第286話


 岩山の上から攻撃するのに必要なので、これといったやりとりをせずに満足な数を渡すと確約した。


「残りは華雄と戦うが、一戦して後に騎兵は長平方面へ走る。その後華雄の相手は甘寧に任せる」


「騎兵が抜けたら守備兵千と残りの正規兵千だけか、かなりきついな」


 華雄の兵力は少なくても五千、多ければ七千や八千が居てもおかしくはない。数の情報など大雑把なもので、二倍に膨れ上がっていても文句は言えない。


「そいつだが、潁陰から郷土兵二千が到着する予定だ。それも一緒に指揮して遅延をし、最悪長社に籠もってもいいから華雄と戦闘状態を演じるんだ」


「潁陰の二千……それなら何とかなるか。そいつらは俺の指揮に従うのか?」


 誰もが素直に従うようならば問題の半分は解決してしまう。よそ者に命を預けろというのは酷な話。


「それですが、潁陰の兵は友若殿が連れて来るはずですので、心配には及びません」


 陽擢に別の者を行かせ潁陰に引き戻すと荀悦が手配をした。先が見えない荀氏ではないということだろう、そして荀彧はここに残らず共に騎馬で駆けるつもりだと島介は受け取った。


「全軍の頭脳までわざわざ夜行をする必要はなかろうに」


 やれやれと小さく息を吐いた。全体が見える者が居場所不明では残されたものらがやりづらくてかなわないはずだ。


「文若は常に我が君のお傍に。友若殿も公達殿も、仲豫殿も、みな文若よりも聡明で御座いますので頭脳に事欠くことはないでしょう」


「光栄なことだ。愛想をつかされないように精々努力をするとしよう」


 苦笑して肩をすくめると、皆が笑った。これから死闘が始まるとは思えないほど和やかな雰囲気で数日を過ごすことになる。


C-17


 初平二年五月下旬。

 華石津に軍船が多数やって来る、小舟で先行隊が上陸すると浅瀬に打ち付けられている杭をせっせと引き抜いていく。上陸阻害で津を使用不能にしてしまいたいが、それでは住民が暮らしていけないので、中型以上の船が入港出来ないようにすることで合意をしていた。


 作業を半日もすると一列縦隊で入港出来るようになったので、続々と港に軍船がやって来る。住民は黙ってそれを見ているだけで邪魔をする素振りはない。郷長が進み出て反抗はしないと約束したので、王方もそれを受け入れた。


「全軍上陸したら物資を揚陸するんだ、明日の朝には長社へと向かうぞ!」


 時間が半端で暗くなってきてしまったので一晩を明かすことにする。一応郷の住民とは距離を置いて警戒することを忘れない。水上兵は全部で五千、最初は長平で下船する予定だったが、急きょ胡軫から華雄の応援をしろと言われてやって来たので周辺の偵察も何もしてない。


 それはおいおいやればよいのだが、王方は面白くないことがある。元はと言えば華雄とは同格だったのに、虎牢関で上手い事やって督軍校尉についた華雄の下につけられたからだ。胡軫の下でならば気にせずに戦えたのに、どうしてあいつの命令に従わなければならないのかと不満で一杯だ。


「動かないわけにはいかんが、華雄の奴に協力するのもしゃくだ。長社に向かわずに雛陵でも攻め取ってから許へでも向かえば良かろう」


 潁川の主力と出くわさないようにわざと東へそれる、その間に華雄は苦労をしていればいいんだと悪い笑いを浮かべる。道に迷ったとか、敵の守りが固くて抜けなかったとか適当に言っておけばいいさ、と幕で酒をあおる。


 河南尹での戦闘でもどうもあたりが悪い。稼げるからと董卓軍に入っているのに、これといって美味しい目をみていない。積もった不満はよからぬことを画策させた。


「そうだ、雛陵で略奪してやる、そうすれば俺の兵も溜飲をさげるだろう」


 どうせ潁川を占領できても自分が太守になれるはずもない、ならば地方で恨まれたところで知ったことではなかった。目の前の美味しい餌を喰わずにどうするか。その日の夜はどうしてくれようかと、色々と楽しい妄想をして寝てしまう。


 朝飯を平らげると改めて郷を見回す。岩場に囲まれた浅瀬、こんな場所に居たら危険だと気づけるだけの能力はあった。


「こいつは守るに悪い地形だな、悪くしたら出航前に全滅するぞ。さっさと進もう」


 長居をするのは良くない、そう判断して全体をいち早く岸壁が切れている南の林へ向けて移動させる。ここが長社へ続く道だと地元の住民から聞いているし、何より他に道がないのだから嘘ではないと解る。


