第292話

 寝起きですっきりとしたらしい荀彧が復帰か、良かった良かった。睡眠不足を解決する方法は、古来より睡眠しかないんだよ。


「構うものか。甘寧が奇襲に出かけた、遅くとも明日の朝には華雄はこの場から去る見込みだよ」


 あいつが上手く出来なければ正面からな。別に殲滅を目的としているわけではない、追い返すことが出来ればそれで結構。


「奇襲で御座いますか。でしたらこちらで陽動をかけてやれば助けになるやもしれませんね」


「何か案があるならやってくれ、任せる」


 今後について考えをまとめる時間が欲しかったんだよ、突っ走り過ぎて忘れていることが多々あるだろうしな。興味がないかのようなこちらの返答に、うやうやしく礼をして幕を出て行ってしまった。


 さて、早晩華雄は撤退し、潁川軍は掌握できる。陳郡まで手中にするとして、太守の適任は誰なんだ。そもそもそれはプラスなのかというところまで注意をしなきゃならんぞ。各位の官職にも手を付ける必要がある、色々と仕置きが難しい。


 絶対に外せないのは荀彧を手元に置くことだ、これが全ての軸になる。荀氏への功労を称えるために、陳郡太守は一族から出すのはどうだ、荀悦殿は郷里で統率してもらうので無しだ、とすると候補は二人か。荀攸殿か荀諶殿かいずれかだ。どちらが太守になっても上手くやるだろう。


 潁川の軍は俺が指揮するので良いが、陳郡は武官を置く必要がある。本当ならば反り合いの都合上、文聘を補佐に置きたいが、やはり序列的にも張遼にすべきなんだろうな。となると騎兵団の育成は北瑠に頼ることになるか。

「どこかで抜擢を認めさせたいが、大きな功績をあげさせる必要が出て来るな。上手く行かんもんだ」


 甘寧には水兵の統括、残りは歩兵の練兵をさせるか。文武両道の呂軍師はやはり大駒の中の大駒だったようだ、姜維もな。一方で全般統括の軍師候補は荀彧含め、荀悦、荀攸、荀諶、陳紀と世がうらやむほどの粒ぞろいだ。ここは張遼にさっさと司令官として育ってもらうのが得策だな。


 まてよ、劉備一行はまだ袁紹のところに間借り状態だな。こいつらを使おうとすると、庇を貸して母屋を奪われるようなことが頻発するらしいが、劉協を援けるというのに賛同している状況でそこまでこちらに不利を与えて来るだろうか?


 まずは足元を固めた後にするとして、あいつらを招くことも視野に入れておくとしよう。俺がここで時間を浪費すると、劉協が苦労をするからな。無事で居るのは解ってはいるが、だからと不幸の連続を耐えているのを座視は出来ん。



 夜が明けると味方の陣地が騒がしくなった、戦いをしているというのではなく何かしらの挑発のようなうるささだ。放っておけば荀彧が上手い事やる。腕組をして幕でじっとしていると、別の騒がしさが耳に入って来る。


「我が君、攻勢に出たく思いますのでご許可を」


「好きにしろ。動きがあったか」


 目をあける。甘寧のやつが上手くやったのならばここが押し時だろうな、それが罠だというのを警戒するのが俺の役目か。


「山頂の大旗は黄色、襲撃には成功し仕留めそこなったとのこと。これを機に華雄を追い返そうかと」


「そうか。では出撃だ、黒兵を騎乗させろ、俺も出るぞ」


 隊列が細長くなりすい、趙厳らにも個別に配下を割り振り中核に据えるとして、万が一の逆襲にも備えるとしよう。


「この陣地は文若が維持致しますので、どうかご武運を」


 幕の外に出ると大勢の軍兵が武具を整えて部隊ごとに集合していた。負傷者を中心に防衛に残るよう選別し、太鼓をこれでもかという位に鳴らし続けていた。華雄も異常に気付いているだろう、こちらとしてはそれが目的なんだがね。


 馬の背に跨ると矛を手にする。多くの耳目が集まる「敵は浮足立っている、今こそ山の向こうへ追い返す好機だ。勝利は我等の直ぐ目の前にあるぞ、進め!」矛を掲げると軍兵らが大声で応じた。趙厳の部隊が真っ先に門から飛び出した、黒兵の小集団は隘路を左手に曲がって進んでいった。辛批と杜襲は右手を目指す。


