第291話

「これはこれは島将軍、随分とお早いお戻りですな」


「荀攸殿、許へ向かったのでは? それにこの守備兵は一体」


 余裕の笑みを浮かべている荀攸をまじまじと見つめる。何をどうしたのやら、許にもしっかりと守備兵が居たぞ、どうなってるんだ。


「許へは牽招殿を急行させました、といっても兵を届けた後にはすぐさま駆け戻って貰いましたが」


「そうだったのか、それでこの兵は?」


「王方の敗残兵をまとめたものです。地理不案内で敵地に取り残されていましたので、こちらで再雇用をするともちかけたら千程が恭順をしましました。逃げ隠れしている者も気付けばあと千人は合流する見込みです」


 河南からのやつらか、現地解散では涙目だものな。独り身だったりならば、取り敢えず就職するのもアリってことか、食っていけるなら別に主人が誰でも構わんか。


「こぞって反乱をしなければ、正規兵として扱ってやる。分散配備するなりして馴染ませるようにしよう」


「御意。華雄の動きですが、関所正面で交戦を続けております。孫策殿がそろそろ疲弊されているのではと」


 交代要員が少ないんだ、確かにそれなりに厳しい防戦をしているだろうな。甘寧だってそうだ、これは休んでなどいられんな。


「朝一番で増援に出る。飯と寝床の準備を頼む」


「承知致しました」


 直ぐに数が用意出来たのが蒸し饅頭、ようは肉まんと茶だった。それを腹に収めると、そこらで転がり寝てしまう。連日の寝不足だが不平不満を口にする黒兵は一人もいなかった。孫羽将軍の威光に随分と助けられるものだ。


 太陽が登って来ると自然と目が覚める。その頃には握り飯と茶が用意されていて、馬の手入れも終えていた。荀攸殿に感謝だ。


「二手に分かれる、張遼は騎兵五百を率いて孫策の増援に向かえ」


「応、任せろ!」


「残りは甘寧のところへ行って、華雄を撃退するぞ!」


 千騎と少しだな、充分な戦力だ。これが終わったら騎兵の養成をしなければいかんな、一朝一夕で補充が出来ない貴重な兵種をかなり失ってしまった。夜通しで荀彧と荀攸殿で情報交換をしていたらしく、顔色が冴えない。関所に着いたら休ませるようにせんといかんな。


「荀彧、何か思いついたか」


 大雑把な語り口、これといって何もないならそれはそれで構わないぞ。


「胡軫、王方でありますが、恐らく潁河を遡上して河南へ逃げ帰ったとみております。華雄を撃退の後に、陳郡に向けて進軍し統率を明らかにすべきかと」


「そうだな、まだまだゆっくりは出来ん。潁川の掌握もか」


 地方県はまだ帰順していない箇所があるが、胡軫が敗退したと知ればなびくのも時間の問題だろう。こちらからせっついてやればの話だがな。


「県の協力を求めるのは友若殿に任せておけば盤石かと」


「ではそうしよう。汝南がやはり未確定な動きをしてくる、衝突することはないが接触位はしておくべきかも知れんな」


 使者を立てれば無視することもないだろうが、捕まる可能性はある。かといって捨て駒を送っても意味がないぞ。


「汝南へは公達殿を送るのが宜しいでしょう。決して蔑ろにはされません」


 そういえば荀攸殿は漢の官職を履いている、それを捕縛することはなさそうだ。清流派ということで敵対されることもないだろう、ということであっているのかね。こういうのは詳しい奴に任せるのが一番だよ。


「わかった、そうしてもらうとしよう。一つ荀彧に命令だ」


「なんなりとお申し付けください」


「うむ。関所に着いたら昼寝をしろ、お前に倒れられたら元も子もない。その間位いなくたってどうとでもする」


 目をパチクリとさせて苦笑すると「仰せの通りに」拱手して飲み込んでくれた。頑張りすぎは良くないぞ、出来る範囲でやってくれ。


「無理にでもこなさなければならないことが押し寄せてくることはきっとある、その時には容赦なくヤレと命じるから、今はゆっくりとするんだ」



 易山道の防御陣に入ると歓声をあげて受け入れられた。負傷者が多い、これだけの造りをしていても被害は多目だな。訓練不足がたたっている、急な挙兵なんだある程度は仕方ないか。


