第295話
亡くなった子の歳を数えるわけではないが、初動でしくじったのは俺も感じてるよ。袁紹が頂点なのはそれでいい、だが軍の運用は別の者に任せてしまえばこうはならなかった。あれだけいたんだ、気づいていたのだって大勢いるはずだが、そうできなかったのが限界だったんだろうな。
「以後やるならば別の形でということで?」
「それなりの数を率いて、根拠地を持つ者が、帝をお迎えして正道を行くことになるであろう」
それが曹操だったというのが歴史なんだよな。ところが正道を行こうとしなかった、それに気づいても時すでに遅しで三国志時代に突入だよ。よくもまあこの状況から帝を手に入れられたものだ、やはり数年程度では手が届かん。
「……先は長いな」
「確かに。だが諦めはせん」
「無論だよ。志とはそういうものだと信じている」
無言。いまそれぞれがなにを思っているのか、非常に重い、そして厳かな空気が流れている。同じように慮っているという確信が出来た、今はそれでいい。足音が聞こえて「父上、兵が休息に入りました」孫策がやって来る。雰囲気を敏感に感じ取り、どうしたのかと目を細めた。
「ご苦労だ。なあ孫策、お前は今後どうしたい?」
なんの前提も言わずに、あまりにも漠然とした問いかけをする。孫堅も息子が何を言うかを聞きたそうだった。
「足元で軍を集め、洛陽を取り戻し、漢室に安寧を取り戻したく思います!」
孫堅と目で会話をする。同じ未来を見ているのがここにもいたな、といったところか。
「伯符よ、もう少し島介殿の下で学ぶと良い。どうだろう島介殿、預けさせては貰えないだろうか」
「本人の意志を尊重します」
孫策が進み出てきて膝をついて拳礼をする。なんとも絵になる奴だな。
「島将軍、今後もよしなに願います!」
「預かりの部将として幕へ連ねさせていただきましょう」
難しい話はここまでにして、それから暫くは酒に酔いしれることにした。かくて志は次代へ引き継がれるわけか、いいものだな。
◇
初平二年七月。西暦百九十一年の夏。潁陰の城で報告書に目を通していると、ふらりと荀彧がやって来た。手には巻物を一本携えている。
「どうしたんだ、そんなものを抱えて」
従僕なり書生なりが持ち歩くならば解らなくもないが、荀彧が裸で持っているのが不思議に思えた。
「冀州牧の韓馥殿をご存知でしょうか?」
「うーん、諸侯の会盟でも座に居なかったが、名前だけは知っている。糧食をせっせと送っていたのがそいつだなってくらいだが」
冀州というと冤州の北側で、今袁紹らが居る地域だったな。洛陽の右上あたりといえばそんな表現だな。
「昨今袁紹殿のところに届く糧食が滞りがちだと聞いておりましたが、いよいよ奉孝は愛想をつかして袁紹殿の下をさったらしく、今はその韓馥殿のところに厄介になっているとの書簡が来ました」
字で言われても不明だったので人物の説明を求めたら、郭嘉とかいう潁川出身の友人らしい。
「何でも検討するだけの袁紹では、鬱憤が溜まることもあるだろうな」
優柔不断で決定をしない、良策であっても即採用が無いのはもどかしいだろうさ。
「はは、従兄弟の郭図殿や辛評殿は居残っているらしいですが。ああ、辛批殿の兄で御座います」
「あいつの兄貴か、潁川の集団は繋がりが深いんだな、良いことだ。で、そいつらがどうしたんだ」
蜀に居た頃にはあまりそういった繋がりは数が多くなかったからな、費一族くらいだったか? 結局、移住して行ったので親族がすくないとか、色々そういう理由があったのかも知れん。
「郭図殿の話では、袁紹殿は軍の維持が厳しく、陳留に居場所を移すつもりのようです。ところが奉孝いわく、袁紹の幕にいる逢紀殿の策略で、韓馥殿に州牧を譲らせる計略を練っているとか」
袁紹が北部一帯を手にするのは確か歴史だ、それで曹操とぶつかるんだよな。ということは恐らくこの計略が上手く行くんだろう、それをどう俺が扱うかということか。
「きっと上手くやると思うぞ。で、それが成功すると前提してだ、荀彧はどうすべきだと考えているんだ」
「策略が成ると我が君はお考えですか」
「ああ、こいつは勘でしかないが、恐らく袁紹は北部地域を手中に収める」
荀彧は真面目な表情になりじっとこちらを見詰めて来る。確たる情報も無ければ、荀彧のように友人の言葉を集めているわけでもないんだ、怪しくも思うよな。かといってその先をどうしたらいいかの視点は俺に無いんだよ。