 馬車が一方通行で通ることが出来るだけの狭い道、それでもしっかりと開発された道という感覚なのがこの時代だ。人が歩くことが出来れば充分、馬車に関しては交易や軍隊が使える道かの違いでしかない。そもそも道が無いという場所が殆どで、隣の郡へ移動するということすら大変な冒険なのだ。


 太守になり任地へ赴任しようとして、道が通れず諦めた人物がどれだけいたか。自然の山林があり、高い場所へ登り方角を確かめる。多分こちらだろうと歩き続けてようやくたどり着ければ成功で、誤ってどこか別の場所へ行ってしまうなど日常茶飯事だ。


 五千の部隊の先頭が林の中で停止し、昼過ぎには野営の準備を始めだす。最後の部隊が郷を出発したのとほぼ一緒の時間だ、細い道ではこのように効率が極めて悪い。せめて四人で横に並んで歩けたら二倍以上歩けるのだが、断崖絶壁が左右にあるのでどうにもならない。


 陽が落ちて暫くすると、どこからか鈍い音が聞こえてきて響く。幕を出て確かめようとしたがよくわからない。


「おい何があった!」


 王方は部下へ怒鳴ってみたが誰にもわからない、そのうち後方の部隊から伝令がやって来て「後ろの道が落石でふさがれました!」と報告をしてくる。あの細い道で落石があれば簡単には越えられないだろうと顔を蒼くする。


 そのうちまたドーンという音が聞こえる。


「こ、今度はなんだ!」


 怒鳴ろうと叫ぼうと誰も答えてはくれない。だがそのうち状況がはっきりとしてきた。暗闇の中であちこちが明るくなる、どうしたのかといえば燃えているからだ。ではなにが燃えているのか、火矢だった。


「て、敵襲!」


 銅鑼を鳴らして総員に報せる。頭上から矢が飛んできているが、暗闇の先がどうなっているかわからない。この場から逃げようとしても前も後ろも大混雑だ。


「こ、こっちも落石してるぞ!」


 一本道が前後共に落石、完全に罠に嵌められたのを理解する。火矢が徐々に燃え上がり、辺り一面が夜なのに明るくなった。


「この広がり様、油をまかれたか!」


 上から石焼の壺などに入れた油を投げつけられて、あちこちで燃え上がる。ご丁寧に燃えやすいように松明のようなものまで投げ込まれ、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がった。逃げ惑う兵士、だが行き先などどこにもない。


 落石を越えて長社へ向かおうとした者は牽招の部隊に出くわしてその全てが殺されてしまう。岩場の上からは荀攸が状況を伺っていた。何とか華石津へ逃げようとした者だけが、火傷を負って引き返すことが出来た。それらが船にまでたどり着けたかはわからない。


 荀攸は以前訪れた際に郷長とこう話をまとめていた。浅瀬に杭をうちつける代わりに、もし軍船が繋がれたら全てを郷で接収出来るよう取り計らうと。その際には董卓軍は潁川軍で倒すという条件も付けて。


 懐疑的ではあったが荀氏の提案があったのだ、その場では納得して今日と言う日を迎えることになる。林が燃えていると聞かされ起きた郷長だったが、荀攸が何かをしたんだと悟ると「何か武器になるものを持ってこい! 落ちて来る奴らを皆殺しにして、船を貰うぞ!」そう号令する。


 胡軫が通過するときに徴発と称して財貨を失っていたので、董卓軍への容赦はなかった。怪我をして這う這うの体で逃げてきた兵を、皆で取り囲んで暴行殴打してまわる。一度攻撃的になってしまうと一般の民であろうと過激だ、少数だが残っていた船の見張りも襲ってしまい死体を河に流してしまう。


 夜が明けて正気に戻った頃には最早後戻りできないことに気づく。こうなれば荀氏についていくしかない、報復を受ける可能性を考え、どうすべきか使いを潁陰へ送ることにした。



 易山道。高低差だけでなく、かなりの難所もあちこちに見受けられる。道が繋がっているところがあれば、行き止まりもいくつも存在していた。地元の猟師に頼み道案内をしてもらっているが、ここでもやはり荀氏の名声が役にたつ。


 当代の人物が潔癖に死を受け入れることで、次代の者達が名声を引き継ぐことが出来る、命を惜しまず名を惜しむ結果はこうだ。


「華雄に引き返されても困るから、主道は潰さずに通す。出口手前で甘寧と荀彧が防備を築いている、俺達は山の中で攪乱し華雄を見付けたらその首を狙うぞ。だが目的は一戦して後に長平に転戦することだ、忘れるなよ」


 一度騎兵団の姿を見てしまえば、その後見失ってもどこかに居ると言う警戒心を持ち続ける。そして無用な防備や偵察が増え、ここぞという時に無理押しをしなくなるものだ。心理戦の一つではあるが、ここで華雄を倒せるならばそれはそれで一つの解決策に繋がる。

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