第308話


 根拠不明の俺の言葉を、さも大切なことのように頷いてくれるか。良心が痛む毎日だよ。


「直ぐに攻めて来たということは、騎兵が撃退されたことはもちろんとして、こちらの意図には気づいていない?」


「公孫範につきましては、少なくとも明日にならねば耳に入らぬでしょう。このように日が傾いて来ておりますので」


 空を見上げると夕方に足を突っ込んでいる、とはいえ残暑厳しい季節だ、五時や六時くらいなんだろうな。真冬なら五時はもう夜になっているぞ。


「それと、計画の全貌につきましてもやはり全てを見通すとはならないでしょう」


「それは何故だ、あちらにだって有能な者はいるだろう」


「こちらには頭脳が四か所にありますが、知った頃にはまた手遅れ。そして次の一手が進んでおりますので」


 なるほど、通信機器が無い時代だ、距離的制限がある以上は現在進行形で複数を同時にやられては手も足も出ん。郭嘉のことだけでなく、沮授や田豊も信頼しているわけだな。そいつは結構だ。

「こういう時、総大将としては目の前の戦だけを気にかけているだけでは失格だな。袁紹の動きはどうなっている」


 結局のところあいつが一番の勢力になるだろう未来があるんだ、いや過去か? まあいい、何もせずに黙っているはずがないんだよ。渤海太守に戻り真面目に働けば、あっという間に上に行くだろうに。正道を積み重ねるのは悪いことではないぞ。


「しきりに公孫賛の動きを煽り、冀州殿に牧を譲るように働きかけをしているようで。趙浮殿と張楊殿が身辺を守り、閔純殿、耿武殿らが諫めているので今のところはその気配は御座いません」


 兵糧不足でおいそれと軍勢を右に左にともいかずか、陳留の張貌が提供しているんだろうか。そこから少しでも余裕が出れば、隙を衝いてどこかを攻める位はしそうだ。


「袁紹の頭脳というと」


「南陽の同胞、逢紀殿と許攸殿でありましょう。おっと公則を忘れては愚痴を言われてしまいますな」


 公則というと、あー……郭図だったか。潁川グループの人材、深いところで繋がっていて当たり障りが無い情報は敵味方でも共有されているとみていいな。最悪離脱する際には、詳細な情報を与えて命を助けるということもあるだろう、それについて文句を言う筋合いはない。


「決戦が起こるなりしてどこかで均衡が大きく崩れたら、その時態度を決めて動きを定める。そんな流れになるかもな」


「時は袁紹殿に有利には働きますまいが、こちらも長くはないので恐らくは」


 秋の口には決着をつけているはずだからな、一か月で全てを決める。全軍上げて逃げて行かれたとしても、俺の役目は終わりにする。


「そういえば曹操らはどうしている。近くにいるはずだが」


 陳留に一緒にいるような気もするし、少しだけ別働しているような気もする。曹操こそ何かしないわけにはいかんのだからな、あれだけの人材を抱えているんだ、城の一つや二つは直ぐに手に入れるだろう。


「東郡に出没している賊を相手に戦いをしているようで」


「ということは冀州のすぐ傍に居るんだな。こちらの輸送隊が襲われなくなるなら大歓迎だよ、少し詳しく調べておいてくれ」


「畏まりました」


 戦って賊から奪って養う、その上で冀州に軍糧を要請するならば受け取りも出来るだろう。冀州も嬉しい、曹操も助かる、俺もそれなら納得ということなら、WINWINの関係というのがこれだな。


「沮授のところ、広川を落とすのにどれくらいかかるだろうか?」


「かの御仁であれば、三日あれば手にしているでしょう。即ち今頃はもう」


 そんなものかね。こちらの陽動は成った、騎兵も叩いた、城を落とせていなかったにしても取り敢えずは満足いく結果は上げているぞ。


「そうか。ではさっさと退くとしよう、目的を果たしなら軍事行動は速やかに終結させるものだ」


「でしたら今宵に撤退致しましょう」


 余裕の笑みを浮かべてそういうが、どうやってというのに言及すべきか? いや、こいつがすると言っているんだからするんだろう。自分を信じて仲間を信じろ、これだ。


「撤退指揮は任せる。俺もうまいこと使えよ」


 暗くなると公孫賛軍は二キロほど北へ退いていった。簡単な陣を設営していて、そこに籠もっている感じだ。何もない平地で寝泊まりするほど危険なことはないからな。さて荀攸はどうやってこの兵を撤退させるのやら。


