第290話
馬足を速めはしたが、半分以上が渡り切ってしまって居るので最早どうにもならない。到達した頃には最後尾は東へと走っていく最中、今度は少し先に橋があって、長平城の南東部の平地を渡している。ここにも守備兵を置かずに、一目散に長平城へと駆けていく。
「くそ、取り逃がしたか……」
戦術的な勝利を収めはしたが、これでは戦争に負けてしまう。かといって城攻めをするほどこちらに手勢はない。足を緩めて追いかけるだけ追いかけたが、そこで異変に気付く。
「どうしたんだ?」
「むむむ、我が君、長平城は開門を拒んでいるようですぞ」
「なんだって!」
息を吹き返して距離を詰めるとやり取りが聞こえて来た、何かもめているな。
「さっさと城門を開けんか!」
「お断り致します。長平は陳郡太守を弾劾すべく上奏を起こしました」
「ぬう、袁覇県丞よ、張県令を出すのだ、貴様では話にならん!」
「これは県令の判断であります、無法者を頂くつもりは毛頭ありませんのでお引き取りを」
事情は分からんがこれはチャンスだぞ! 橋に一個小隊だけ残して通行を阻害するような工作を大至急させておき、こちらは北東にやや迂回してから距離を詰めていく。こちらを見て胡軫の本隊が戦闘態勢をとる。
「何をしでかしたかは知らんが、身から出た錆だな胡軫」
「おのれ……良いだろう、恭荻将軍島介よこの俺様が直接葬ってくれるわ。長平の仕置きはその後だ」
長刀を手にして進み出て来る、業物というやつだろうな。ここで戦いを断る位ならばそもそも戦争なぞやっていないぞ。矛を手にしてこちらも一騎で進み出る。陽が落ちてしまい長平の篝火と、昨日より少しだけ明るい月が僅かに皆を照らしている。
後ろの方でも松明が多数用意されると、薄暮のような灯りが得られた。これだけ見えて居れば充分だ。手綱を左手に絡めて矛を両手でしごく。
「覚悟は出来たか胡軫、心配はするな遺体は故郷に送ってやる」
「ほざけ。官軍に背くのは賊ということになっているが知らぬわけではなかろう」
「なあに、天は全てを見ている。俺がただの賊だとしても、お前が官賊というクズなのに変わりはない」
「おのれ減らず口を叩きおって!」
馬の腹を蹴ると双方が接近する、すれ違いざまに金属が打ち合わせられた。馬を戻すと、二度、三度とすれ違い、今度は足を止めての切り合いをする。こいつは案外手ごわいが、負けるような手合いではない。過去に呂布との戦いをして、本物を知っているのでその範疇でしかなかった。
直接戦闘などしばらくぶりだったのだろうか、少しふらつく胡軫の腕を矛先がかする。そのくらい何でもないと思っていたのだろうが、胡軫の様子がおかしい。
「はあはあはあ、これは……毒か? 汚い真似をしおって」
「なに? そんなものは使っていないぞ、変なものでも食ったんじゃないか」
身に覚えがないことで非難を受けるとは思わなかった、だが手加減はせんぞ。次々と攻撃を繰り出すと、次第に胡軫が押し込まれていく。そこで護衛隊が飛び出してきたので、こちらも後ろに控えている奴らが出てくる。
「胡軫様を逃がすぞ!」
「あいつを捕らえろ!」
正反対の命令が出されてまた部隊同士の衝突が起こる。戦場は城がある南西ではなく、河がある北西へと徐々に移って行った。半包囲をするような形で追い込んでいき、あとは時間の問題だろうなと一息ついていたところでそれは起きた。
「河船が急接近してきます!」
中型の河船と小型のそれが接岸すると、胡軫を拾って僅かな供だけを連れて城の裏側に隠れるように行ってしまった。
「用意をしていたわけではないでしょう、あれは恐らく王方らの敗残兵。ここからでは追いつけません」
「どこかで歪は出るとは思っていたが、こういう形になるとはな。仕方ない、残った敵を処理するぞ。一旦降伏勧告を行え、恭順すれば命は助けてやるとな」
