第319話

「それは奇遇だな、私もだよ。潁川殿、後任が決まるまではどうぞそのまま印綬をお持ちください。その上で冤州の件、我等荀氏が全力で支援させて頂きます」


 一人ずつ目を覗き込んでいくが、誰も目を背けようともしない。まったく、モノ好きな奴らだ。


「せっかく平和が訪れたってのに、どうして危ないことをしようとするのやら。荀氏というのは変わり者の集まりだったのか」


「さてどうでしょうか。文若、速やかに冤州の情報を集めるのだ、潁川の職務は私が全て受け持つゆえ自由に動け」


「畏まりました、仲豫殿。我が君はどうぞお休みください。奉孝は私と情報のすり合わせをするのでついてきなさい」


 やれやれ、まあ良かったと思うとしよう。今日は仕事は休みにするか、だからと身体がなまっては仕方ないな。


「典韋、訓練場で相手をしろ、運動して夜に一杯傾けるぞ」


「へい親分! 俺だけじゃ全然なんで、兵にも訓練つけてやろう!」


 その日、典韋と百合ほど打ち合った後に、城兵二百人程と乱取りをすると、無傷で全員に一撃を入れることになって伝説を築いてしまった。うーん、最近調子が上がって来てるんだよ、不思議なもんだな。


 まだ冤州の情報が揃わないからと時間が欲しいそうだ、そんなわけで俺は長社の甘寧のところにやってきているぞ。水軍の訓練と山岳兵の訓練をここで行っているのを一度見ておこうと思ってな、供は典韋だけと思っていたが、黒兵がそれはやめてくれと懇願するから百騎だけ一緒に行動している。


 孫堅の死を知り俺のことを重ねているのかも知れん、保身も一つの役目だとしておくとしよう。そういう意味では典韋はやはり護衛までの人材であって、俺の命を預ける体制としての長は別の者を置くべきなんだよな。大人し目で実力があり、任務には多少のずうずうしさをみせる奴か。誰が良いのやら。


 城の出入口まで来ると下馬し、黒兵は中に行くように命じて、俺と典韋で城外の訓練場があるところまで歩いていく。河港である津が見渡せる丘、そこらの農民が手を休めて訓練を眺めていたりもするぞ。腕組をして遠くから小舟の動きを見ていると、茶屋のような場所で休んでいる若い男が目に入った。


「典韋、俺達もあそこで休むとしよう」


「へい、親分」


 藤製の椅子に腰を下ろして「親父、茶と饅頭だ」適当に声をかける。こちらに気づいた若い奴がチラっと視線を向けて来る、目が合ったので軽く会釈をした。文聘や荀彧らと同年代か、旅装のようにも見えるが。


「俺は久しぶりにここに来たんだが、何か変わった感じはするか?」


 適当に話しかけてみる、元のことを知らないから変な問いかけになってしまったが、そいつはにこやかに答える。


「そうですね、盗賊が減った。これならば戻って来ても良いかなと思っています」


「ほう、ということは帰郷者か。なんだかんだ言っても、最後は生まれた場所で暮らしたいと思うような気がするよ。それまでは世界をみてまわるのも良いがね」


 茶をすすって過去を振り返る。日本で生まれ育ち、世界中を駆け回り、帰国を禁じられてから、それが解かれた時にはどれだけ嬉しかったか。故郷というのはそういう存在なんだよな。


「はは、世界と来ましたか、それは素晴らしい。北は匈奴らが暮らす広大な草原があり、東は大海原が延々と続き、南は森林と山岳が連なり、西は砂漠と嶮山が阻んでいます。あなたは余程冒険好きらしい」


 肉まんを頬張っている典韋を見て、こいつらはそういう時代のそういう世界に生きているんだよな。


「与太話程度に聞いてくれ。俺はその東の海の向こうにある東海島で生まれ育ったんだ。今ではない時、凍土に閉ざされた地を彷徨い、砂漠を駆け回り、森林を這いずり回った。ここ漢という国も、この世界では一地方の一つの国でしかない。世界には百以上も国があり、ここより広い国土を持って居たり、高度な技術を抱えている民族も居る」


