第303話

 政争だけで推移か、こちらで動いているんだ、それを見極めるという考えかも知れんな。本営が薄いうえに、しょぼい拠点にあれば大軍で一気に踏みつぶすと決めるまで時間はかからんだろう。そういう意味で南宮に拠るならば、こちらを増やすかあちらを散らすかすべきだな。


「孫策殿の方面でありますが、増援が入城し引継ぎが行われています。程なく自由を得ますが、何かお考えは御座いますか?」


 ふーむ、現状ではまだこれといって何も……いや、待てよ騙しを入れておくとするか。


「扶卿の南側を通り南宮に入城するような経路をたどらせて、暗夜こっそり出撃して南回りで東武城に入れよう。本営に兵力が増強されたような風を装い、東の広川県を奪還したい。広川について聞かせてくれ」


「平地にある小県であり、守備兵は四千。守将は田予、幽州漁陽郡の出で、質実剛健、暮らしは質素清貧な人物に御座います」


 うん? 田予……うーん、どこかで聞いたことがあるな。どこだ、先の大戦時なのは間違いないが……あれか! 確か異民族同士をぶつけあって上手い事やったってやつで、同僚と揉めて云々という。才能は非常に高いが、味方に疎まれて重要な役目を奪われるんだよな。


「そいつはキレる奴だ、弁舌やら頭の回転では荀攸殿らと同列ではないだろうか。そういうのは小細工なしで殴り倒すのが良いんだが、さすがに何度も同じような真似は出来んだろうな」


「島将軍は田予殿をご存知でしたか?」


「直接は知らんぞ。だがそれだけの力を持っているという評価に、俺も同意するところだ」


 おいおい荀攸、笑うことはないだろ。にやっとして袖で顔を隠してとはいえ、少しは俺だって傷つく。


「申し訳ございませんでした。将軍が耳順の域にあるのが嬉しくてつい」


「耳順とはなんだ」


 いやその昔学校の授業で聞いたことがあるようなないような。漢文ってやつで出たか、覚えていないな。


「論語によりますれば、齢六十にして耳従うとありますれば、他者の知識や経験をあたかも己のもののようにして障りがない境地のことを示します。奉孝の件や、文若からの話、そして知らぬ誰かの評価をまるで将軍自身の耳や目で確かめたの如き判断。素晴らしきことと存じます」


 大いに済まんと思っている、それらは全てソースは俺でズルでしかないんだよ。非常に心苦しいが説明出来んので黙っておく。何か別の事で荀攸殿には報いるとするよ。


「されば、広川県を奪うに田予殿が障害になり、策が効かぬとあらば退いて貰うのがよろしいかと」


「それはそうだが、その策が効かないというのにどうするつもりだ」


「田予殿に効かぬのであれば、効く者を相手に仕掛けるだけにございます」


「うむ!」


 そうか、そうだな。公孫賛の命令で他所にいけといわれたら従うしかない、目の付け所の違いだな。代わりで来る奴が与しやすいとは限らんが、一回チェンジというわけか。


「任せても良いか」


「どうぞご随意に」


 では俺は俺で別の事をやるとしよう。となるとアレか「於夫羅の反応はどうだったか報告はあったか」どうでもよいことを寄せておくとするか。


「諾とのことでありますが、それ以上は特には」


「そうか。州都の状況は」


「非常に良く治まり、賊徒の出没も無くなっている様子。民もよくよく牧をいただき、都は一体となりまとまっております」


 流石だな、これぞ為政者というやつだ。幕にまともな将軍が一人でもいれば、あたかも楽園かのような州が設立される。ところが時代がそれを許さないんだな、これも歴史というものか。


