第297話 潁川太守歩兵校尉督冀州恭荻将軍

「いえ、真実本物でありました。渤海太守の印が捺されており、袁紹殿の署名も御座いました」


 目を細めてそれが意味するところを思案する。連合軍が弱っていて軍勢が欲しくて書簡を出したのは事実だろうな、そして冀州牧が居る場所を通るならば挨拶の為に城に寄るのもいたってまとも。そこで突然心変わりしたというのは考えづらいが、入城を拒否するのも変な話ではあるか。


「なんとか冀州殿を無事に南西にある南宮県まで逃し、すぐさま鋸鹿にまで移って頂くと、ここ邯鄲より迎えを呼び寄せ臨時で治府を構えております」


 敵ならば防げたが、味方を装う裏切り者はもっとも防ぎづらい。これは失策ではあるが責めることは出来んような内容だ、読めて来たぞそのシナリオが。


「頂点を無傷で守れたのは不幸中の幸い、護衛軍は確りとその役目を果たした様子。して公孫賛はどうしているんだ」


 責めを受けると覚悟していたようだが、武官らがほっとした表情で中空を見詰めている。今さら苦言を呈したところで萎縮するだけだからな、取り敢えずは目ぼしい武官は本当にいないらしいことが分かった。


「信都に本営を置き、周辺の県城を下して勢力を増しております。広川、南宮、扶卿の三県が既に敵の手に落ちております」


 荀攸殿が地図を用意するようにと言ってくれたので少し待つ。広げられた巻物を見ると、信都の南東、南西、北西の三か所だった。見事にやられていると呆れるしかない、これでは信都を直接攻めることが出来ん。


「そうか。して、冀州軍の司令官は?」


 武官らが互いを見るが、こいつだと指し示すことはなかった。かといって現在外に出ているとも言わない、どうしたんだ?


「各地の太守が郡地方軍を統括し、冀州軍は軍従事らが指揮をしています。無論、冀州殿が総司令官でして」


「それは解っている。その軍従事らをまとめる将軍が誰かを聞いているんだ」


 閔純は口をへの字にして息を吸って、ややしてから「各自が有機的に連携し、軍事を遂行して御座います」などという寝言を口にしたさ。つまりは烏合の衆も同然ってことだからな!


「では公孫賛側の情報を聞きたい」


 味方の事はあとで荀攸殿に聞いてみるとしよう、隠していることだってあるかも知れんからな。というか俺の手勢は五百だが、それ以上に武将が全く足らなくなる気がしてきた。


「奮武将軍公孫賛は騎兵一万、歩兵は十万、武将は従兄弟である公孫越、公孫範を始めとし多数、智者は長吏関靖、厳綱、単経、田楷などなど多数おります」


 ん、関靖っていうのはあのいけ好かない男か、まだ健在だったとはな。というかあいつが筆頭だって? なんだかしっくりと来ないな、騎兵が多いのは厳しいが、果たして武将は潤沢と言えるんだろうか。全然知らんやつばかりだが。


「概ね馴染んだ。では冀州牧である韓馥殿にお尋ねします、私に何を求められるのでしょうか」


 真っすぐと前を向き、他の奴ら等視界にすら入れずに瞳を覗き込む。こいつが俺を頼るならば全力でことにあたる、だが周りに言われて何と無くここに呼んだだけならばすぐに帰還するぞ。ピクリともせずに見詰めると、韓馥はひじ掛けにある手を握りしめた。


「私は筆をとれば多くの文官らに敵わず、矛を持っても兵にすら敵わん。だがこうであれと統治を続け、少しでも民の為にと努力を重ねて来たつもりであった。それだというのに、皇帝陛下からお預かりしている冀州を蝕まれても何一つ出来ぬ無能だ。いっそ袁紹殿に牧の印綬を譲ろうと考えている」


「冀州殿、そればかりはまいりませんぞ! どうかおやめを下さいませ!」


 む、閔純だけでなく、長吏や騎都尉の印綬をぶら下げているやつらも進み出て諫言したか。部下に支えられているわけだ、ならば無能ではないぞ。


「だが私では抗うことすら出来ぬのだ。だれぞ公孫賛に対抗し、軍勢を指揮し、これを追い出せるものは居らぬのか?」


 そう言われると武官らがまた目を閉じて下を向いてしまう、出来ないことをやって見せるというわけにもいかずだな。荀攸殿がこちらを見詰めている、たしか同郷だったか、だから助けを乞うて連絡を寄越したんだよな。