 歩兵団も百人部隊ごとに固まり騎兵を追っていく。本陣はゆっくりと陣を出て真っすぐ前を向いて進んだ。


「軍旗を掲げろ! 声を張り上げろ!」


 供回りが気合いを入れる為に何度も大声で叱咤を繰り返す。ふふ、何も言われずとも軍が動くようになったか。中央奥にある華雄の本陣が蠢いているのが視界に入る、こちらに向かってこないということは逃げの算段か。姿をくらませて迂回、或いは待ち伏せを警戒だな。


「各部隊に通達しろ。待ち伏せと伏兵に警戒、敵を追い返すだけで深追いは不要だ」


 目的を最優先に据えるぞ、別に首級は要らんのだ、これ以上の被害を受けんように牽制だけに留めろ。決して連携が切れないような場所に部隊を送り込み続け、全体を把握し集団を誘導する。このくらいの規模の戦闘ならば俺でも出来るようになっちまったな!


 三か所の敵陣にあった物資を強奪すると火を放つ。こういう時が一番危険だ「近距離斥候を出せ! 気を緩めるな!」浮かれている奴らを叱責して渋い顔をしてやると、難しい顔で周りを警戒しだす。崖の上から縄を使って数十人が降りて来るのがチラッと見えた。


「大将、すまん華雄を仕損じちまった!」


 甘寧が悔しそうな表情を噛みしめてやって来る。襲撃をして無事に戻って来ただけで充分さ。


「構わん、お前にその能力があるのを証明したんだ、それで充分だ。速やかに全部隊を統率して引き返す、任せてもいいか」


「おう、やらせてくれ! あんたは一足先に陣に戻って休んでてくれ。お前ら、伝令を集めろ!」


 やる気をだしてくれたならそれで結構だ。百ほどの供回りだけを連れて来た道を引き返す、少し考えて大軍旗だけは置いていくことにした。やはり経験こそがものを言う、肩書なんぞは後からついてくるものだ。


 夕方頃には防御陣に全ての部隊が撤収してきた、孫策の側からも狼煙が上がって来ていて、敵が撤退して行ったのを知る。この方面は終わったな、再度出張って来るには一か月や二か月はかかるはずだ。


「伝令! 島将軍に報告致します。潁陰に汝南軍が現れ城外に布陣を始めました!」


 つい荀彧を目を合わせてしまった。攻め寄せるわけではなく布陣か、許は近寄っただけだったな。もしかすると許へは増援のつもりで行ったんじゃないか、けれどもいざ行ってみると胡軫の旗は無くて引き下がった。


 すると今度は潁川が俺、つまるところ賊に支配されてしまっているので、漢臣として解放しにきているとか。陳郡に手を出さないのはそういう感じなら筋は通る。


「椅子が温まることが無いようだな」


「武力でこれを退けるのは下策でありましょう」


「ではどうする」


 目を細めて解決策があるならそうすると含める。あちらも積極的に攻めてこない、あるいはそうすることが出来ない理由があるんだろうからな。


「一本の筆と印章にて」


 挑戦的な笑みを向けて来る荀彧に「結構だ」笑みを返してやり、詳細を聞かずに認めてやる。するとサラサラと文を仕上げると「これを持って公達殿のところへ」伝令騎兵に持たせると直ぐに取って返すように命じた。護衛の黒兵も十騎つけてだ。


「今夜は休むとしよう、明日の朝にはここを引き払うぞ。孫策にも連絡を入れておけ」


 翌日、長社を経由して潁陰へと入城した。気になっていたので城主の座につく前に城外に居るらしい徐蓼軍を見る。うむ、八千くらいだろうか、林を背にして小高い丘に陣取っている、戦下手なわけではなさそうだな。


「あれをどう見る荀彧」


「されば義理を果たさんとすべく、かの地に拠ってるように見えます」


 命令或いはそういうった行動をするものだという使命感か。国家への忠誠だな、こんなところで無駄死にさせるべきではないぞ。


「こちらからは絶対に手を出すなと厳命しておけ」


「御意」


 外套を翻して内城へと向かうと、幾度も見た顔の男達が集まっていた。真ん中を進んで玉座のようなモノに座ると、荀彧が左隣にたった。皆がそれをみてその場で鼓のような椅子に腰を下ろす。荀悦が中央に進み出て一礼する。


「まずは島将軍に戦勝のお祝いを申し上げましょう」


「反省すべきところばかりの、勝敗紙一重の結果だった。だが、荀氏らを始めとした諸兄らの協力に、島介が礼を言わせて貰う」


 立ち上がり左右に向かい礼をとると、全員が立ち上がり返礼した。一人一人の目を見て後に座ると、皆もそれに倣った。


「名実ともにこれで潁川の守護者で御座います。今より潁川太守を名乗られると宜しいかと」


 どうなんだ、と荀彧を見てやる。

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