「であるならば、文若に考えが御座います。お聞きいただけるでしょうか」
「ああもちろんだ。俺が及ばない分、荀彧にあれこれと思案して貰わんとならんからな」
微笑むとまずは座れと着席を勧めた、そして茶を持ってこさせる。焦ったってどうにもならん、一服して吟味する位の時間はいくらでもあるさ。
「では考えをお聞きください。冀州は肥沃な地であり、民もまた裕福な者が多い地であります。そこと隣接しているのは南西に河内、南東は冤州、東は青州、北は幽州、西部は蛮地に御座います。まさに中原と呼ぶにふさわしい地、それが冀州」
確かに四方が山林に囲まれた南蛮や益州、山地の中央にある長安などは中原とは言い難いからな。荊州の北部は中原に含んでもよさそうだが、ここ豫州や冤州、そして冀州あたりが中原オヴ中原なんだろうさ。うんうん、と頷いてやる。
「韓馥殿は気が弱く、事務に明るい御仁。このような乱れた世では牧を務めるのは重荷と感じているでしょう。閔純殿が別駕で筆頭でありますが、武官の姿が少なく戦を苦手としている陣容と評して多く違うことは御座いません」
麹義、審配、程奐、趙浮などと武官を上げられたがまあ聞いたことが無い奴らばかりだった、有名にはならんやつらなんだな。実力と名声は別物ではあるが、少し首をかしげたくなる。
「無理押しが効くと思われてはな、やりづらいし不安だろう」
平和な世の中ならば最高の経済的、政治的布陣でも、こん棒を持って迫られたら壊滅するのは時代だな。一方で袁紹は部下は分厚くいるが、命令を出せないせいでやはり戦が苦手なわけだ。こうなれば頭で勝負、そこでその逢紀とか言う奴が画策して、サクっと郭嘉ってのに見抜かれているのがイマか。
「冀州を攻撃している者が存在しますが、公孫賛殿でございます。北部より圧迫を受け、それに対応をしようにも出来ずに悩んでいる、そこで袁紹殿が助けるためにとって代わるといった筋書きなのでしょう」
「対抗が無理で牧を譲るということか、住民のことだけを思えば戦に明るい奴を据えるって結果、わからなくもない。それを解決策と言えるのかは何ともいえんがね」
丸投げで済むならそいつは何のために官職にあったんだよってことだ。武官を招いて軍を預けて対抗させる、そしてその武官を統率することで間接的に軍を従えるのが頂点だろう。
「元より袁紹殿は渤海太守ですので、冀州牧を助けるのは不思議では御座いません。逢紀殿もそこを筋に策を練っているのでしょう。実は韓馥殿、潁川の出身でして某も面識が御座います」
「そうなのか、潁川出身者は随分と多いな」
ここはそんなに人口は多くなかったはずだが、なぜそんなにも高官が多いのやら。旧家とか名家が多いのかも知れんな、どこの馬の骨とも解らんような奴が太守で申し訳ない限りだ。
「何せ潁川と汝南二郡のみで、冤州や徐州、揚州あたりの州よりも大勢住民がおりますので」
なるほど、俺の見識不足だったか。潁陰の規模が潁川の県の中では小さめだっただけで、他は都市やら大都市ばかりなんだな。というか揚州、呉国は人口不足で悩んでいるのをよく聞いていたが、そういう規模だったんだな。
「そうだったか、話を遮ってすまんな。続きを」
「まずは不安を消す為に、公達殿に冀州へ行ってもらいます。軍をしっかりと統率させれば、冀州という強固な地盤を持っている韓馥殿が恐れることなどないと説明させるのです」
確かにしばらく平和だった州の常備軍があるんだ、それを打ちのめすなんて並大抵の苦労ではない。しかも防衛側は近隣の地元から徴兵で追加も出来るからな、実務が不足しているだけなんだよ。
「荀攸殿がいって説明すれば、きっと納得するだろうな」
「納得はすると思われます。それでも不安は残るでしょう、なので戦闘を指揮出来る人物に助力をさせると話を持ち掛けるのです。韓馥殿が冀州を治めている方が、我々だけでなく国家の為になりますので」
そうだな、野心が無く謀反の心配がない文官が統治をして国家に忠誠を誓ってくれるなら文句は無い。袁紹は陳留ではなく渤海に戻るべきだな。というか何故陳留に行こうとしていたんだろうか。
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