第318話

「孫堅殿が保持していた軍勢や官職は、孫憤殿が受け継ぎ袁術の元へと戻ることになりましょう。孫策殿は曲阿で葬儀を執り行い喪に服す、その間は平穏を得ることにもなり、己を強くする時間が取れます。この乱れた時分にあって、己の身の振り方を自身で決められぬことから解放されるのですから」


 世の柵から外れる大義名分を得たということか。それは本当にプラスなのか? いや、こいつらのような学徒ならばそれは確かに良いことかもしれんな。命令されなくなるというのも大きい、死地に赴けと言われることも無い。だが逆を言えば自身を守るために頼れるのは己のみということだぞ。


「喪というと期間は」


「一年か、三年か、もしかするとそれ以上か。全ては孫策殿の胸の内次第でありましょう」


「荀彧、俺の願いを聞いて貰いたい。孫策が害されることはもちろんとして、生活に困窮することも、不当に扱われることも好かん。喪が明けるまでそばで支える者を送ってやりたい。黒兵ではあまりに不適切で俺の手元にはこれといった奴が居ない、どうにか頼めないだろうか」


 荀彧がこちらをじっと見て、大きく息を吸い込む。どうしようもない愚かな発言とでも思ったかもしれんな。


「謹んでお受けさせて頂きます。我が君のそのようなお心こそ、文若がお慕いするところ。どうぞご懸念無く」


 拱手すると全てを引き受けてくれた。孫策が自発的に動く気になるまでは俺が面倒を見てやる、あいつはまだ子供なんだよ、親を亡くした心の傷を癒す時間が必要だ。


「関西でも状況が動いております」荀悦がタイミングを見計らってそう言葉を挟んだ、中国は広いからな、このあたりだけの事だけでは終わらんか。しかし直ちにこちらに影響があるとは思えん「益州に劉為殿が牧として入りましたが、その出入り口である漢中で五斗米道の教主である張魯殿が漢中太守である蘇固殿を攻め殺し、自らが統治すると独立宣言した模様」


 蜀と漢中だな、実はあの辺りは凄く詳しいぞ。何度もあちこちうろうろしたからな、漢中は特に色々と知っているつもりだ。しかし五斗米道とは。


「道教集団の一種であります、新興宗教とのこと。荊州南部方面でも仏教なる新興宗教があるとか。入信には五斗の米を納めることからこのような呼び名に」


 おっと仏教が新興宗教とはね、そうかこの頃に広まり始めたのか。時代を一気に感じてしまったぞ。


「そうか。しかし益州牧が黙っていないだろう、漢中太守を攻めたとなれば」


「それでありますが、張魯は劉為殿の命を受けて漢中を攻めております」


「なんだって? どういうことだ」


 益州に蓋をするような漢中、そこを自分の手勢に攻撃させる。牧なんだから命令すればどうとでも出来る、それが出来ないから攻めたわけか。太守が反乱でもしていたのかも知れんな。


「恐らくは、劉為殿は中央からの連絡を遮断するつもりで漢中太守を排除し、張魯殿に攻めさせた。独立を宣言させることで朝廷からの使者が成都に辿り着けないのは漢中のせいだと言い逃れも出来る。そして張魯殿を除こうとしたそれを裏から支援して守る。そのようなところでございましょう」


「とんだ狸だな。しかしそれでは張魯が随分と得をするかのような動きだ、妙だとは思わんか」


 まずは統治領土が産まれて五斗米道が広められる、表面的には朝廷も、益州からも命令は出ないし出せない。本当に独立しているのと大差がないのに、益州からは攻撃されないなんて変だろ。


「益州自体が独立を目指していることの他に一つ。張魯殿の生母は巫術に優れた美貌の巫女のようでして、それで劉為殿に大層気に入られているとのこと」


 牧の愛人か! そいつは郡一つくらいねだられたら、くれてやるといってもおかしくないな、クソッタレが。変だなと思ったらしっかりと理由があったわけか、まあこちらに影響はない。朝廷の近くで不明の勢力が現れたら、内部でゴタゴタするのが減るかも知れんし、丁度良いかもな。


