第315話
「父上! どうぞ離脱下さい!」
公孫賛の子か! 二十代前半くらいの若武者が歩兵を切り倒して声を上げている。劉備らは約束を守り部隊だけ戻したか、それは認められるな。
「攻め寄せろ! 軍旗を振れ! 軍鼓を鳴らせ! 公孫賛を討ち取れ!」
「血路を切り開き撤退するぞ!」
双方がごちゃ混ぜになり乱戦が発生した。百や二百位の小規模な集団が、所かまわずに競り合いを行う。部隊間の隙間を縫って幾つもの敵が東側へと染み出していった。追撃するにも歩兵ではうまくない、孫策は何処に居るんだ!
土煙があがっていて、どこに誰が居るのかが全く判別つかない。護衛が少し丘の方へ下がるようにと居場所を移すように要求してきたので登る。それでも煙のせいでほとんど見えてこない、熱気があり風が出ているせいでもある。
追い出すのが目的で首をとるまでのことはない、そう考えていたら上手い事逃げられたな。それで命を落とすならそれまでだが、まだ役目があるならば無事に落ち延びるだろう。
「公孫賛が逃げてゆきます!」
目が良い奴が軍旗を見付けるとそう叫んだ。いいさそれで、あとは戦後処理をするとしよう。
「勝鬨をあげろ、どちらが勝者かを皆に報せよ!」
味方が大いに沸いた、冀州軍が勝利を収めたと喧伝する。丘の上で赤の軍旗が振られると、張合軍が信都へと移動を始めた、程喚もそれに従い軍を動かす。すると城の東門が開いて、城兵が大急ぎで北側へと走って行くのが見えた。残っている奴らは武器を捨てて降伏、地元の守備隊なんだろうな。
丘の西側に取り残された敵部隊、散り散りになって逃げて行くが河が邪魔で殆どが捕えられてしまう。武装解除しその場に座らされると監視をつけて処置を後回しにした。荀攸がやって来る。
「大勝利、お祝い申し上げます」
「これだけやって公孫賛を取り逃がした、大勝利は言い過ぎだろ」
「そうなっても良いとお思いだったのでは御座いませんか?」
つらっとこちらの真意を見抜くのはやめてくれ、命がけで戦ってくれた奴らに申し訳ないだろ。
「さあどうだろうな。信都を取り戻したのは良いが、冀州内にはまだ敵が居るぞ」
「それでしたら、今頃は公孫越も逃げ出しているのではないでしょうか」
じっと荀攸を睨み付けてやる、ここではない場所でもなにかやっていたわけか。遠くまで届く長い手があるのは知ってるよ。
「そうか、じゃあ一先ずは城に入り負傷者の手当てをさせるんだ。そのうえで状況を確認して次を考えるとしよう」
ふん、と鼻を鳴らすとそこいらに散っている部隊の事をすべて荀攸に任せて、典韋らと共にさっさと河を渡って城に向かうことにした。結局、北部の城は騰頓らが攻め取っていたし、公孫越らはそのせいで東部へと追い出されてしまっていたらしい。それならそれで構わんよ、関羽らにはひやひやさせられたが、取り敢えずやるべきことは終わらせたな。
程喚、趙浮、そして張楊らに軍兵を預けると、高邑へと入る。城では韓馥殿が随分とすっきりとした顔で待ち構えていた。側近らも憂いが晴れている、良かったということなんだろうな。
「島将軍よ、よくぞやってくれた。韓文節が礼をいわせていただく、本当にありがとう」
文官一同が全員頭を下げて感謝の程を表してきた、統率は充分、統治ならば俺などよりも遥かに優秀だからな。
「公孫賛を討ち取ることは出来ませんでしたが、冀州の治安は回復しました。あとは従事らにより各地の掃討をするのみ、冀州督を返上いたします」
与えられていた督の印綬を返納する。返さないとゴネられたら無理に取り上げることが出来ない世の中だ、そんなものかとみられているのがよくわかるよ。
「荀氏を頼り、潁川太守を奪うような真似をして済まなかった。これも全て私の力が及ばないからだと痛感している」
韓馥は己の能力の程をよくよく理解しているようだ。才能が無いと言われればそれまでだが、己を把握さえしていれば有能者を左右に置くだけでいいんだぞ。
「軍事は沮授殿、田豊殿を頼り、程喚殿ら軍の従事を率いさせれば宜しいでしょう。矛をとることばかりが武ではありません、冀州程の大きな集団を治めるにはむしろそういう姿勢の方が重要です」
二人が一歩進み出て礼をする。実際かなり適切な行動をしていたし、司令官の役割は果たせると思うぞ。武猛が必要な場面もあるだろうが、それを回避しても結果は出せる。張合がいればそれだって解決だろうさ。
「そうか、その言葉を信じよう。世話になった、冀州の民を代表して今一度、島将軍に礼を」
立ち上がると姿勢を正して拱手した。こちらも腰の剣を一度ガチャっと打ち鳴らしてから拳礼で応じた。そんなところで伝令が駆け込んで来る、顔をしかめた文官が居たが無視してこの場での報告を促す。俺への伝令だな?
