第306話


「どのくらいいると思う」


「逆撃に備える意味でも二万、そして白馬義従も同道しているでしょう。そしてそれだけの軍勢を動員した以上は公孫賛が率いているでしょう」


 しばらく無言でいると、白い馬に乗っている部隊が視界に入るようになる。すすけた茶色や白茶けた黒い布が集まっている歩兵と比べると、見事な色調で揃えられているな。


「旗印を見てこい」


 指示を出すと身軽な歩兵がさっと走って行き、橋の向こう側まで行く。ここから一キロ位はあるだろうか、そこそこの距離なので気長に待つことにする。やがて戻って来ると、肩で息をしながら告げて来る。


「申し上げます『奮武』『公孫』『厳』『田』の軍旗が翻っております!」


「田予も一緒に居るのか、たくらみに感付かれるものかね」


「いずれは気づくでしょう、だからといって騎兵に警告を与えるには遅いでしょう」


 これが真の策略だよな、わかっていてもどうにもならない。どの位の忠誠度があるかは知らんが、落ち度もないのに更迭されたんだ、もしかすると気づきはしても忠告しないという可能性もあるな。後々指摘されても確信が持てなかったとかで言い逃れは出来る。


「では出来るだけ遅くに気づかれるようにしよう。別の場所から渡河されて、脇をつつかれてもつまらん。機動防御を行う、兵千ずつを仮司馬に預け川べりを監視させるぞ」


「御意。最寄りで渡河できそうな地点二カ所を監視させておきます」


 既に調べはついているか、仕事が出来る男は違うねぇ。さて、軍の指揮官が今一つなのは解っているが、兵士の訓練度はどんなものか。低能な兵士なんてのは世の中には存在しない、そういうことを言う奴が居たらそいつが低能なだけだぞ。


 兵士なんてのはその場存在して、自分の命を守ろうとさえしていたらそれで良い。あとはそれらをどうやって運用するかを、その兵士の現状に併せて指揮する側の問題だ。


 体力が低く個別戦闘が弱いならば複数で戦わせ、怪我人が多ければ牽制や阻害に従事させ、動けないならばその場で監視に専従させる。どうとでも使い道はあるものだからな。


 河を挟んで睨み合うこと二日、後方からの報告が上がって来た。騎兵部隊が突入してきたと。


「ほう、早めだったな」


「勇んで出撃してきたのでしょう。敵は公孫範が主将とのこと、向こう岸に居る者の従弟で御座います」


 また偽物か。大事な騎兵は親族にというのはきっと正しい、自分がそうだったように、いつ誰に部隊丸ごとかすめ取られるかわかったものではないからな。


「その従弟に驚くふりをしなければならんな。慌ただしいのを演出するんだ、俺は幕に居るから適当にやっておいてくれ。公孫賛が攻めてきたら報せるんだ」


「はは、お任せを」


 にこやかにピエロの役目を引き受けてくれた、向こう岸ではさぞかし面白そうに笑っているんだろうな。配置を替えたり、軍旗を移動させたり、何せ慌てているかのように振る舞って二時間、ついに公孫賛が迫って来た。例の箱に乗っかって北を臨む。


「堂々とした動きをする、戦なれしている軍だな」


 敵を目の前にして怯むことが無い、優勢だからというのはあるが、兵士がそれぞれ自信を持っている。ここに来るまでも何度も戦っては、生き残って来たんだからそうもなる。ましてや公孫賛直下の軍勢、考えている以上に動くと想定してかからんといかんぞ!


「遼東で鮮卑を相手に何年も戦を続けて来たものが中核をなしています。そこにきて黄巾賊とも戦いこれを撃退して勢いを得ていますので」


 連戦連勝か、そういう奴らは得てして勝つのが常識になり乱れると弱い。ところが戦えば勝つわけだからどうにもならんな。そこで戦闘には勝っても、戦争には負けて貰うことにする。


「こちらの軍の士気を上げておくか」


 木箱を降りて前衛の方へゆっくりと歩むと「島将軍、どちらへ?」荀攸殿に声をかけられてしまう。どこへって決まっているだろ、振り向くといとも簡単にこう言ってやったさ。


「ちょっと公孫賛に挨拶して来る。典韋! 供をしろ」


「はい親分!」


 近くで起立していた典韋が鎧兜を着込んで、鉄盾と鉄斧を持ってついてくる。騎乗すると橋を渡り出城のような阻害地点を越え、冀州軍の前に進み出た軍旗小隊がついてきて『島』『恭荻』の旗を掲げた。木柵のところでは荀攸殿が伝令を多数近くに置いてこちらを見ているな。


 あちらからも騎兵が進み出て来る、言わずと知れた公孫賛と、供は誰だ。よくわからんが中年だな、という俺も三十八歳ということになっているが、例によって二十代の身体能力を維持している感じだよ。