 目の前は佼河で橋の先には敵、西は山地があって、残りは森林があり上手くないぞ。真っすぐ南の細道を戻ろうとするならば、後備を喰われるのは目に見えている。もし三千位も伏兵が居て、移動を阻害してきたら、圧倒的に不利な状況に陥る。


「それでは島将軍、準備が整いましたので南宮城へ戻りましょう」


「うむ、そうするか。それで、俺はどうしたらいい」


「こちらへどうぞ」


 幕を出ると徒歩で橋がある北側へと歩いていく、敵陣を突破して戻れというならば試してみる位は受け入れるぞ。きっと途中で迷子になるだろうがね。


 暗い中で僅かな篝火を使って作業をしている兵らが見受けられた。そいつらは木柵を引っこ抜いては、二つを一組にして縛って、河に浮かべてそのまま乗り込んでいるではないか。


「なるほどな、こいつは気づかなかった」


 木柵の正体は簡単な筏だったわけか、確かに数キロだけ下れればいいんだ、そいつで充分。あんなに沢山分厚く立ててどうするのかと思っていたが、使い道から逆算していたわけか。


「でしたら公孫賛もまた同様でありましょう。数時間気づかなければそれで結構、日の出にはもう誰も居りませんので」


 二交代で早めに仮眠をとらせていたが、無事に帰るために睡眠を削るということならば不満も出ないか。まさに戦いはこれから! というところで姿が無くなるんだ、公孫賛も肩透かしをされてさぞや開いた口が塞がらんだろう。


 筏に乗り込むと、中央の突起に矛を縛り付けて十字にしてそれに捕まり転落しないようにする。それこそ小一時間だけ流されたところで、中洲がある小島と、南の陸地に渡されたロープを掴んで次々と上陸、使用済みの筏は全部下流へと流してしまう。


 二千程が集まったところで東から南東周りで南宮へ大回りで戻るように進路をとることにした。これまた暗夜一時間程歩いたところで、小高い丘に廃城跡があったのでそこで待機。後続が集まるまでそこで飯炊きをしたりして休むことにする。


「鮮やかな手並みだな荀攸殿」


「某に一切をお預けされた以上、当然の結果に御座います」


「俺としても任せることが出来て楽で結構。実は俺なんて居ない方が色々と自由に出来ていいんじゃないかとすら思っているぞ」


 だってそうだろ、許可も不要でこれといった制限もない。思う存分知略をふるえる方が絶対にやりやすい。


「島将軍あってこそのことに御座います」


「もし文句があるならば真っ向言って欲しい。俺はそんなことでは怒りはしないし、また言われているうちが華だと思っているクチだからな」


 言いたいことが言えなくなったらそこが転機だ、あとは徐々に崩壊していくだけ。少なくとも俺はそうだと信じている。何でも言える職場、それをつくるのが上司の務めだってずっとやってきた。万が一追手が掛かれば面倒なことになる、休憩も少なく集合が出来次第出発した。


 その日の夜中には南宮に到達し、兵らは即座に解散、部将らだけを集めて戦況確認をすることになる。といっても深堀せずに認識を整えるだけだぞ。程喚に守備を任せて皆が丸一日の休息を得る、その頃には公孫賛が悔しがったという報も届いていた。


「広川城を取り返して、信都へ攻撃をかける準備が進んだわけだ。沮授は何か言って来ているか」


 執務室で報告書類に目を通しながら、荀攸に問いかける。高邑に守備兵を増員したか、弩を堂陽にも回したと配置替えの連絡が入ってるな、趙浮が前進したと。


「信都東の山に砦を設置するとのことです。張合殿との連絡線を確保するという意味でも、公孫賛にとっては目障りなものかと」


 ふむ、あのあたりか。大軍で囲まれれば守り様もないが、そんな場所に大軍で出向けばその他の場所ががら空きになる。さしたるプラスは産み出しはしないが、マイナスを打ち消す部分はある。敵が居て初めて効果が出る砦だ、今欲しい拠点だな。


「頼もしいな、そうやって自発的に動いてくれると。張合はどうしている」


「公孫越の迎撃部隊を誘い出し、一度交戦したようです。双方これといった戦果はありませんでしたが、これで無視するわけにもいかない状況になったでしょう。現れたら迎撃するでは最早足りないことに」


 渤海の出撃拠点を攻撃する必要が声に出てくるわけだな、順調と受け取っておくとしよう。俺が何もせずに戦況が優位に進んでいくのがこそばゆい。勝手に動くのを否定する向きだってあるだろうが、こういうのもそのうち問題提起されていくんだろうか。


「任せておこう。孫策は」


「沮授殿の城攻めを援護した後に、北方へ向かって行ったようです。田豊殿ならば補給線を荒すよう提言するでしょう」


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