第294話 潁川太守歩兵校尉恭荻将軍


 董卓は意外だった、予想していたどれとも全く違った言葉に賈翅をチラっとみてしまう。すると賈翅ですら想定外だったのか、むう……と思考しているではないか。視線を戻して董卓は考えた。段猥がどこでどうしようとさして重要ではない、むしろ清流派の眼鏡にかなう才能を持っていた部分にこそ利用価値を見いだした。


「確かに段猥は農業について詳しく経験がある。そうか。それならば司空の願いを聞き届けるのが相国としての務めであろう、のう賈翅」


「仰る通りに。潁川太守は改めて適任者を人選致します」



 意見を求めているのではない、董卓はもう既にそうするべきだと決めた、声色で心を読んで従ってしまう。これが談合の末の細やかな抵抗だとはこの場では気づけなかったらしい。


「相国のご判断、有り難く存じます。これで国家の農事が向上しましょうぞ」


 うんうん、と満更でもなく頷いて朝議は締めくくられた。怪訝な部分はあったが、より上位の官職を勧められたのでそんなこともあるかと、司空の心変わりを賈翅も認めてしまう。それから数日、荀攸から潁川太守に島介を推薦すると上奏があった時は、騙されたと大いに怒り狂う董卓の姿が宮の奥で見られたそうな。


 その翌月だ、地震があったからと責めを受け仲拂は司空を免官されてしまうのであった。



 潁川太守に認められた直後に、城外に留まっている汝南軍へ使者を出すことにした、むろんそれは荀彧が買って出る。単身赴いて数刻、潁陰城へ戻って来る姿が見られると同時に、汝南軍が備えを解いて遠ざかっていくと報告が上がって来た。


「徐蓼太守はその役目ゆえにここまでやってきていたことがはっきりとしたな。ああいうのを国家の忠臣というんだよ」


 しっかりとした姿勢を見せつつ、現状を知って攻撃をしてこずに、適正だと確認されると速やかに軍を退かせる。誰にでも出来るようなことではない。軍勢をようやく割ることが出来るようになったので、荀彧に兵をつけて送り出す。


 すると数日のうちに陳郡の陳県に入城したとの報告が寄せられる。さらにそこから数日で、陳郡のほぼ全てが自称でしかない太守である荀諶に帰順するとの申し出をしてきたらしい。なんとも俺との差があって頼もしい限りだ。苦笑しつつ把握に努めようとしていると、また伝令が駆け込んできた。


「申し上げます! 潁川の南に何者かの軍勢が近づいております、その数凡そ一万程」


 一難去ってまた一難か、やれやれだ。一つ小さくため息をつくと「偵察を出して詳細を調べて来い。それと郡の南には待機命令を出せ。北半分にも通知だけは出しておくんだ」不明の軍勢が居るぞとだけは知らせてやらなければならない。その日の夜中になり、騎馬が潁陰にやって来る。


「不明の軍勢ですが、孫堅軍であることが確認出来ました!」


「おお、孫堅殿か! 荀彧、連絡をつけるんだ。それと、孫策にも報せてやるんだ」


「畏まりました、我が君」


 凶報かと思っていたが、こいつは朗報の類だろう。まあ手放しで喜べんことになる可能性はいつでもあるが、そうならば俺の目が曇っていたという証明になるだけだな。二日後、部将らを従えて城門の前で孫堅を出迎える。


「孫堅殿、ご無事でなにより」


「島介殿、我が子を助けていただき感謝いたしますぞ!」


 傍に立たせていた孫策と黄蓋が久しぶりに目にする主人を前に笑みを隠せない。


「父上、伯符は孫家に連なる者として、何一つ恥じる行いなくこの場に立っていると報告致します!」


「うむ、それでこそ俺の子だ! 公覆、お前にも苦労をかけたな」


「なんのこれしき、自身の役目を果たしたのみであります」


 良い関係だな。はたからみて羨ましいとすら思える絆、多くの者にも伝わっただろうか。


「まあまずは城内へ行くとしましょう。場を設けてあります」


「では厄介になろう。呉景、軍勢の面倒を頼むぞ」


「はい、義兄上」


 呉景は騎都尉だな、都での官職を与えられているのは功績が知れ渡っているからだ。孫堅の義弟ではあるが、一個の武将として充分身を立てられる存在であることを認識すべきだな。


「孫策、手伝いをしてやってくれ」


「はい、島将軍。叔父上、こちらです」


 孫堅と視線を合わせると、目が笑っていた。息子が立派に動いているのを見てのことなのは、こんな俺でも直ぐにわかったよ。宴席が用意されている場所に俺と荀彧、孫堅、そして若い部将が一人入る。誰だこいつは、印綬を履いているな。


