第289話
「将軍が最善を行こうとしておられるのを理解しているつもりです、懸念無くその力を振るわれなされ。我等許の民は将軍の判断を支持いたしますぞ。これ、地元の顔役に連絡を入れよ、早起きというにはちと時が深いが構わぬ、苦情はこの陳紀が受けるでな」
周囲の者らに言いつけると、拱手して散って行った。俺も感謝を示して「助かります」騎馬する。まだ全ては途中だ、出来ませんでしたにはならんぞ!
「黒兵団、行くぞ!」
東門から出て行く歩兵とは別に、来た時の西門から南を回って別行動で移動を再開した。空には月が七割ほどできらめていて、光量は物足りないが馬は見えているようだった。日の出の前に新汲の森林地帯だろう場所に辿り着く。
「ここで大休止だ、一時間交代で睡眠をとれ。起きている間に飯を食っておけよ」
僅かでもここで眠らせるのが大切だ、疲労の回復度合いが全く違ってくる。気が張ってしまい寝付けない者が多いだろうが、目を閉じているだけでもかなり違うぞ。適当な場所に腰を下ろすと、目の前に荀彧が座る。
「近隣の高地へ旗手を配しております、あとは胡軫が現れたら合図を送るだけ」
「奴らは必ずここを通る、そして大軍は役に立たん地形だ。小集団同士の戦いになれば騎兵がやりやすい、疾走出来ない不利は生まれるが、機動戦ではないからな」
ある種の騙し合いのようなものだ。やつらがこちらが小勢と思い戦いを臨めば機会は訪れる。強気でこちらの弱点を知っているからこその判断を胡軫がするか否かにかかっている。
「何かを察知して足を止められたら厳しいことになりますか」
「その為の潜伏部隊だ、四部隊で奇襲をと思っていたが、陳紀殿の協力でよりそれらしい攻撃を仕掛けることが出来るようになった。これを回避されるならば俺では機知及ばんよ」
実際のところ何かしらの偶然でかわされることはある、だがそうなればそこまでだ。戦場で塹壕に籠もり砲撃を受けたら最後と同じで、ある程度の不運は割り切るしかない。
「我が君もお休みを」
「そうだな、交代で休むとしよう」
そういって木にもたれかかり腕組をして目を閉じる。ふと気づくとあっという間に時間が過ぎ去っていたようで、飯が目の前に用意されていた。飯を食って水を飲み、塩を舐めておく。途中で補給出来ない可能性があるからな。
陽が登ると森林地帯の丘の上に大きな黄色い旗が掲げられて左右に振られる。始まるぞ!
「荀彧、文聘の歩兵はどうなっている」
「想定地点に辿り着いていると報告がありました」
副官よろしく雑多な情報は全て荀彧へたどり着くようになっている。伝令からのものはこちらにもやって来るが、恐らく偵察か何かを独自に放っての情報なんだろう。森林で戦いが起こっているような声が漏れてくる、胡軫はしっかりとここへきていたようだな。想像がつくような行軍はいつか身を亡ぼすぞ。
じっと待つこと数時間、最初のような激しい交戦の騒ぎが聞こえなくなってくる。引っ切り無しに報告が走って来てはまた森へ戻って行った。そのうちついに「伝令! 森の奥に『胡』『陳』の軍旗を発見したしました!」荀彧と視線を交わすといよいよだと頷く。
「我が君、決戦の秋で御座います」
「やるぞ。張遼には西から攻めさせろ、俺達は南西からだ」
二方向というにはやや角度はないが、潁陰へ繋がる道もあるのでそれを利用することにした。いずれ道があろうが無かろうが戦闘はする、初動の問題でしかない。
騎乗すると進軍を命じた。五十メートルほどの距離を保ち、小隊ごとに別れて行動をすることでこちらの規模をさとらせないように気を付けてだ。少し離れた場所で一気に戦いの声が上がった「張遼の奴だな」正解をしっているのでそう呟く。
出来るだけ離れようと、道を外れて東へ向けて茂みを進ませると、どこかで部隊が敵と接触して戦いが始まった。遭遇戦をそのままに、後続はその戦いを無視して次々と先へと進んでいく。まだ気づいてくれるなよ。
「敵の本陣だ! 攻撃を仕掛けろ!」
黒兵の先行小隊が見つけるなり襲い掛かった、それをみて後続が不運な報告一騎だけ走らせて残りは嬉々として突入していく。
「我が君、胡軫がおりましたぞ!」
「うむ、これでようやく開始位置だ、後はこの手で勝利をもぎ取るのみ。総員に告ぐ、敵将胡軫を討ち取るぞ、俺に続け!」
伝令騎兵を先に立てて森林を移動する、ぼけっとしていて枝に引っ掛かり落馬では恥かしくて出歩けんくなる。真剣に乗馬に集中し、戦い同様の警戒を続けていると、街道の側面に出る。道の中央には『胡』『陳』が記されたやや大きめの旗を掲げている部隊が居る。
「張遼は正面からで手間取っているようだな。よし行くぞ!」
警戒はされているが本隊は正面を向けているので、わき腹をつつくような形になった。少数だと思っていた騎兵団が次々と湧いてくることにようやく異常を感じたようで、ざわついた反応が広がって来る。目立つ軍装の騎兵がいる、あいつが胡軫か!