 人数だけで行けば間違いなく世界一という話にはなるが、この時代でもそうなのかね? 米が人口を支える鍵だって聞いたことがあるが、食糧問題は人類とセットってことなんだよな。雑談と思って話したが、若い男は驚きに満ちた顔でこちらを食い入るように見ているぞ。


「私は徐福と申します。あまりにも興味深いお話で」


 徐福なんて聞いたことが無い名前だな、まあ人のことは言えんのだが。へぇと聞き流せないような性格なのか、それとも異常を看破できる知識の持ち主なのか。


「親分、お代わりしてもいいか?」


「ああ、好きなだけ食え。何なら持ち帰り分も注文していいぞ」


 ふふ、っと笑って好きにさせる。確かにこの肉まんは美味いな。食のレベルはお世辞にも高いとは言えない時代だ、たまにいる器用な奴の料理は目の前にいるうちに腹一杯食っておけという感じだ。イギリス旅行でもしている感覚だぞ。


「俺にとっては何気ないことでも、他者には違うものらしいな。ところで徐福殿、あの小舟を見て何か思うところは? 俺が見てもさっぱり何も感じられんが、見る者が見たら感想も違うものだろうか?」


 じっと見られていたし、何かしら話題を振るのはいいが挙動不審だよな。でも実際甘寧の訓練を見ても、陸とは違いピンとくるものが無い。


「長社で育ちましたので。そうですね、あの小舟は対応力が高い良い動きをしております。風が吹けば使いものにならないでしょうが、いざ取り付けば追い払うのは至難の業。交戦というよりは連絡の阻害や、人の輸送を狙っているのでしょう」


「ほう、そうか。戦うなら船は大きい方が良いんだろうし、相応のことをやっているんだなあれは」


 甘寧はきっちりと働いているらしい、水軍を養うならば軍船を手に入れる必要があるわけか。一から作る技術があればまだマシだが、それだって年単位でかかるだろうし、ないものとして扱った方が良いんだろうな。


「大きければよいわけでもありませんが、大きくなければ勝負にはならないでしょう。そのようなご予定が?」


「いいや、全く。俺は地に足がついていないと落ち着かん」


「はは、それはそれは。見たところかなりの大丈夫、お二人ならば仕官も出来るのではありませんか」


 俺と典韋か、確かにどこにでも戦闘部隊で働きたいと言えば、あっという間に採用だろうな。こいつは何を知ろうとしている、それともただの好奇心の類か。典韋が親分と呼ぶからだよな絶対。


「誰かに言われて働くはあまり好みじゃなくてね。徐福殿だってどこででも働けそうだが」


 実際明晰な感じはするし、人柄も素直そうだからな。これで読み書きでも出来れば一生仕事には困るまい。


「水鏡先生の元で学を積めれば良いとだけ思っていますので。ここには母の様子を見に来たまででして」


「はて水鏡先生、どこかで聞いたことがあるような?」


 酔狂先生じゃないぞ、水鏡先生ね。どこで聞いたのか全然思い出せん、ということは記憶の彼方ということか。


「ふむ、それは嬉しいですね。先生の名をご存知とは」


「それって徳操先生のことか?」


 典韋が首を傾げながら茶をすすって尋ねた、というかその後にすぐに饅頭を口に入れるなよ。こいつはこういうやつなんだよな。


「なぜそれを?」


「許先生のところに何度か来てたからさ。司馬徳操先生、人物評価で名声を馳せてる潁川の名士だな」


 もごもごしながらそんな話をする。あのおっさんの友人か、さぞかしひねくれているんだろうさ。あるいは馬謖のように、ねじ曲がった人物には真っすぐな友人が出来たりか? 名前はなんだったか、年の差が凄いなと思ったことがある。


「うーん……向なんだったか、あー……巨達か」


 成都に入る際に一番世話になったな。あの頃に老齢なんだから、もしかしてこの時代なら若者で働いてるんじゃ? いくつ位だ、当時の老人たち、張合とかと一緒なら二十歳そこそこか?


「きょ、巨達までご存知で? 兄弟弟子ですが、あなたは一体?」


「なんだ、あいつと兄弟弟子だって?」

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