「なあ荀攸殿、どうして俺が恭荻将軍なのかは知っているか?」


 挑戦的な笑みを向けると、荀攸は苦笑した。その一言で俺が何をしようとしているかを悟るか、どういう脳みそをしているのやら。


「あけられて八日、全体は私が、南宮は程喚殿が維持いたします。危急の際は南蛮へ下がりますのでご留意を」


「すまんな、大将がうろうろとするなと言われるだろうが、俺にしか出来ないことをやってみせる。期限までには戻るさ。典韋!」


「はい親分!」


 いつも部屋の隅っこに立っているやつを呼び寄せる、本来ならこいつだって県一つくらい任せてもいいんだろうが、適性がな。


「精鋭騎兵十を用意しろ、黎陽まで速やかに赴くぞ。お前もついてくるんだ」


「直ぐに!」


 兵士もそうだが食糧なども準備している間、一つの懸念を話しておくとするか。


「正直、いつかは俺にも解らんが、袁紹が連合軍を名ばかりにし勝手な行動を始めた今、それに希望を持っていた諸侯らも独自の動きを始めるのは間違いない。その中でも劉備は行く当てもなく、公孫賛を頼って流れる可能性がある。一騎当千の関羽と張飛が敵に回ればこちらは厳しいことになるが、養うべきものを抱えている以上は仕方ない。あいつは漢室の正統を支えることが至上命題と信じている、何とか敵対を避けられるよう留意して貰いたい」


「かの御仁、そこまでということでありますね。承知致しました、受け身にならずにこちらより接触をはかってみましょう」


 曹操の方も今頃どうするべきかとあれこれと画策しているんだろうが、あちらは放置していても自力で起き上がる。邪魔をする必要はないがこちらから近づくこともない。出来れば遠くで活躍して貰いたいものだが、陳留付近で動くならば絶対に近隣なんだよな。



 黎陽へ街道を同道と進んで騎馬で駆け抜けることにした。冀州の一番端にある南西の離れ西に朝歌、南西にあの酸棗があるような州郡の境目だぞ。城壁には『於夫羅』の旗が翻っているが、他にはこれといって目立ったものがない。


 城門前に進み出ると、上から声をかけられる。閉門している状態か。


「止まれ、何用だ!」


「俺は恭荻将軍督冀州の島介だ。於夫羅殿に会いに来たと伝えてくれ!」


「そのままで待て!」


 大声でのやり取り、黙って外で待たせること三十分くらいだろうか、城門が開かれた。中には兵士が待っていたが襲ってくる雰囲気はない。


「将軍、どうぞこちらへ」


 下馬すると案内に従って城内へと進む。特別な造りは全くない、普通過ぎるどこにでもある城だ。於夫羅の部下、顔つきは中央の人間とはやはり違うが、それでも半分は漢人が居るので差別をしている風でもないな。


 城主の間に入ると、奥に俺と同じ歳くらいの体格が良い男が鎧を着て座っている。他とは何か発している気が違う、あいつが於夫羅なんだろう。


「俺は恭荻将軍督冀州の島介だ、貴殿が於夫羅殿だろうか」


「ああ南匈奴、屠各種攣臘部の単于於夫羅だ。将軍がわざわざなぜこんなところに」


 あー、何部の単于だって? よくわからんかった、触れるのは後にしよう。一応話を聞くつもりがあるからこうやって対面しているってことでいいんだよな。


「なに、一度話をしてみたくてね。面を見ればどういう奴かくらいわかるだろ、それだけだ」


 上手く行かないまま時を過ごしたような疲れた表情が出ているぞ。かといって諦めるわけにもいかず、出口は見えず。責任感があるということだ、それだけでもわかったのは収穫だな。


「存外将軍というのは暇なんだな。冀州では戦争の真っ只中だと思っていたが」


「時間なんてのは捻りだすものだと信じていてね。俺は単于というのを何人か見たことがある、その部族まではよくわからんがそう名乗っている奴をな。そいつらに比べると於夫羅は器は同じでも元気がないように見える」


「冀州牧には適当に過ごせと言わんばかりの言葉を渡されたが、将軍は俺に喧嘩を売りに来たのか。それともただの世間知らずか?」


 殺気とも思えるような圧を放たれてしまう、腑抜けている時よりも百倍マシだよ。なにかをやれるだけの能力は間違いなく持っている、麹義ってのには何故負けたのやら。


「そうであれ、良かれと思いことを興し上手く行かず。それでも守るべき者を抱え、責務を背負う。己の無力を嘆き、それでも諦めることを許されない。俺はそんな友人を援ける為に躍起になった過去があった。今だって似たようなものだがな」


「…………何が言いたい」


「別に生まれも育ちも関係ない。俺はそういう志をこそ大切だと信じている。亡き孫羽長官の意志を継ぎ、こうだと曲げずに生きている。於夫羅の理想に今何が不足している?」


 笑いもしなければ怒りもしない、訥々と俺の考えを吐き出した。劉協はその一生の殆どをこんな、いやもっともっと抑圧されて一切の自由がないなかで生きていたんだ。ならばこいつだって。

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