騎馬したまま敵を次々と切り倒して接近、黒兵も果敢に切り込んでいく。部隊そのものがやや街道の反対側へ押されていると思ったところで、ついに目が合った。馬首を変えてこちらに向き直った。
「相国が配下、陳郡太守胡軫だ。貴様の名は!」
胡軫が声を発したことで、一瞬だが周囲での戦いの手が止まった。こちらもやや進み出ると胸を張る。
「恭荻将軍の島介だ。探していたよお前の事を、ようやく見つけた」
目を細めて胡軫がこの場に居ることが今になりようやくマズイことだと解ったようだった。だからとどちらが優勢かといえば、間違いなく胡軫だ。それで逃げるような奴なら、董卓の下で武将などしてはいなかろう。
「わざわざ倒されに来るとは殊勝な心掛けだな。手間が省けた、ここで俺が殺してやろうではないか」
笑いもせずにそんなことを言うとはな、まあいいさ、勝つのは俺だ。
C-18
「行くぞ!」
矛を手にして真っすぐと進む、敵味方が入り乱れての戦いが直ぐに再開された。誤射があろうとも関係なく、飛び道具も使われているので視界を広く持ち続ける。集中力が続くうちはいいが、かなりの疲労が襲って来るぞ。あの頃なら親衛隊がそれとなく周囲を遮ってくれていたが、黒兵はそういう感じではないな。
一手、一手ごとに状況が目まぐるしく変化する、胡軫の護衛は守ることではなくこちらを倒すことで役目を果たそうとしているらしい。黒兵も同じようなもので双方数を減らしながら時間が過ぎていく。
「張文遠推参!」
街道の先の方から張遼たちが押してきた、声は届くがまだ来るには時間が掛かるだろうな。ところがだ、胡軫の本隊が街道を外れて森林の先にそそくさと姿を消してしまった。
「逃げたか! 荀彧、文聘に連絡を入れて散った部隊を収容させるんだ」
「畏まりました」
「雑魚と消耗戦をするつもりはない、一旦南へ逸れるぞ」
追撃はせずに張遼たちに任せるとしてだ、頭を押さえることは無理だろうがやらずに逃がすわけにもいかん。少なくとも許方面へはいかんだろう、ならば長平に戻るはずだ。南回りで河の南岸に先着出来れば食い止められる。かつての記憶が蘇って来る、コの字の開いた側に新汲があり、東西と南北に河があって、橋は南側にだけかかっている。そこを押さえる!
森林を無理矢理に進むが、徒歩よりも厳しい場所がちらほらとある。恐らくは向こうも同じような状態なはずだ、時間はこちらに不利になるが、胡軫はほっといても華雄が攻めに転じれば目的が達成されるからな。
「敵軍です!」
「押し通れ!」
当然あたりには胡軫軍団がいて、戦いながら移動するるのが続いた。陽が傾いてくるとようやく河が目の前に現れた。流れに沿って東へ行くと、途中で石造りの橋があったのでそれを渡ってしまう。今度は左袖に河を見ながら駈け足で駒を進めていると、遠くで橋を渡っている軍勢が見えた。
「遅かったか! 追いつくぞ!」
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