第302話

「なあ荀攸殿、この地図通りならばだが、もしかして周囲の山地に陣取れば、弩で城壁の守備兵を射ることが出来る距離じゃないか?」


 いや、そんなことないか? それは欠陥も良いところだが、実際の場所を見ない事にはなんとも言えんか。


「おやお気づきになられましたか。この城はあくまでも賊徒などを近寄らせないためのものでありまして、こういった正規軍同士の争いではあまり役に立ちませぬ」


 なんてこった、とはいえ今の今までの冀州という地域を考えればこれで充分だったんだよな。異民族は騎兵が多く、弓など殆ど使わない、それならば城壁があるだけでことたりるわけだ。


「追い出す分には都合がいいと考えよう。こちらで占領したら、東の山地と北の山地に砦を設置して備える。南や西にもし陣取りに来るならば、補給を切れば良いから誘いの為にあけてくというのはどうだ?」

「島将軍のご高察、まさに有効かと存じ上げます。その際は南部高地への襲撃用に、経県へ襲撃兵の千も詰めさせれば良い働きをするでしょう」


 経県は……南宮県の南三から四キロ程度のこいつだな。普段は城に籠もっていて、襲撃時だけ数時間姿を現すか、こいつは面倒だ。


「冀州軍の仮司馬にでも経験を積ませよう。それもこれも城を獲ればの話だ、そこを蔑ろには出来んぞ」


「御意に。されば二千の弩兵を三方に配備し、煙梢を投石の如く城内へ行い、多数の旗指物を並べ、大音量で南宮城に迫るというのはいかがでありましょうか。偽兵の類ではありますが、なにぶん城内からは正体が見えぬ上に冀州軍にはそれだけの軍勢が存在していますので」


「ははは、脅してか。それで逃げなければそのまま攻め込むだけだからな、城門を一カ所だけでも閉門不可能にしておけばまず間違いないだろう」


 今回は猛者を斬り込ませる方法は出来んぞ、何せ手駒が不足している。大体にして城門をどうにか出来れば、城なんてものの意義を大きくそこねるからな。


「さほど難しいことでは御座いませんでしょう」


「何故だ」


 こうも簡単に言い放つだけの根拠があるんだよな。相手を舐めている……というのは荀氏ではなさそうだが、俺では考え当たらんな。


「冀州殿の恩徳極めて多大なれば、住民の多くが冀州軍の御旗を迎え入れましょう。とて、開門時間は長くはありません、油断は出来かねます」


「なるほどな、韓馥殿の積み重ねて来た統治の形なわけか。なに、山からの距離はわずかだ、五分だけあれば俺が乗り込む」


 あちらは平和を踏みにじった侵略者で、こちらは安寧の守護者の代理か。君臨するだけの頂点が思い悩むのは理解出来るが、こういう役の立ち方もあると教えてやるのもいいだろうな。


「山地に伏せるまでに丸々一日は必要でありましょう」


「二日後の日の出にここを出るぞ、三日後の払暁に乗り込む。それまでに手筈を整えておけ」


「畏まりました」


 途中発見されたとしても結局深夜に南宮にご注進ということになる、王門を起こして総員に防備をとらせるまでするかどうかだ。朝一番をまたされるのが関の山だ。目覚めて城がせめられていることに気づき、こちらが軍勢を移動させているという報告を聞く。外を見れば多数の軍旗と、大音量の戦鼓。王門が逃げ出さないならばそのまま叩き切るまでの事だ。


 それから三日後、太陽が地上を照らし始めた頃に、俺は南宮の中央通りに立っていた。狙った通りの結果になってしまい、もしかして蜀で戦っていた頃はハードモードだったのか? などという詮無き疑問を持ってしまうのであった。


 南宮県に本営を置き替え、各所の初期報告を求めることにした。どうにも公孫賛は直ぐにこちらに大軍で攻めて来る気はなさそうで、信都から動く気配がない。後方を固めている最中なのかも知れんな。なにせあいつの狙いは領土の確保、占領政策をしながらでなければ意味がない。


「張合殿よりの報告では、渤海郡の南西部である修県に入城、別動隊をその先の東光県まで入れるとのこと。これで公孫賛の側面を捉えたことになります。南皮県に入るのは沮授殿の指示を待つと言ってきております」


「そいつは郭嘉の判断だろうな、純粋な軍事行動ならば張合は誤りはしないさ。で、沮授は何と言ってきているんだ」


 地図上では修と東光は十数キロあるな、少し相互の距離としては遠いが、一カ所では牽制にならんので仕方あるまい。その為に指揮官として張合以外に趙厳と牽招が居るんだからな! しかし、郭嘉も含め全員二十歳そこそこではまずいこともありあそうだ、沮授をそちらにつけてやるべきだったか?


「渤海郡を出城に利用するのは構わないが、南皮の家族に手を出すのは承知しない。意訳すればこういうところのようです」


「優先順位を出してきたわけか、それで於夫羅の件は」


「特にこれといった反応は無かったようですが」


 想定の通りか、どうでもいいんだろうなそんなこと。袁紹が嫌がることを今する必要はないが、素直にやめることもないぞ。


「ならそれでいい、南皮には軍を入れるな。がだ袁紹の家族を監視する人員だけは手配しておけ、いつ方針を変更するかわからんからな」


 そうしようと思っても、袁紹の手勢が守りに入ればどうにも出来ん。そんな時には手を出さなければお互い様ということで終わりだよ、安全を確保する為に陰ながら見守らせていたとでも言えば追及も出来ん。何せ仁徳の韓馥だからな!


「ではそのように。それと沮授殿ですが、張合殿のところへ部将を一人派遣しました。沮宗殿が補佐に就くとのこと、弟君でありますな」


「うーむ、丁度若い奴らばかりで不安があったところなんだ、それは助かるな。沮宗は官位についているのか?」


 あいつの弟ということは、概ね三十代後半あたりか? 四十になっているかも知れんな、兄弟の歳の開きが大きいので想像でしかないが。


「これといってございません。沮授殿が中央に召された際に同道して以来、共にあるとのことではございますが」


 ということはだ、やはりそこまで歳は離れていないな。茂才の何かで年齢規定があったとか聞いたことがある、それから少なくとも沮授は十数年経ているんだからな。


「俺から何かしらの官位を与えた方が良いだろうか?」


「それでしたら、冀州殿に言上し渤海部郡国従事に任命なされるようにとしてみては」


「そいつはなんだ?」


 今までそんなの聞いたことが無いぞ、漢室の時代にのみ存在するなにかか?


「州府に属する渤海郡の官吏であります。冀州殿の政令を渤海に下す役目を持っております」


「すると太守と方針が違うこともあるな」


「こと政務であれば牧の命を優先させますので、太守であってもいかんともしがたい存在であります」


 なるほどわかったぞ、蜀であれこれやっていた俺の時は、そもそも命令に背く太守を任用しなかったから必要がなかったんだ。アレだ、太守を中央から派遣され、州長官は州長官で郡に役人を入れる。勢力争いのポストみたいなものだな、太守からしたら邪魔くさいやつだろうな。


「張合の助けになるだろうから、そうしてくれ」


 兵糧の確保も頼むのではなく命令出来るようになるんだよな、そいつは大きい。少なくとも県令らは協力すべき法的根拠を突き付けられれば、嫌でも遂行するはずだ。なにせそいつは俺のではなく、韓馥という正統な冀州牧のお考えだってことになるからな。


「ではそのように。東武城県周辺ではこれといった動きはありませんでした」

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