第304話
「あの孫将軍の――」異民族に轟く名声、特に北方ならば知らぬものが居ないほどの孫羽長官だ「……我が族は友好関係がある漢が黄巾賊により乱れたので援軍を送った。俺が率い賊徒と戦い続けたが、その負担故、族が背いた。関係を強くすればより良いと信じ、命を懸けて戦っていたというのに、その族から否定されたのだ。正直どうすればよいかわからなかったよ」
黄巾賊の時には助けられたんだな、それなのに背負うべき族から疎まれ、背かれたか。それで白波賊に混じって略奪なりをしていたが、袁紹に従ったか。董卓を排除すれば皇帝に認められて、また族を助けられると思っての事だろうな。
「それでもまだ俺にはここに従う一万の者が居る。一人でも守るべき族が在るならば、辞めるわけにはいかん」
「そうだ、それでこそ単于だ。頂点が折れなければ集団に負けはない、於夫羅がその意気であるならばな。中原はこれから大荒れになる、その時何が出来るかを考え備えるといい。漢という国は、窮地で手を差し伸べてくれた者を決して蔑ろにはせん。漢の皇帝でもある、劉協に代わりこの俺が約束する」
「何故将軍が皇帝に代わることが出来る」
馬鹿にしているならば許しはしない、そんな険しい空気をまとう。国家の総領である皇帝、それを勝手に語るとは死罪にすら相当する。
「俺が代わったのは皇帝ではなく、友人である劉協だ。今は皇帝をしているが、あいつが平民だろうと何だろうと俺の友人であることに関係など無い」
不敬の極みだというのは解っているさ。もし朝廷でこんなことを叫んだら、明日の今ごとは首と胴が離れているだろうからな。眉を寄せて大きく息を吸うと、於夫羅は笑った。腹の底からだ。
「ははははははははは! そうか、これが我等の間でも伝説となり語り継がれている孫羽将軍の後継者か! 伊達で恭荻を名乗ってはいないのだな!」
「別に俺がそう呼べと望んだわけじゃない、どこかの誰かが勝手に気を揉んでそう号しただけだ。とにかく、お前が守るべき者は、お前を見て希望を胸に抱いているんだ。しおれている暇はないぞ。部下に長く城をあけるなと言われているんだ、直ぐに戻る」
返事もなにもいらない、こうやって話を出来たので概ね目的は達した。ほんとうに身勝手な動きをする奴だと今頃愚痴をこぼしているかも知れんぞ。
「待て。張楊殿を連れて来い」
踵を返してその場で腕組をして黙って立ったまま待っていると、ゆったりとした漢服の男が現れる。やはり同年代の中年だ。
「はて、何の御用でしょうか」
こちらを見ても誰かわからないようだが……おや? 視線が典韋の方に行くとピクリとしたな。またこいつが知り合いなのか。
「典韋殿ですな、久方ぶりですな。妙なところで」
「稚叔殿、何年ぶりだったか」
伝令という役目は妙に顔が広くなるらしいな、それとも典韋だけのスペシャルか? まあいいさ、於夫羅がどうするつもりかを見ているとしよう。
「張楊殿、俺は冀州殿の後援を受けることになった。なので貴殿を解放しようと思う。丁度、督冀州殿が目の前にいるので州都まで送ってもらうと良い」
「これは申し遅れました。元上軍校尉仮司馬の張楊で御座います、以後お見知りおきを」
おっと、西園校尉の名前だったな、随分と懐かしい所属だよ。というか上軍ってことは校尉は宦官だったから、実質こいつが指揮官だったわけか。
「潁川太守恭荻将軍の島介だ。何進大将軍の属だったとも聞いている。故あって冀州殿を助けるべくここにある。だが冀州殿の幕には軍を統率可能な武将が居らず、その安全に不安を抱えていてな、張楊殿が傍に居て貰えるとありがたい。頼めないだろうか?」
潁川太守で意外な顔をされてしまったぞ、心配するな俺も意外だ。於夫羅が自発的に協力をしてきた、そういうことでいいよな。
「これも国家の為でありますれば、喜んで微力を尽くしましょう」
そこから大急ぎで南宮城に戻ったわけだが、あの張楊は韓馥によって冀州武猛従事とかいうのに任命されたらしい。以前も北方異民族が跋扈する地域で、丁原に武猛従事に任じられていたそうだ。そこで一つの疑惑が出てくる、同時に存在していた呂布は主簿という文官だったのは覚えているが、呂布にその席次を譲らないだけの能力があったってことなんだよな。うーん、能ある鷹はってやつなのか?
「島将軍、張合殿でありますが、河間国にて数度の交戦をしたと報告が来ております。後備軍は公孫越が司令官で、二度輸送隊を焼き払ったそうで」
従弟だな、公孫賛の偽物というと悪いが、比べるとどうしても劣るというのが定説だな。当然だ、一番有能な奴が頂点になるんだから。中には血筋で決まることもあるが、騒乱の地で伸ばした勢力は実力がモノを言うぞ。
「ほう、張合のやつやるじゃないか。世には確実を求めすぎて時機を逸してしまったり、逆に突撃したは良いが戻ってこない奴が山と居る。数をこなせば経験を積んで良い武将になるぞ」
こんな小競り合いでも司令官として初めてならば、大いに役立つ。若いうちにそういった立場にあれば、成長もまた早い。それは李項の奴らが証明してくれているからな。
「あまりに不味い動きをしようとするならば、奉孝が警告を発するでしょう。部隊とは別の監視員だけは少数派遣してあります」
「見守る姿勢は必要だからな」
互いに微笑して後進の育成についての見地を共有しておく。そんな余裕はあるのかという話もあるが、その分俺が被ればいいだけの事だ。
「広川でありますが、田予は更迭され、代わりに単経が配されました。田予や厳綱らと同期の間柄とのことであります」
うん、知らんな。厳綱もだぞ。ということはだ、こいつらは後々まで活躍できずに早めに脱落した組なんだろうな。違ったら違っただ、少なくとも田予よりはマシだろう。
「沮授に城を攻めさせるんだ。孫策も出撃させ、信都方面から公孫賛の援軍が出るようならば遊撃させるように命令を」
「このあたりは平地が多く御座います。身を隠す場所が僅かなので、騎兵が有効に利用出来るでしょう」
それだが、相手にも同じことが言えるんだよな。眉唾ではあるが騎兵一万を擁しているならば、公孫賛もどこかで俺を粉砕しようと画策しているはずだ。
「囮としてこちらも信都の前面に進出するぞ」
「城から出てはかなりの危険をもたらしますが」
「具体的には何が予測される」
漠然と危ないから出るな、では戦争など出来んぞ。許容できるリスクならば受け入れる。
「騎兵が後方に迂回し退路を遮断し、大軍による正面侵攻が」
いわゆる正攻法というやつだな、なるほどそれが思い通りに展開出来たら俺も苦しい。ではそうはさせんためにどうするかを考えるとするか。
「近隣の詳細図を持って来るんだ」
荀攸の指示で直ぐに大きな巻物が机の上に広げられる。こいつを用意しておけと命じたことはないが、智謀優れる者達ならば黙っていても準備してしまうらしいな。
南宮城から北東、十数キロに信都がある。現代の感覚とは違い、平地はあっても道は馬車がすれ違うことが出来る幹線道路が一本あるだけで、原野があったり木々が生い茂ったりしている。お互いそうだがこの街道が破壊されれば補給が滞り、行軍も極めて遅くなる。
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