第321話

 こちらが力を持つのは面白くないが、さりとて国家が崩壊すると折角手に入れた頂点の地位が無意味になる。強力になりすぎないように命を懸けて働けとほくそ笑むんだろう。


「まずは相が療養で不在になっている済北国の賊を退け、この地の支配を確立致します。実力を以てしてその平穏を取り戻せば、相の解任と任命を上奏することで認められましょう」


「仕事をしていない奴がいつまでも権限を持っていると多くの者が迷惑を被るわけだからな、朝廷でも却下する理由がないわけか」


 仮にそれで鮑信が慌てて戻って来たとしても、こちらが譲る姿勢をみせずに非を問えば返答に詰まる。そんな醜態をさらす位ならば潔く身を引くだろう。ということは、今までの功績を述べて相から別の官職に移すまでがセットか。


「鮑信殿は光禄大夫に推挙しておけば、赴任はしないでしょうが格式は上がり形の上で不備もありません」


 そいつは高級な議郎のようなやつだったか、まあ名誉職という奴で実権は何一つないようなのだな。


「相には張遼を推挙して、軍を預ける形で構わんか」


「はい、そのように。張遼殿か甘寧殿かと考えておりました。公達殿に補佐をお願いし、文聘殿を副将にでいかがでしょうか」


 荀攸殿が傍に居てくれるなら心配はないな、平定の後に統治か、文聘ならば上手い事やるだろうが、ここで一つ経験を積ませたい奴がいる。


「文聘ならば出来るはずだ、だが牽招にやらせてみたい。あいつも権限を与えれば伸びるはずだ、直ぐ傍に俺達もいるんだ、失敗しても挽回出来るうちに任せてみたいがどうだ」


「後手を踏んでも賊が相手ならば確かにやりようは御座いますな。でしたらそのように致しましょう」


 うんと頭を縦に振ると認める。ここで見事にさばけないようならば独り立ちは難しかろう、その場合は副将として動くのが限界だと諦めるさ。そういうポジションの奴だって必要だ、誰かに付ければそれで確度があがるような人材がな。


「して、済北国を得た事実があり、朝廷より討滅の承認がありますれば、任城国も泰山郡もこちらが兵を入れるのを拒否することは出来ません。以後は治安の安定化を口実に駐屯を続ければ、事実上の支配が可能になりましょう」


 まずは済北、ここが上手く行かないようならばそもそも俺の存在意義はない。任城相と泰山太守、その二人が俺をどう受け止めるかで先が変わるな。


「太守等がこちらを煙たく思えば新たなる争いの種にしかならんが」


「泰山太守応劭殿は清流派の人物、そして文士であり本来は朝廷で学派を立てるような方。平穏をもたらすならば我等を厭うことはないでしょう」


 文官が兵を率いて盗賊と戦うか、それが学者というんだから河南での話を思い出すな。この頃の者達はみな必死に国を助けようとする心を持っていたのかも知れん。時代が進めばもう漢という国は過去のものとして見られていたからな。


「そうか、では鄭遂は」


「東より寄せて来る黄巾賊、任城では恐らくその力に対抗出来ないかと。良くて敗戦、悪ければ討ち死に。そのような者には発言力もありますまい」


 視線を伏せて述べる。つまり助けるな、負けるのを確認してから軍を動かせというわけだな、あの様子では仮に助けに入っても賊の圧力に押されてしまうわけだ。


「ある程度時が経てば、即ち真冬の降雪があれば賊は勢力を失うわけか」


 外は秋、一か月もしたら雪がチラつく日も混ざって来る。冷え込んでくれば戦いどころではない、冬を越す為にどうにかすることしか考えてなどいられないだろうな。無言で認める荀彧を前に、目を閉じて腕組をして思考する。


 戦い蹴散らすのは出来る、簡単とは言わんが出来る。そうしたところで解決することがあるとも思えんが、武功を確立する事実にはなりそうだ。一度は戦わねばならんが、その後は無理にそうすることもない。済北でだけは武力を使い、それ以外ではからめ手を使うべきだ。