「紹介いたす、我が甥の徐混、偏将軍の官を得ております」


「呉郡の徐混と申します。島恭荻将軍の勇名はかねがね」


 甥っ子で徐姓ということは、孫堅の姉妹の子供か。それなのに編将軍ということは、呉景よりも上位になる計算だぞ。徐家が豪族としてかなりの力を持っているんだろうな、聞いたことが無い名前だよ。


「先日潁川太守も拝命した。徐将軍、宜しく頼む」


「ほう、某が上奏しようと思っていたが、既に沙汰がありましたか!」


 勝手にあったわけではないが、そうなんだよ。聞くところによると危うく却下の憂き目にあう寸前だったそうだが、朝廷でも勢力争いが激しいんだろうな、偶然を装い空席を維持していたということだ。


「色々と混み合って、結果こうなっている、というのがより正しい気はしています」


「それはまた、随分と謙虚なことで」


 時を同じくして笑った、世の中そんなものだなと。どうやら孫堅は俺と同じ波長をもっていると思っていて間違いなさそうだ、軍人であり指導者である、そしてこの時代の英雄だ。酒を軽く酌み交わすと、ようやく荀彧が口を開いた。お仕事の時間か。


「されば孫将軍へお尋ねしたき儀が御座います。此度は豫州への赴任、やはり沛国へでありましょうか?」


 事前に荀彧にレクチャーを受けているから解るが、潁川があり、陳国があり、その東にあるのが沛国だ。ついでに言うならば、ここと長平県の等距離を進んだところが焦県で豫州の都だな。


「ああ、焦県に向かうところだ。州刺史としてこの地をまとめ、今後に備える。荊州は袁術殿が入られたので、董卓も簡単には手出しを出来ますまい」


「袁将軍がゆかれましたか、南郡に居を構え荊州全土を導けば治安を維持されるでしょう。陳国でありますが、荀彧殿が仮の太守として統治を行っております」


 これが一つ目の山場だ。孫堅が自分の子飼いを据えるというならば、何かしら方向性を考えなばならんからな。といってもこちらが勝手に支配しているだけなので正統性など一つもないがな!


「ほう、ならば某からも太守として指名し上奏しようではないか」


 いともあっさりと、それも何の嫌味も条件もなくそう後押ししてくれる。ふむ、そういうことならば俺も裏表がない付き合いをすべきだな。


「そうしていただけるとは、文若が代わりに感謝を述べさせていただきます」


 美丈夫な荀彧がにこやかに礼を述べている。ふと思ったんだが、孫堅は男らしさはあっても別に美男といった感じじゃない、徐混もだぞ。だが呉景はイイ感じだった、ということは孫堅の妻が美女だってことでいいんだろうな。何せ孫策は掛け値なしのイケメンってやつだぞ。俺のしょうもない雑感でしかない。


「豫州を統治するうえで名声高い荀諶殿が太守を引き受けてくれるのであれば、こちらから願いたいほどのことではあるがな。潁川、陳、汝南、そして俺が沛国へ入る、残るは梁国だが荒れていて威光が届いておらん」


 陳郡と沛国の間にあり、両地域の北側だ。つまり豫州は東西にやや長く、汝南が南部にあるので、右向きの矢印のような領域になっている。


「孫将軍が入られれば、直ぐにでも治安が行き渡りましょう」


 これで荀彧の出番はまずおしまいだな、この先は俺の仕事だ。


「多少の賊徒など幾ら群がろうと孫堅殿の相手ではない。時に孫策ですが、先の胡軫との戦で関所を一つ守る主将として指名しました」


「ふむ、部隊指揮を任せられたと。愚息を信用して頂いたようでかたじけなく」


「なんのこちらが助けられました。千の手勢で五千を難なく防いで、無事に今に至ります。やはりアレは才能の塊、世に轟く名将になること間違いないですな!」


 後の世のゲームでの無双っぷりが凄いんだぞ。どちらが主でどちらが従かは俺では何とも言えんが、なにせ有能なことだけは絶対だ。既に何度もその証明をしているんだからな。


「うむ! ふはははは、そうかそうか」


 自分のことのように、ともすれば部下や子供の活躍は自分の事より嬉しいものだからな、気持ちの一端がわかるよ。


「反董卓連合軍ですが、袁紹があの体たらくで帝を別に頂こうなどと妄言すら持ち出し、今や状況は悪化している。孫堅殿はどのようにみているでしょうか」


 これが二つ目の山場だ、地方で割拠する為に全力を振ってもおかしくない。俺だって現状そうだ、腐っても朝廷は権威と実力を持っているんだよ。


「連合軍が再度結集することは考えづらいでしょうな。初期に集まった際に、のらりくらりとやらずに攻め寄せて居ればまだマシな未来があったやも知れぬが……」


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