第316話


「郭嘉、曹操を舐めるなよ。お前がどう思おうと勝手だが、その態度を見聞きした者が誤った判断を下しかねん。言ったはずだぞ、荀攸殿の邪魔をするなと。そんなに直ぐに外されたいか?」


「こ、これは軽率で御座いました。二度とこのようなことがなきよう、心に深く刻ませて頂きます!」


「荀攸殿、郭嘉のやつが迷惑をかけた。済まんな」


「人物を侮るとは、奉孝は慢心が身についてしまった様子。しかと言い聞かせることにいたします、島将軍この度は某の不行き届きでもありますので、どうかお収めを」


 黙って目を閉じて終わりにしてしまう。有能どころか秀才らしいが、どこか馬謖のような感じを受けた。こいつに大事を任せるとしくじる時がやって来そうだ、誰かの補佐で知恵を出させるのが一番だろうな。潁川グループの年長者に添えるのがやりやすいか。


 丸々一日程南東へ移動すると、そこで万の集団と合流することになった。何のことはない居場所のない於夫羅だった。


「島将軍、冀州を去ると聞きこうさせてもらった」


「俺の任地は潁川なんでな。於夫羅殿はこれからどうするつもりだ?」


 馬を並べて歩兵に合わせてゆっくりと南下する、兵だけではなく匈奴の集団そのものが一緒だ。前に荀彧が示してくれたプランそのものだな。チラッと民を見ると、街そのものが動いているような感じこれかと思わせてくれたぞ。


「どこか冀州以外の山にでも住むつもりだ。袁紹とは距離をとりたい」


 驚くなよ、お前はいま最接近しているんだぞ。それでお互い緊張するものだからこそ、俺の安全が確保されているわけか。荀攸の謀略というやつだな。


「陳留の山地でよいならウチの屋敷の裏山がいくらでも空いてるぞ」


 小黄の山地がな。張貌が良い顔をしないだろうが、袁紹も手出しを出来ないし、大人しくしているなら誰も文句はいわないぞ。それに産業を引き連れているんだから足手まといにもならん。


「将軍はそれでも構わないと?」


「別にどこの誰が住もうが構わん。出来れば住民らとは仲良くやって欲しいが、必要最低限の交流だけでもなんら問題はないな」


 ようは争いさえなければいい、山賊が棲みつくよりどれだけ良いか。本当だぞ。


「どこまでも異民族に嫌悪感もなければ、警戒心もないのだな」


「こうやって話が通じて、同じ飯を食っているんだ、異民族と言っても何がどう違うのかが俺にはよくわからん位だよ。それと俺を危険に陥れるような軍を荀攸が招くとは思っていないんでね」


「本当にそれでも将軍なのかと疑いたいほどだな」


 はぁと於夫羅が呆れてしまう。そういう時代だ、俺の感覚が非常識で異常なのは知ってるよ。


「前に南匈奴の単于や、烏丸のやつら、羌族や南蛮でも言われたよ。なに、皆兄弟みたいなもんさ」


 肌が真っ黒な奴が居たり、ゴリゴリマッチョで宗教洗脳されたような奴らも居るんだ、こいつらなんてほんと近い民族だぞ。


「随分と顔が広い将軍だ。幽州の劉虞殿でも、羌族や南蛮までは恭順を示していないだろうからな」


「なに、共通項はあるさ。そいつはな、酒と肉だ! 大体はこれさえあればどうとでもなるぞ」


「ははっ、違いないな!」


 大将同士がこうやって会話をしているものだから、麾下の奴らの雰囲気も和らぐ。匈奴の民族性を知ろうと、幕のやつらも隣の奴らと会話をしている、良いことだよ。大所帯になって白馬、燕、封丘を越えて小黄へと到達する。何一つ異常は起こらなかった、やはり軍勢と居ると揉め事は起こらないんだな。


 屋敷に戻って於夫羅たちのことを報せると、皆が文句なく受け入れると認めた。成り立ちからして否定されるようなはずもないし、何より羽長官の下に居た奴らだからな、俺の言葉をすんなりとだ。於夫羅も小さく頷いては雰囲気を確かめている。


「島将軍、俺はこの地に皆を馴染ませるために残る」


「そうか、なら当座の食い物位はこちらで提供しよう。冬を越えるには必要だろ」


 留守番の部将に見繕って渡すようにと命じる、足りなくて略奪でもされたら面倒だからな。それに、仲間を喰わせるのはとても大変なんだ、その位の見返りはあってもいいだろ。こいつらは俺の戦いの手助けをしてくれたんだ、その事実に報いる。