 黄巾賊は労働力であり、蜀で喉から手が出るほど欲しかった人口という資源だ。これらが居つくには土地と仕事があればいい、初期の食糧もだな。


「なあ荀彧、多くの農民を入植させるのに小黄は狭すぎるだろうか?」


「ふむ、なるほど。五万人程でしたら何とかなるでしょうが、黄巾賊の数はその十倍以上、陳留郡というならば足りるでしょう」


 俺が強い影響力を有しているのはたったの一部なんだが、郡そのものを指していうとは、そこも奪えって話か。張貌には恨みもなにもないんだが、さてどうしたものかね。


「張貌はよくよく陳留を統治し、董卓に対峙する際もまた懸命だった。昨今、袁紹や曹操に肩入れした事実はあるが、決して国家を裏切ることなく真っ当な道を踏み外すことなくやってきている。小黄で足りなければ、張貌に事情を説明し、協力を得る努力をすべきだ」


「ははっ、文若にお任せを」


 陳留は劉協が王になった地で、羽長官が居留していた地でもある、我を通すにしても脅すではなく願うところだ。あいつなら嫌とは言わんだろうさ、頼られると断れない性格なのかもしれんぞ。ただそのせいあって部下の負担は大きいだろうな。人のことは言えんか。


「俺はいつになったら劉協と笑い合えるんだろうな……」


 あいつが無事に過ごせるのはわかっているが、心は蝕まれていくのもまた事実だ。いつか立ち直れるのも知っているが、だからと辛い毎日を送るのを黙って見ているしかない自分が悔しい。


「我が君、天子への献上品を贈られてはいかがでしょうか」


「献上品だって?」


「はい。然るべき伝手を通し、臣下として天子へ奉じる。董卓と言えどもこれを阻害することは出来ません。きっと我が君のお心を伝えることが出来ましょう」


「そうか。そうだな。相応しい品を見繕うんだ、先の賊討滅の件とは別に行え。順番は賊の件の後、そしてこちらに結果の沙汰が届く前にするんだ」


 何かの下心があってやってわけではなく、結果の返礼でもない僅かな瞬間。俺の純粋な気持ちだってのがきっと伝わる。手紙の一つでも送ってやりたいが、こちらはきっと途中で破棄されてしまうからな。


「お言葉の通りに」


 方向性を決めると居残りと従軍を決め、軍勢を率いて北上する号令をかけた。初平二年十月下旬、まだまだ夢は覚めそうになかった。


 軍勢を率いて潁川から陳留へと足を踏み入れる。ここからがそうだという線が引かれているわけでもないので、これといっていつそうしたかはわからない。まずは己吾県を目指している、そこで一泊する予定なので典韋は先に走って戻っているようにさせた。


「しかし、潁川からこんなに軍を抜いてきて大丈夫なのか?」


 黒兵らは別としても、歩兵一万を率いている。これは純粋に潁川からの兵力であって、他所に遠征するような手合いではないぞ。傍らに侍っている荀彧、恭荻長吏という職についていることになっていた。


「治安をもたらし、法を整備し、兵を集めましたので問題ございません」


 余裕がなくなるのは良いことじゃないが、過剰な食い扶持が出て行くのは悪くない。特にこれから真冬が訪れる、食べ盛り中心の若いのが居ないのは負担としては減るわけだな。


「そうか。ところですっかりそのままにしてあるんだが、孫策の別部司馬やら、従事中郎とか司馬の属はどうなるんだ?」


「任官させたのであれば、解任するまではそのままで御座いますな。別段心配は御座いません、名目と実務の差が多少出るだけのことです」


 空席だが役目はあるから、次席が執行するだけってことか。元よりその官位があってこそ認めるって感じじゃないもんな。職を求める側が気になるってくらいか。


「ならいいが。あれだな、早いところ済北だけでも制圧しないと行動不能になるな」


 風は冷たいが雪はまだ降って来ない、三十日の猶予があるだろうが、早くもなれば遅くもなる。そんな不安定な中、地理不案内でふろついているんだから首元も寒くなる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る