やれやれ、ここだと思ったところで逃がしたり、まさかの締め出しで追いついたり、勝ったと思えば偶然船がやってくるとは、戦いは解らないものだな。階級が高いものは先ほど船で逃げてしまったようで、佐司馬が一人だけ残されていて降伏を認めた。
武装解除を行い、捕虜にするとその場に座らせておき長平の城門前にやって来る。使い道もあるだろうと、残されている『胡』の大旗を巻いて回収させた。
「俺は恭荻将軍の島介だ、長平県令殿と話がしたい」
「県令殿はお忙しいので、丞である袁覇がお伺いいたしましょう」
ふむ、形だけの県令なのか或いは無理矢理にこいつが取り仕切っているのか。いずれこいつが決定権を握っているわけか。
「近く豫州刺史孫堅殿が赴任して来ることになる、それまでは中立でも構わないので国賊董卓の命令を受け入れずにいて貰いたい。こちらからはそれだけだ」
「必ず県令にお伝えいたしましょう」
今はそれだけで良いさ。余計なやり取りをしている暇はない、長社へ戻らねばならん。さて捕虜はどうしたものかな、捨てて行っても構いはしないが。
「荀彧、アレらはどうする?」
「このあたりの徴収兵でありましょう、因果を含めて解放してもよろしいのでは」
「そうか、任せる。大休止だ、治療してひと眠りしたら直ぐに戻るぞ」
結局殆どの奴らが地元へと帰って行ったが、百人位はこのあたりの民ではなかったらしくついていきたいと申し出て来た。それならそれでも構わないので、二食分だけ渡してやり、十人の黒兵を残して率いるように命じてやった。走れば一日で許に辿り着く、新汲なら半日だ。
夜明けとともに街道を進むと、まだちらほらと胡軫の兵がうろついていたが、胡軫が破れたことを喧伝しながら進むと勝手に投降してきた。文聘と連絡をつけると、糾合した部隊とここらで投降してきた兵を全て許へ移すよう命じて陳葦をつけてやり、杜襲、趙厳、辛批を連れて許へと先に入った。
「今戻った、何か異変はないか」
下馬して取り敢えず報告を受けようとすると、陳紀が現れ傍に来る。
「将軍、先日南方に汝南軍が現れこちらの様子を伺っておりましたぞ。城門が閉ざされているのを見て離れて行きましたが」
「徐太守がやってきたわけか、備えをしていて良かった。もし許が占拠されていたら俺は帰る場所を失うところだったな」
動いてはきたが攻撃をしては来なかった、あちらも気にはなっているようだな。それにしてもしっかりと留守を狙ってやって来るとは、存外手ごわいぞ。俺では無理だが孫堅ならば話も出来るだろう。
「はは。戻られたということは勝利なされたのですな、これからいかがされるおつもりで?」
「薄氷の上の辛勝では恥かしくて口にも出来んよ。一両日中に文聘が戻って来る、俺は長社方面まで行って華雄に対抗して来る。あいつが胡軫の敗戦を知れば逃げ帰るだろうが、攻め寄せて来れば守将が苦労をするからな」
遊んでいる兵士が無いように適材適所に割り振るぞ。それにしても黒兵には随分と負担をかけてしまった、死傷者がかなり出ているな。振り返って様子を窺うが、二割減くらいはしていそうだ。
「今は戦に勝つことのみを優先致しましょうぞ」
「そうだな。補給が整い次第すぐに出る、引き続き許をお願いします」
荀彧が不在の間にあった報告を全て吸収し、糧食を補給し替えられる馬は全て新しくした。今から出れば夜には長社に到着するだろう、さっさと動くぞ。騎兵団と途中で合流した若者ら、趙厳、辛批、杜襲を率いてまた出撃する、西へ東へと大忙しだが辛いとは思わなかったな。
深夜になり厳戒態勢の長社城に近づくと誰何を受ける。どこの軍勢だって話だよ。
「恭荻将軍島の本営で御座います。某は荀文若、開門の程を」
「おお、荀彧様だ! 門を開け!」
門司馬が顔見知りらしく城門を開いた、中には逆茂木が置かれていたがそれを引っ張り通路を作ってくれたので入城する。変だな、守備兵がそこそこいるぞ? 辺りを見回していると意外な人物に声をかけられてしまう。
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