「この有様なのだ。島介殿、貴官に冀州が願う。漢の民の安寧を取り戻すために力を貸してはくれないだろうか、頼む」


「公孫賛を退けたと思ったら、今度はこの私が居座り不都合が生じることにもなりかねませんが。それに、やるならば総指揮権を求めますが、それでも?」


 これだけは譲れん、誰かに伺いを立てながらことを進めるなどあり得ん。好き嫌いは勝手に思って貰って構わんが、それで足を引っ張られても困るのはこちらだ。やるならば命を預けて貰うことになるぞ。


「かの孫羽将軍の後継者が不義を働くなど毛頭思わぬ。預けるならば全ての権限を委任することを約束する!」


 外套を跳ねるとその場で片膝をついて拳礼し「恭荻将軍島介が、冀州に参戦致します!」上下の別をつける。


「冀州牧韓馥が、恭荻将軍島介を督冀州に任じ、冀州軍の総司令官に据える。すまぬ、私ではこの状況を自力で覆すだけの力が無いのだ。島将軍は私にのみ責を負い、私は冀州の民と皇帝陛下に対して責を負うものとする」


 立ち上がると段を越えて進み、韓馥の直ぐ左前に位置を移す。そうすることで別駕の閔純が段を降りて文官列の最前列へ移った。


「今この瞬間より、島介が冀州の軍事を総覧する。別駕閔純殿、文官一同で支えて貰いたい」


「我等冀州文官一同、微力を尽くさせて頂きます」


 反対列の武官らを見て「武官一同は民を救うべく、奮戦に期待する」為すべきを為すよう要求をした。


「都督従事の趙浮、将軍の指揮に従わせて頂きます!」


「同じく都督従事の程喚、何なりとご命令を!」


 以下軍従事が二人に、騎都尉一人か。あの若い警備は軍従事だったんだな、少し意外だ。まあいいさ、把握することから始めよう。


「ここに島介が宣言する。皇帝陛下に誓い、全力でことにあたることを! 悪意をもって他者を踏みにじることを俺は決して許しはしない!」


 いいさやってやるよ、公孫賛であれば敵として充分だ。皇帝を挿げ替えようとした袁紹も許してはやらん、あいつも策を弄してこの状況を作り出した潜在的な謀反者だぞ!



 邯鄲城に与えられた一室に俺の部将らが入る、一様に渋い顔といったところだな。


「俺はな、身一つで放り出されようとも決して諦めたりはせん。お前達も与えられた条件の下で可能な考えを絞り出すんだ」


 言ったは良いがこれといった情報も無く先には進めんぞ。そんなことは解りきっているので、直ぐに荀攸殿がやってきた。後ろにも誰か居るな。


「島将軍、公達が参りました。まずは紹介いたします、この者は潁川の郭嘉、字を奉孝です」


「紹介に与りました、郭嘉で御座います。貴殿が噂の島介殿」


 若いな、二十歳そこそこだ。文官然とした感じが滲んでいるが、ややスレたところもあるか。


「ついぞ同姓同名は聞いたことが無いので、恐らくその噂の男だろうな」


 ふっと笑って肩をすくめてやる、どんな噂なのヤラ。どうせろくなものではないだろうがな。


「これ奉孝、そうやって誤解を招くような態度は感心せぬぞ」


「島介殿は特に気にされていないようだが」


「ああ別に構わんぞ。それより荀攸殿、冀州のことを詳しく聞きたいのだが教えては貰えんか、すでに散々な部分は目にしたがね」


 取り敢えず座れと言ってから皆を見る。趙厳に牽招、反対には孫策と黄蓋、目の前に荀攸殿に郭嘉殿だな。そしてかつての李項の位置に典韋だ、こいつは起立して周辺を警戒しているぞ。


「お察しの通り現状冀州は統率を欠く状態に御座います。先に居られた麹義殿が、涼州の出で羌族の戦法を身に着けており頭一つ抜けていたのですが」


 しかも於夫羅、ようは南匈奴の部隊をそれで打ち破ったというのだから中々の戦績だぞ。


「そいつはどうしたんだ、どこかの戦線に釘付けにでもなっているのか」


「残念ながら兵を率いたまま袁紹殿のところへ下りました。北方異民族対策ではかなりの戦功をあげていた様子」


 よりによって投降していったか、まあ俺の作戦中にそうされなかったのをありがたく思うとしよう。


「裏切るような者はいつか裏切る、居ないならばその方がためになるものでしょう。公費で集めたならば兵は置いていくくらいの気遣いをすべきでしょうな」


 皮肉とも苦言ともとれるようなことをズケズケというか、この郭嘉というやつ結構面白いな。気品あふれる荀氏とは毛色が違い、好き嫌いはわかれるかも知れんが。

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