第296話


「大筋になんら異存はない。乗っ取りが無理だとわかったら、袁紹はどうするだろうな」


「連合軍の盟主である限り、ことを為さずに領地に帰還するわけには参りますまい。さりとて進軍も出来ず、軍の維持のために張貌殿を頼り始まりの地、酸棗にでも拠るのでありましょう」


 面子ってやつか、宙づり状態が一番つらいだろうな。曹操の奴は更に厳しいはずだが、あいつは今頃どうしているのやら。


「時間は袁紹に不利に働くわけだ。公孫賛ってのはどうして冀州攻めてるんだ、あいつだって連合軍に名前があっただろうに」


「ひとえに野心で御座いましょう。幽州牧である劉虞殿下から軍を奪おうとし、異民族を服従させ、盗賊を討伐することを良しとしている。辺境の遼西に根拠地を持ち、中原を目指す。董卓の官爵利用により、曹操殿と将軍号を被らせ不仲にさせ、黄巾賊が未だ各所に出没することを口実に、冀州を目指させているのです」


 それと知って敢えて踊らされているふりをしてるわけだな、公孫賛というのも強かだ。また軍事に明るいせいで兵力が増えるわけか、それを養うためにもやはり穀倉地帯の領有権が欲しいわけだな。大体の状況が頭に入って来たぞ、荀彧はこういうのを常に調べてインプットしているんだから勤勉そのものだ。


「概ね理解した。で、荀彧は誰を冀州の助けに向かわせるつもりなんだ」


 張遼は陸軍の訓練に欠かせないし、甘寧も水軍に必要だ。典韋じゃ軍勢の指揮にはならんし、趙厳や牽招らも補佐でしかないぞ。おいなんでそこで笑うんだよ、もしかしてアレか、太守に任官したばかりなのに俺がいけってことか?


「おやお気づきになられましたか」


「流石に俺が潁川から離れるのはどうなんだ? 太守になってまだ一か月目だぞ」


「太守でありながら任地を離れて久しい者が傍におりますので、これといった不都合もありませんでしょう。潁川は仲豫殿がつつがなく取り仕切ります」


 そりゃ確かに全部任せるつもりなんだからそうなんだが、職場放棄みたいであまり乗り気じゃないんだよ。将軍職のほうの任務ってことなんだろうが、ほんとにそれで白い目で見られないものかね。


「荀彧がそうしろっていうならするが、本当に大丈夫なのか」


「黄巾賊が冀州にも雪崩れ込んで来る恐れが大きいので、軍を率いて助力に向かった。何か問題でも御座いますか」


 ああそうかい、ならもう言わないよ。やれやれと肩をすくめて「わかった、そのつもりでいよう」認めてしまう。


「我が君のお言葉に感謝を。随伴の部将でありますが、護衛に典韋殿、部将として趙厳殿、孫策殿、牽招殿を連れあちらでは公達殿をお傍に」


「そいつらならば抜けても潁川で困らんだろうから納得だ。黒兵はどうするつもりだ」


 実は張遼、甘寧らと合わせて五本の指に入る猛将だと思ってる、文聘は残念だが名将ではあっても猛将の枠じゃないぞ。ちなみにどっちが上だとかそういうのはない。


「損耗が大きいので療養と補充で待機に。騎馬兵が必要でしたら、冀州で充分調達が可能でしょう」


 こちらの手勢をすり減らすなってことか、それもそうだな。若いのに経験と自信をつけさせる好機とでも思っておくとするか。


「で、俺が出かけるのはいつ頃の予定だ」


「半月の後、といったところでありましょうか。今しばらくはご随意に」


 やると決めたからにはその間に予習をしておくとするか。それにしても、俺に平和は似合わないってことなんだろうかね。



 八月後半のことだ、俺的には盆明けなどと表現したいが誰にも伝わらんだろうな。移動できないほどではないが、長期の療養を必要とする黒兵と、小黄へ戻りたい者を一部引き連れて陳留へと入ることになった。張貌には会うつもりはないし、堂々と街道をゆくつもりもない。


 船で河を遡上していき、小さな津で上陸、半日で小黄へ到達した。負傷者を担ぎ込むと長官屋敷に久しぶりにやってきた。すると留守番達がもろ手をあげて大歓迎を示して来る。長く空け過ぎたらしい、そこまで思い入れはないのだが孫羽将軍の後継者なことを忘れるなというところだな。


 孫策はかなりの驚きを見せていたが、誰も説明などはしてやっていないぞ。直ぐに出るつもりだったが、ここで二日間頼まれごとを決裁したりなどして滞在することになった。荀攸殿からの伝令がここにも入っていたようで、現在韓馥は趙国の都である邯鄲に居るとのことだった。


 八月の終わりころになり、冀州の南西に位置する邯鄲県へとやって来る。夏の暑い盛り、僅かな黒兵と雑多な歩兵で五百人だけを連れてだ。今までのことを考えたらこれで戦えと言われても無理だな。


