量的に問題はないな、材料も手間も大したことはない。見た目など俺は気にせん、勅命を帯びた軍だからと嫌がる奴は居そうだ。有効な防具になるならば、ここで丸一日製作に時間をかけるのもいいな。


「よし、採用だ。今日から明日の昼間にかけて、各自で防具を作らせるんだ。気位が高い奴が居たら発狂しそうになるだろうが

「わかった、任せてくれ!」


 戦闘のことは実はあまり気にしていない、勝ったからどうなんだってところなんだよな。どうやって指導者らを説得するか。いや、説得しようということがダメなのかも知れん。


「なあ荀彧、結局のところ黄巾賊らも、農民として暮らせるならそれを受け入れると思うか?」


 あまりにも重大で、それでいて外しては行けない何か。予想をしてそれが的外れだと、万単位で死人が出るだけの大惨事になる。荀彧は真剣に未来を読もうとした。


「条件があるでしょう、受け入れるための」


「というと」


「言葉での約束だけではない、具体的な内容の示唆は必須でありましょう。曖昧なままで右往左往させられるのを、きっと嫌がるはずです」


 空約束で痛い目をみせられてきたわけか、結果を先延ばし先延ばしにされ、最後は有耶無耶に。なるほどそいつは憤慨して許すことも出来ん。


「その内容とは」


「何時、何処で、誰が、何故、どのように、何をしてくれるか。それともう一つ」


 どこかで聞いたことがある並びだな、確かにそれらを決めなければいつまでも陽の目を見ることは出来無さそうだ。しかしもう一つか、少し考えてみるとしよう。


 良く問われていたのは、費用のことだ。どこから予算を持ってくるつもりだってやつだな。現状俺の財産は限られていて、全部くれてやっても二年とせずに消えてしまう。やはり公費をあてなければ話にならん。


 だがもう一つとはこれのことか? 俺の答えは別に用意したいところだぞ。目指す先を示すには、ここで収まっていては未来もない。


「そのもう一つとは」


「実現させるために必要な資源をどう都合するかで御座います」


 爽やかな笑みで模範解答を口にしたが、俺はそれにピクリともしなかった。様子に気づき「我が君のお考えは?」こちらの意図を確認しに来た。


「無論そいつも必要だ。だが俺の答えはそれらに加えてもう一つ、どれだけの規模を求めているかだ。一握りの者達だけを指して行動しているのか、それとも――漢という国全体を目指しているかだ」


 真剣な眼差しは、かつて劉協に取り戻した国の姿を見据えている。皆が一つの理想に向けて協力する、一度出来たことが今出来ないはずがないぞ!


「ああ、文若はその言葉に胸を打たれました。小手先の知恵で、近い未来しか見ていなかった自分が恥ずかしい。これぞ我が君、どうぞこれからもお導きを」


 膝をついて拝礼してしまう。直ぐ目の前にいき手を取って起こしてやる。


「ただの大言壮語だ、実現するためには荀彧の助けが必要なんだよ、共にやってくれるか」


「是非も御座いません」


「やっぱあんたは器が違うな。俺が下でいいと思えてるんだからよ」


 実はそんなやつが勘で生きていると知ったら絶望ものだな。非常識で何もかもが欠落しているんだ、そんな大層な男じゃないぞ。


「なに、全て上手く行った時に初めてそう思え。それまでは口ばかり達者な上官だと思っておけばいいさ」


 笑みを浮かべて二人が席に戻る。具体的なところは何を示せばよいかはわかった、では中身だな。


「可及的速やかに、冤州は陳留、済北、或いは泰山で、俺を主軸に太守らが、未開地や放置されている地を使い、生業を与える。原資は俺の財産、郡県の公費を当て込み、年を経て全国で流民を定着させる。これを大方針とする。どうだ」


「これで納得しないならば、どのような代案があるかを問いただせばよいでしょう。あとは指導者らと直接話を出来る為の素地をつくるのみ」


 荀彧が太鼓判を捺してくれたんだ、こういうものなんだろ。眼前で上手に説明することが出来るかはわからんが、大枠さえ示せば後はこいつがやるだろう。


「出てきた奴らをぶちのめせばいいんだよな?」


 いや甘寧、それはどうだ。ただ違うと即断できない部分を孕んではいるんだよ、素直に話をきいてくれるはずがないからな。それこそ先入観か? 実際に相対してみないとわからんか。


「指導者らは、その思想を認められその地位についております。論をぶつけられては無視するわけにはゆきません。ですが甘寧殿の言うように、その場に辿り着くまでには荒事もございましょう」


 なるほど、政治的な思想を問われたら無視していては指導は出来んか。そしてそれが合致すれば動かざるを得ない、そこだな。


「なに、行けばわかるさ。向かって来る奴は撃退しろ、だがこちらからわざわざ仕掛ける必要はないぞ。指導者らの耳に届くように呼びかけを行う」


 方針の策定を行い、その日の軍議を終えた。もし武力で対抗して来るだけの武装集団というならば、それでも構わん。その時は叩き潰すだけだ。


 空は太陽が昇り始め、朝方の気温は肌寒い。それでも時間が経つごとに過ごしやすくなってきて、昼頃には上着を脱いでも平気なほどになった。カラカラと竹がぶつかる音があちこちから聞こえてくる。部隊の中をうろつくと、竹盾を綺麗に着色までしている者が居た。


「おお、随分と良い出来だな」


「ん、そうだろ……って、しょ、将軍!」


「なにも畏まることはないぞ、こいつはお前が作ったのか? ちょっと見せて貰ってもかまわんか」


「ど、どうぞ!」


 緊張が激しいな、若い兵士だ。こちらを見る目が恐怖や憧れなどでパニックになっているな。どれ。竹に色がついているのは炭か。表面を焼いてザラザラにしたところに、ノリに焼き炭を入れて貼り付けた。見た目は重厚に見えるがどこまでいっても竹なことに違いはないな。


 しかし隙間は詰まって水を通さないか、こいつは別のことに転用できそうな気がするぞ。石を弾くだけのもので充分ではあるが、こういうプラスアルファは気持ちがいい。


「器用なものだな。これを塗布することで違いがあるのか?」

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