第305話


 間程に北西から南東へ向けて河が流れている。黄河の支流で佼河というそうだ、発音は一緒だぞ、絶対に間違えるだろ。いつも思うが、本当にそういった配慮が感じられない地名ばかりなんだよな。


「こちらの本陣が佼河の手前まで進む、公孫賛も進み出れば河を挟んでの対陣になるだろうな」


「左様でありましょう。その間に騎兵が南宮の北東、我等の軍陣の後方に現れます」


 南宮の城外砦、そこから数キロ離れた場所を指さしている。平野がある東側から回り込むのが妥当なところだろう。


「荀攸殿ならば騎兵をどのくらい配するだろうか」


 この感覚は俺には全くない、それに公孫賛への諜報の度合いも含みで、荀攸殿のはじき出す数字が知りたい。そして概ねそれは正解にほど近いというのを俺は経験から知っている。


「一万と公言していても、実際は半数ほどでありましょう。しかも白馬ばかりを集めて編制している、白馬義従は手元に残すと思われますので、千は減ります。また後方司令官である公孫越にも千は配しているでしょうから、最大で三千が配されるものと愚考致します」


 なるほど、それでも半数は存在しているだろう目算なわけか。こいつは気を引き締めねばならんな。


「ちなみにそれでも五千という騎兵を持っていることになるが、北方では騎兵を育成しやすいという認識で良いか?」


「北狄に騎馬を自由に操る者が多い兼ね合いも御座いますが、公孫賛に限って言うならば、かつて中央よりの討伐軍を送った際に三千の騎兵を奪い取ったことが。戦で数を減らしてはいるものの、中核にそれらが存在しているのが多数の要因であります」


 官軍を巻き上げたのか! そういう時代だというのは大きいぞ、現地司令官が残れといえば残る、中央においそれとお伺いを立てられないわけだからな。それに戦に勝てば兵は増える、そうやって増強してきている以上は下限値はかなり高いんだろう。


「三千というのが現実的のようだな。それらが機動するならばここ、天宇路というのを通るだろう。その確率を上げる為にも、南北の脇道、これとこれの東平原出入り口を破壊しておくとする」


 がけ崩れでも倒木でも何でも構わない、復旧するにはそれなりの時間と労力と道具が必要なようにだ。そうすれば生きている道を行こうとするのが道理。荀攸殿もそうだろうと頷く。


「軍陣の裏手、この街道を押さえる為に南甘郷あたりに防衛線を築くと思うが、どうだ」


「そこであれば他に脇道も無く、道も細い部分なので防衛側に極めて有利でありましょう」


 有体に言えば狭い。周りは山林であり、緑が生い茂っているだけの土地。だからこそ河沿いは比較して発展させやすかったのだろう、田畑が広がっている。こちらは視界が広く守りづらい、唯一河があってそれが守りに利用出来るだけ。


「俺が進出して恐らく二日、三日、場所はこの南甘郷の細道、敵は騎兵三千、目的はこの地の占拠防衛。そこまで解っているならばあらゆる罠が有効になる、山林に伏せた弩兵二千があれば、動かぬ騎兵などただの的だ。そうは思わんか」


「であるとしましても、島将軍が多数の敵兵に晒されてしまうことに違いは御座いませんが」


「こそこそと隠れたまま兵に戦えとだけ命令するような将軍に、一体誰が従うんだ。荀攸殿は、本陣が撤退する方策を考えて貰いたい」


 乱戦で道が塞がれていたら、進退窮まる。騎兵が全滅するまでは河を盾にして阻害、その後はどうにかして姿をくらませる。散り散りになって山林に溶け込んでも良いが、そうすれば戻らない兵も多数いるだろうな。


「潔い決意を持たれます島将軍に賞賛を。この公達、必ずやその命題を解決してみせましょう!」


 それから数日、八月も終わりになろうかという頃になり、ついに軍が動く。沮授が広川城に向かい真っすぐに進んだ、当然公孫賛の元にも伝令が走っている。


「よし、こちらも出るぞ」


 城に少数の兵を残し北の細道を行く。弩兵は途中で切り離し、程喚に伏兵させるよう命じた。山林の出口あたりで部隊が二つに割れて片方が西側へと歩いていった。


「荀攸殿、あいつらはどこへ行くんだ?」


 自分の軍勢だというのに行き先が不明とは、俺も随分と緩くなったものだな。悪意や敵意があって何かを画策しているわけではないのは知っているが、せめて内容をサラッと聞くくらいはすべきなんだよな。


「予め製作させてあった木柵をとりに行かせております。遠くから運ぶよりも、ここらの近くで加工した方が良いと思い、作業場を設けておりました」


「ああ、そうだったか。河に沿って陣地をつくるならば木柵は多量に必要とするからな」


 今から木を切りだして作れと急かすよりも、出来たものを持ってこいと言う方が百倍スマートだよ。唯一、それを作っているのを嗅ぎ付けられたらどう考えるか、というマイナスがあるくらいか。隠れて作業していても、見つかる時には見つからな。


 先陣が橋がある場所を占拠して、向こう岸の出口に陣取り早速防備を固めている。といっても邪魔をするような土台をつくるだけで、そこから出撃路を求めるような造りはしない。総指揮は荀攸殿が務めてくれているぞ。


「典韋、兵らを見て回ってこい」


「わかった!」


 こういう役目は典韋がはまる、何せ兵士たちも気安く接して来るので小さな声を拾ってきたりするんだ。他の部将らと違い、庶民に近い感じが強いんだよな。実際腕っぷしはあるが、それ以外は一般人とほぼ変わらん気がする。妙に顔が広いというのも、警戒心を持たれないからなんだろうな。


 ある程度の時間が経ったところで立ち上がると防備を観察することにした。最初に目についたのは、丸太を組み合わせた木柵が、随分と分厚いなということだった。これを力で抜くのは苦労するな、燃やそうとすれば出来るんだろうが、しっかりと河から水を汲んでぶっかけているので容易ではないぞ。


「これから倍の敵に攻撃されても被害は軽微で済みそうだな」


「島将軍のお墨付きをいただけましたようで」


「後方の状況はどうだ」


 そちらがメインだからな、しくじって裏から攻められでもしたら目も当てられん。せっかくの騎兵をそういう使い方をするとは思えんが、こちらがそうだと考えていることを覆すのが戦争だからな。


「程喚殿は野山に伏せ機を伺っております。東の山頂にも物見に伍を出しておりますので、いち早く警戒に入らせる手筈も整っております」


「そうか」


 手落ちはないぞということか、さすがだよ。そのうえでここではないどこかの事や、次の仕込みを同時進行しているんだから頭が上がらん。何で俺みたいなやつに入れ込むのかね。


「伝令! 河の向こうに公孫賛の軍勢が見えます!」


 荀攸殿と目線をかわす。きたか、いや、きてくれないとこちらが困るんだが。物見やぐらのような高いものは無いが、木製のサイコロのような足場を幾つか重ねた山の上に登る。ふむ、確かに近づいてきているな。

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