「大将、戻ったってことは上手く行ったか!」


「おい甘寧、お前は俺が失敗するとでも思っていたのか?」


 パン、と肩を叩いて笑いかけてやる。一緒に梯子を登って行き、高地から華雄部隊の状況を確かめた。ふむ、三つに分かれて布陣しているな、あの後方のが本陣か。二つの前衛が交互に攻撃してきている感じだ、それでも守りに交代はない。


「胡軫は負傷して這う這うの体で逃げ出したよ、追撃したかったがこちらも散々だった。それを知れば華雄も引き下がるはずだが、どうする」


「はっ、どうするだって? んなもの関係なくぶちのめすにきまってんじゃねぇか!」


 勢いと過去の経歴がそうさせるわけか、これが甘寧の持ち味だと受け止めよう。


「お前はもう賊徒や無頼ではない、島介の部将だ。どうやってそうするかを確りと言葉にしろ」


「止めはしないんだなあんた」


「何故止める必要がある。俺は部下が功績をあげようとするのを邪魔する程狭量じゃないぞ」


 にやりとして煽りを入れてやると、甘寧もつられて笑う。倒せるなら倒しておきたいのは山々だが、余程の名案でもなければ少数で後方の本営を攻撃は出来ないぞ。


「俺達江賊は船で追われても決して捕まらなかった。その理由をあんたは考えたことがあるか」


「ふむ、船で追われれば大抵は等距離で振り切ることは出来んな。櫂で漕いだとしても、そこまで差が出来るとも考えづらいが、さてどうやって逃げていたんだ」


 実際のところ河の上から姿を消すわけにもいかないし、性能ではどっこい、普通に考えたら官船の方がまともなものを使っているだろうが。


「江南の地は未開の山川が多かったんだ、幅はやたら広い長江だが支流は山ほどある。その支流に入って、のろまな官兵が登れないような絶壁を越えたんだよ。俺達江賊は切り立った山地を自由に登り降り出来るんだよ」


「山岳兵か!」


 うーむ、水兵なだけでなく山岳にも通じていたとは。確かにこの中国というのはそういった地形が多い、山は内陸、海川は平地などというのは日本人の感覚でしかない。特に蜀などはまさにそうだったな、峻嶮な山地に渓谷があり、そこを越えることなど無理だと思っていたが、そうか可能にするやつも存在したか。


「甘寧、何が必要だ」


「弩の三十張でもあれば、裏手から幕を狙い撃ちする位は出来るぞ。突然矢が飛んで来たら、誰も対処は出来ねぇだろ」


「それは流石に俺でも無理だな。よかろう、長社に取りに行かせる。夕方までには揃うはずだ、手勢を選抜しておくんだ。抜ける防衛の穴はこちらで埋める」


 下の陣地に降りると荀彧、と言おうとして昼寝をさせていることを思い出し、少し考えてから「杜襲を呼べ」使い走りにしてもよさそうな奴を指名する。


「お呼びでしょうか」


「長社に急ぎ戻り、弩三十張を携えて戻ってこい。一刻を争う、黒兵二十をつけてやる」


「承知致しました。速やかに戻ります!」


 大事なものなら来る時に抱えて来たわわけだが、そうでないことにどんな疑問を持たれているやら。まあいいさ「趙厳と辛批に命令だ、それぞれ左右の防御陣に入り、黒兵二百の指揮を任せるとな」負傷者は待機、俺の手元にも百や二百は即応するやつを残して待つとしよう。


 今はまだこうやって直下で隊を任せるだけの短期的な役目しかあてられんが、世の評価を聞く限りでは県の一つや二つは任せられるようにはなるはずだ。頂点ではなく丞ならば郡でも、州ならば従事の一人といったところだろうか。趙厳だけは別だぞ。


 どれだけ飛ばしたんだろうか、意外と早くに杜襲が戻って来た。出来ることに対して真面目なのかもしれんな。ねぎらいの言葉をかけると甘寧に渡してやる。少数を率いて防御陣の東から出て行くと、何処かを迂回して山を登ると行ってしまう。あいつも遊撃がタイプなんだろうな。


「我が君、無様なところをお見せいたしました」


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