「話を潁川のことに戻すとしよう。今は落ち着いているわけだが、俺のとることが出来る選択肢を提示しろ」


 完全に置物状態になっているな郭嘉は。情報網というのはやはり年季がものをいうらしい、だが頭の回転だけなら同格だろきっと。


「選択肢は三つ御座います。一つは潁川、陳国の支配を強固にし動かず勢力を蓄えること。一つは朱儁将軍の下に参陣し、董卓打倒を即座に目指すこと。一つは豫州に軍を向け支配地を拡大すること。いずれの場合でも、我が君に全力でご協力させて頂きます」


 荀氏の総意というわけか、事前に荀悦殿と話はついているらしいな。さて、郭嘉にもチャンスをやろう。


「郭嘉、お前はどうだ」


 良いとも悪いとも言わずに、視線を郭嘉に向けて短く問いかける。わかりませんとは言わさん、そして言いづらいから言えないともな。


「乱れた世を制するには、力が、絶対的な力が必要です。正しいことばかりが道では御座いません」


 不穏な発言に荀攸が表情を曇らせる、いいさここで暴言を吐くだけならな。軽く顎をしゃくって先を促してやった、聞いてやるぞと。


「なるほど豫州を支配するのは有効な手立てでありましょう。ですがより困難な道を行き、その先の峻険な地を踏むために、冤州の平定を提案させて頂きます」


 目を細めてその言葉について吟味する、荀彧らは真剣な顔だな「続けろ」聞く価値は大いにある、褒められたことではないというのも解るがな。


「黄巾賊の残党が青州、冤州、徐州を中心に猛威を振るっております。民が反乱を起こす、その理由は簡単で暮らしてゆけないからです。民草は食っていけるならばこうも暴れて略奪することは御座いません。かつて孫羽将軍が冤州に睨みをきかせていた際は、住民はしっかりと暮らしておりました。ところが逝去されて後は重税や悪天候に苦しみ、ついには土地を離れる始末。主殿は孫羽将軍の後継者なれば、暴徒と化している民もきっと希望を持って集うことでありましょう」


「ふっ、羽長官か――」偏屈ではあったが、今思えばきっちりとすべきことをしていたわけか。潁川に在るのは俺が頼られ、求められたからであって絶対ではない。根拠を求められたとしてそんなモノは関係ない、俺は劉協を支えるために存在している「潁川太守の肩書、持ったままだと悪影響だな。随分と短いが辞職するとしよう」


「我が君、豫州を手にした後でも可能な案で御座いますぞ」


「文若殿、確かに二年、いや一年あれば可能でありましょう。ですが! それだけの時間があれば情勢は大きく変化するでしょう、その時になってから後継者だとしゃしゃり出て皆が納得するでしょうか?」


 全ては可能だ、今は。優先順位をつけろってことだよな、豫州は俺じゃなくても出来るが冤州は俺にしか出来ん。劉協という奴は羽長官の願いだ、代えがたい希望だ、これを真っ先にやらずに俺になんの価値がある。


「荀彧! 俺は約束したんだ、羽長官と、そして劉協とな。その為には冤州が必要だ、性急で不安定で要らぬ危険を受け入れることになることは理解している。だが! 俺は志を受け継いだ、回り道など選ぶつもりはない。だが潁川を巻き込むつもりはない、後は好きにしたらいい」


「ああ、我が君。我が君お気持ちは固いのですね……。わかりました、それでは好きにさせていただきます。どうぞどこまでお傍に置いてくださいますよう」


 自身の提案を全て放棄して従うことを選んだか、それなら俺が言うことはない。


「荀悦殿、勝手で済まないが以後のことを頼みます。数日以内に潁川を出ます」


「ふむ、公達どうかな」


「仲豫殿、潁川をこうも助けて貰ったというのに追い出すような形になっては荀氏の恥。それに私は島将軍の力になりたいと思っている」

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