「いやあ島介殿、久しいな。あの時は県令として赴任する最中であったな」


 漁陽郡の何県だったか、いまやあの郡は公孫賛の支配地域だってな。そのまま赴任していたら、俺が居るのもあちら側だったんだろうかね。


「ついぞ任地を見ることもなくとんぼ返りしてしまったのが、随分と前のように思えているよ」


 敵味方であってもこうやって言葉を交わすのは、日本の戦国時代でもあったって聞いたことがあるぞ。公務と私事は別、相手が嫌いであっても公務を執行するし、敵であっても友誼を確かめるのは東洋のならわしのようなものだな。


「どこであっても国家の為に働いているならば良いではないか。私は袁紹が董卓を排し、献帝陛下をお救いすると宣言したので連合に名を置いていた。だがどうだろうか、洛陽は焼かれ、献帝陛下は長安へ連れ去られ、中華は荒れ果て賊が跋扈している。それを憂い軍を興し、幽州東部から冀州の北東部の治安を正してきた。君は現状をどう思っている」


 驚くなよ、実は公孫賛の言い分にほぼ同意なんだよな。認めたからとどうするわけでもないが、つまりはそういうことなんだよ。それを見てどう動くかが違うだけで、懸念は一緒だよ。


「全く一緒だな。酸棗で会盟し、全軍上げて速やかに洛陽へ進軍していれば、こんな大混乱は起こらなかったかもしれん。今となっては過ぎてしまったことを嘆いても仕方ないがな」


「ほう、うむ。そうか、君もそう思っていたか。潁川で胡軫と戦い、これを討ち破り治安を取り戻した、素晴らしい働きだ。能動的に改善に乗り出すべきだと私は考えている」


 待っていても良いことはない、前へ、より前へだ。公孫賛、実は解っているというのにどうして荒い動きをするのやら。万全を期して、というのがこの時代の正義ではないのは何と無く知っているがね。


「確かに、座していては機を逸する。今か今かと解放を望んでいる民を後回しにするのは褒められた判断ではない」


 公孫賛が隣を見て、後ろで待っている部将らに視線を送り遠くを眺める。時間稼ぎをしている風ではないぞ、あまりに話を合わせるものだから俺の扱いをどうするか思案しているんだ。この時点では袁紹よりも遥かに公孫賛の思想の方に親しみがある、それで道を同じくするかは別だぞ。


「いかにして董卓を排除するか、君はどうすべきだと?」


 ふむ、そいつなんだよな。何せ軍勢とそれを支える土地、単独では無理だから諸侯らの協力が必要だと思っている。即ち、公孫賛と辿ろうとしている道は同じなんだよ。ボロを出すわけにはいかんから、何かしらの予防線をはるべきだよな。黙って殴り掛かって来てくれた方がどれだけ楽か。


「朝廷で董卓を解任するのが正道だ。それをやろうとした時に、あいつの軍勢があり、更には呂布が傍に侍っていたので出来なかった。機会はあったが、その時には覚悟も無ければこんな未来を予測している者も僅かだった。地獄を垣間見た今、同じ状況にまでなれば排斥運動は成る。いや、そのようにしてなすべきだ」


 なおその際は俺が呂布を担当してやる、出来ないなんて言わんよ。無論、自分がやると挙手する奴が居たら喜んでその栄誉を譲ろう。


「そのように朝廷で発言力を得るためには、名声が必要不可欠だ。代を重ねて得られる名声もあれば、功を上げて得られる名声もある。今、世をただそうとすべきならば、長い時を待っていることはできない。地方の実権を握り、その実力を以てして朝廷での地位を確立すべきだ。ゆえに、私は冀州に在る」


 そうだな、だから俺も潁川に在るんだよ。俺は良くてお前はダメというダブルスタンダードは好かん、勝手なルールを作っては荀攸殿に悪いが、そうさせてもらう。


「そういう行動になったことには理解を示す。俺とて似たようなものだからな」


 公孫賛がまた周囲に目線を配った、想定外という感じなんだろう。つかめないやつだとはよく言われるぞ。


「であるならば、島将軍が目指す先は同じ。共に歩むという選択肢もあるのではないか」


 誘いをかけて来たか、兵らも興味津々といったところだが、冀州軍を捨てて俺になんの目が残るのやら。とはいえ納得する部分もあるし、ここまでは激しい異論は見当たらんほどだ。


「公孫賛殿に尋ねよう! 俺と歩むというのは、そちらが上に立つのか、それとも下か? 隣をなどという言葉はいらんぞ」


 この場で自ら下を認めることがあるはずもない、もしそうだというならば、それはそれで構わんがね。当然即答はしてこない、はぐらかすための言葉を探しているんだろうな。



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