「どうした」
「申し上げます! 豫州刺史孫堅殿が、郡県の賊徒を討伐の際に矢傷を受けて横死! 孫賁殿がご遺体を携え、地元へと戻っているところで御座います。これを受け、豫州では賊が勢いを増しております!」
俄かに場がざわつき、孫策が驚きの表情。そりゃそうだ、あの孫堅が賊徒にやられたなどと信じられるはずがない。何かあったなこれは、だが情報が古くなっているはずだ。
「韓馥殿、騎馬を百騎ほど貸してはいただけないでしょうか」
「騎馬でも兵船でも与える、直ぐに領地に戻られると良い」
「ではお借り致します。孫策! 騎兵百を預け、今しばらく休暇を与える。好きに動け」
目の前にやって来ると片膝をついて礼をする「有り難く! 直ぐに発ちます」鎧を鳴らして出て行こうとする後ろを黄蓋もついていくが呼び止めて手招きをする。
「黄蓋、孫策は優秀だ。戦闘経験もあり一人で身を立てられる域に達している。だがまだ若い、心に動揺が走り思わぬ見落としをする可能性がある。支えてやって欲しい、そして困難があれば迷わず俺を頼ってくれて構わん」
「島将軍、何からなにまでかたじけなく。しかし何故そこまで?」
この場の多くが聞きたいと思っていることを口にする。これを声に出来たのは黄蓋の孫策への忠誠心の表れだよ、恐ろしくて普通は言えないからな。
「それはな、ああいう清廉実直な若者が、これからの世を作っていくからだよ。年長者は陰からそうやって将来を背負う者を支えるものだからな、異論は認めるぞ」
「公覆、急ぐぞ!」
出入り口のところで急かして来る孫策の声を聞き、最後にもう一度礼をして黄蓋は行ってしまった。しかし孫堅殿が戦死か、刺史はこれで返上だな。豫州は荒れるぞ、それを治めるのが俺の仕事ではあるんだが、また郡をまたぐのはどうなのかね。帰ったら荀彧が色々と教えてくれるだろう。
「さて、俺達は潁川へ戻るぞ」
「ですが賊徒が蔓延っているならば、兵も無く動くのは軽率というもの。公達に少々お時間を頂けますでしょうか」
「ならば任せる。俺はどうしたらいい?」
「この城で一晩明かしていただければそれで」
城主の屋敷の離れに部屋を宛がわれてそこで一晩を過ごした。翌朝だ、百人ばかりの騎兵が屋敷の外に集まっていた。顔つきがちょっと今までと違う奴らだぞ。
「それでは合流して参りましょう」
詳しい説明はせずに荀攸に任せてしまう、騎馬してされるがままになりふと気づく。郭嘉まで同道していることに。
「おい郭嘉、韓馥殿のところに残らなくていいのか?」
軽く荀攸が笑っている、郭嘉は平然とした顔でこちらを見ているな。
「我が主と決めましたので、お傍で仕えさせていただきます。それに、私は行動をする人物をこそ好ましく思いますので」
いきなりの韓馥下げから始めるか、こいつはこういうやつなんだな。まあいいさ。
「そうか、好きにしていて構わんが荀攸殿の邪魔だけはするなよ。迷惑をかけるとそこが苦労をするからな」
「はっはっはっは。奉孝よ、将軍の仰る通りだぞ、私に余計な苦労をさせるでないぞ」
「公達殿まで、奉孝はそのような童子ではありませぬぞ」
近所のおじさんと子供だな、こういう雰囲気は珍しい組み合わせだ。人の縁というのはどの時代でも微笑ましいものだ。
「かの郭奉孝ですらも、このように接するなど愉快でたまらぬ。これが我等の潁川太守であるぞ、なんとありがたいことか、天に感謝を」
「時に、志才は曹操殿のところに仕官したそうな。東郡の賊滅もあいつの助言らしい」
ほう、曹操のところの軍師ってやつか。この頃の供回りで頭というと、陳宮とか程立というイメージだが違ったんだな。
「その志才というのは?」
「同郷の者です。病を持っているので長くはない身ではあるのですが、それでも出来るだけのことをしたいと世に出て、ようやく主を見つけた様子。しかしよりによって宦官の養子を選ぶとは、いかが思われますか」
態度や口調からも曹操の事は噂でしか知らない感じか。荀攸は冷静になろうと努めているな、ならばそういうことなんだろう。
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