「なにから何まですまんな。そうだ、こいつを譲ろう。赤兎馬の一種で、大蹄の赤毛だ」


「うん、赤兎馬だって? ふむ、そうか、こいつは固有名詞ではなくそういう括りの馬だったのか。ありがたく貰っておくとしよう」


 少し意外だったが、血統の名前とかそういうやつだったんだな。そりゃ長い年月度々名前が出てくるのはおかしいと思ったんだよ。いや、十年位は元気だろうが、二代目、三代目だったりするほうが自然だからな。


「いずれ借りはきっちりと返させてもらう」


「気にするな、どこかで誰かが困ってたらそいつを助けてやってくれればそれでいい。状況が差し迫っているかも知れんから俺は行く。ではな」


 せかっくなので赤兎馬に乗り換えてみる。体格が大きいので視点もまた心持ち高くなり、乗りやすい印象が強い。休養に戻っていた黒兵が数十人だがここから同道することになった、その位居れば襲ってこようとする奴らも大分減る。


 開封の渡し場から渡河し、長社方面へ行くとそこから潁陰までは一日で充分なほどに道路も整備されていたのであっという間だった。城外を移動している時も、どことなくピリピリしているような空気だったぞ。しかし久しぶりだな、入城すると見知った顔が出迎えに現れた。


「我が君、よくぞご無事でお戻りになられました」


「おう荀彧、ちょっとした役目はなんとかこなしてきた。完全にというわけではないが、取り敢えずは直ぐにどうこうなるわけでもなさそうだ」


 大層な大事だったと言えばそうだが、ちょっとしたと言えばそれでもいいかとも思える。荀彧は苦笑して言葉を飲み込んだらしい。


「おや、奉孝ではありませんか。どうしてここに?」


「文若よ、我は主を見つけたぞ。そなたと同じ方で、我が遅れたのがちと残念ではあるが」


 こちらを見るなこちらを。すっと視線を外して荀攸を見ると、あいつも苦笑して頷いている。荀彧はにこやかに「そうでしたか、それは重畳。ですがまずは報告が多々御座いますのでこちらへ」休ませるつもりなどサラサラないのは俺が文句を言える立場ではないな。


「趙厳、牽招、兵を休ませておけ。終わったらお前らも休んでいいぞ」


 若い二人に後処理を丸投げしてしまい、残りの部将らを全員城主の間に集める。といってもまずは頭脳だけ、荀悦殿に、荀攸殿、荀彧、郭嘉とこの城に居るのだけ。豪華絢爛な面子なんだろうなこれは。恐ろしく他人ごとな感想を抱く。典韋だけは黙って後ろをついて来る。


「まずは改めまして、無事のご帰還をお祝い申し上げます。冀州での戦功は既に聞き及んでございます、かの公孫賛相手にほぼ完勝であったとか」


「戦闘の結果ではないぞ。あれは間違いなく、冀州に於ける統治の上積みを利用出来たからのことであって、俺の手腕などとは思っていない。そこにあったものを利用したら、失策も少なく無難に戦争結果を手繰り寄せることが出来たに過ぎん」


 だってそうだろ、集めようと思えば兵は集まるし、食い物も武装も困らんかった、その上住民の協力も得られ、地理的なものも政治要因もこちらに有利、それなのに危ない場面もしっかりとあったんだ、完勝などという言葉は似つかわしくない。


「左様で御座いましたか。公達殿から大まかな連絡は頂いていましたので、後程検証させて頂きます。差し当たりましては現状の確認のため、潁川の報告を上げさせていただきます」


 荀彧が荀悦殿に視線を投げかける、潁川長吏だもんな、この地方に関しての報告はやはり担当者からだな。


「では私から。潁川の全ての県城を掌握し、一つの郡としてまとまりを得ております。重点地域は北部の長社、南西部の舞陽、東部の許にここであります。それらの県城に機動戦力を駐屯させ、周辺の増援をさせております。郡は自衛が可能になり、盗賊の類は見つけ次第これを排除して回っているところで御座います」


 たったの数か月でこうまで統治を引き締めるとは、やはり違うな。なにせ恐れ入ってるやつらが多いだろう、それに正式な太守が配されたんだ、これに逆らう理由がないからだな。


「逆にこれが注意というところは」


「暮らすに不足が無いと知れば、多数の難民が押し寄せてきて治安は乱れましょう」


 ふむ、そういう悩みか。仕方のない部分ではある、水が低いところへ流れるのと同義だ。生きやすい土地に人は流れていくものだからな。


「畑が、職があれば良いが、全てを吸収できるわけでもないだろう。賊がまぎれているようならば容赦なく切るんだ」


「畏まりました」


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