「そこな軍勢またれよ! 某は冀州牧韓馥様の従事で審栄、何の目的でこの地を踏んでいるのだろうか」


 若いな、まだ二十歳そこそこじゃないか。五十程の兵士を連れてのもの見という感じか、戦時だからな。


「俺は潁川太守恭荻将軍島介だ。冀州殿に招かれやって来た。案内を頼めるかな」


「潁川殿ですと? それは失礼いたしました、どうぞこちらです」


 速やかに下馬すると膝をついて礼をする。印綬を見て上官だとサクっと認めたらしいな、その上でわざわざ酔狂な嘘を吐きにきたわけではないならば、そういう用事があると判断したわけだ。取り敢えずは及第点だろ。


 城に入ると荀攸殿が出迎えてくれた、なんだもう見つかっていたのか。それもそうか、あとはいつ到着かだけだもんな。


「島将軍、無事の来訪をお祝い申し上げます」


「ご苦労、いつも助かるよ。どうせすぐに謁見とはいかんだろうから、どこかで話をしたい」


 宿屋ってわけにもいかんか、兵士が居るしな。城外で野営を命じておくとするか。


「いえ、冀州殿が到着次第直ぐに招き入れよとのことですので。こちらです」


 いつやって来るか解らんやつを直ぐに、か。もしかしてかなり切羽詰まっているのか、まあそうでもなければ俺がここまでやっても来ないか。


 城主の間に通されると、十人程の男が並んでこちらを見ている。ふむ、知ってる奴は一人としていないな。三十歳から五十歳の間で構成されている、健全な層がしっかりと働いてるようだ。ということはだ、地元豪族を無理矢理に並べる必要が無い位に充実はしているともとれるか。


「潁川太守恭荻将軍島介、到着いたしました」


 騎都尉の印もしっかりと持ってはいるが、こいつはいつまで有効なのやら。とっくに剥奪されているんだろう気がしているよ。奥に座っている五十歳程の最年長者らしき奴が韓馥だな、雰囲気に丸みがある。


「おおよく来てくれた! 私が冀州牧の韓馥だ、待っておったぞ」


 こいつはあれだ、心底手が無くて参っている感じの食いつき具合だぞ! 来てよかったとだけは思っておくとしよう。荀彧のレクチャーでは、俺が取って代わるような姿勢を見せさえしなければ上手く行くだろうってことだな。


「潁川での役目が多くて時間が掛かりました。こちらの目的を果たし次第すぐに戻りますが、それまでの間はよしなに願いましょう。先だっては河内への兵糧提供感謝いたします」


 俺の本拠は向こうなんだよアピールと、素直に感謝はしておこう。何せこいつは敵じゃない、味方の上司だ、直属ではないがね。幕僚らの表情は読めんが、怒りや疑惑の視線はないな。


「あの程度、冀州は莫大な収穫量があるからな、各城の備蓄も豊富だ。島将軍、力を貸して欲しい頼めるだろうか」


「その為に私はここに在りますので、どうぞご心配なく。とはいえやや暫く胡軫と遊んでいて世情に疎い有様、出来れば現状の確認をしたく思います」


 ほんと胡軫と戦う為に二か月くらいは頭が一杯だったぞ、同時進行はするもんじゃないね。


C-19 

 韓馥がすぐ傍に立っている中年の男、俺と同じ位の奴に視線を投げかける。ということはこの中で一番重用している知恵袋ってことか。


「冀州別駕の閔純と申します。某より現在冀州が置かれている状況を説明させていただきます。この地は暫く戦乱の渦中に見舞われず、類まれな治安を保っておりました。ゆえに、農事は繁栄し兵糧は十年分が蓄えられており、武装も百万人を整えるだけのものが御座います」


 白髪三千畳とかいうやつだとしても、他所に提供するだけの食い物は産み出しているのは事実、そして装備も恐らくは十万人分ならばありそうだな。州全体で見れば充分なのかは人口次第だが、恐らくは適切だろう。頷いてやると先を進める。


「董卓の悪行に対し後方より連合軍を助け、民を安んじているのは冀州殿の仁徳の賜物。住民も良く懐き、安寧を享受出来る奇跡の地で御座いました」


 過去形か、そんな満ち足りている世界を聞きつけた奴がどうするか、抵抗しなければ奪って食い尽くす、これだぞ。盗賊を追い払う位の部隊は幾らでもあっても、戦争を仕掛けてくる軍勢は防げない。


「治府があった安平国は信都に、ある時血迷った者が押し寄せてまいりました、公孫賛であります」


 冀州は南東を黄河が走っていて、河を下にした台形のような領域を持っている。信都はまさにそのど真ん中だ。ちなみに東端が渤海で袁紹の領地で、名前の如しで海に面しているぞ。


「しかし、治府があり防衛軍が在ったならば、そう易々と奪われることもなかっただろう」


 視線を武官らに向けると目を閉じてしまう。何かやらかしたんだな、だからこうなっているわけだが。


「公孫賛は連合軍に参加する為にと安平に入って来て、そこで暴挙に出たのです。袁紹殿に招かれているとの書簡を携えておりましたので、それを信じ城へ入れると牙を剥きました」


「その書簡というのは偽造?」

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