第285話



「うるせぇ! てめぇが生意気だからだろ。長吏殿、こいつは俺が言い聞かせて置く。おいお前ら、手伝え!」


 門番に命令すると長吏につけてやり、自身は震えている袁霸の首根っこを掴むと倉の裏手へと引きずって行ってしまう。長吏の顔色は真っ青で、門番も同じだった。だがやらないわけにはいかない。


「倉を開いていただけますね?」


「へ、へい! すぐに!」


 その日のうちに倉から兵糧が運び出されてしまい空になる。本来は長平が飢饉に襲われた時に民に渡すべき備蓄だったのに。


 長平の屋敷、袁家の部屋で寝台に寝かされた袁霸はあちこち傷だらけで見ているだけで辛くなるようなありさまだった。部屋を通りかかった袁傍が驚く「おいどうしたんだ霸よ!」駆け寄ると痛々しい傷に眉を寄せた。


「伯父上、長平の倉が胡軫により収奪されました。あれは長平の県民の貯えだと言うのに」


「お前はそれを止めようとしたのだな?」


「はい。ですが仮司馬が現れ私を滅多打ちに。長吏殿はそれを止めようともせずに倉へ」


「むむむむ! 張県令はご存知なのか?」


 感情だけでどうこうしてはいけない、袁傍は当主だ一族の未来への責任がある。甥のことが気の毒ではあるが、独りよがりの行動かどうかは確かめる必要があった。


「長吏殿は知らないと言っておられましたが、張県令とは話をしていないので不明です」


「わかった、私が確認をしてくる。お前はここで傷を癒しているのだ。もし張県令がご存知でなければ、この狼藉の代償を払わせてやる。おい、外出するぞ用意をしろ!」


「はい、旦那様!」


 下僕に命じて準備をさせると、袁霸の頬を撫でてやり踵を返す。実のところ息子の袁喚よりも優秀な袁霸のことを買っていた。自分ではどうにも出来ないが、袁霸ならばとの想いがあったのだ。



 長社へ歩騎五千で入城すると城が沸いた。甘寧と荀攸が招き入れ主座に島介が座る。荀彧、張遼、北瑠、牽招、孫策、黄蓋らが左右に分かれて立った。


「甘寧報告を」


「長社は北西の山地と潁河を押さえるのに手いっぱいだ。水上は精々相手の通行を邪魔するだけ、だが伝令の走船くらいは沈められる。華雄の一万が山岳路を通り向かってるって話だ、ここから北の上陸地点は封鎖してあるがどれだけ持つかはわからんな」


 元より守備兵数百と、歩兵千しか居ない、水上まで守備範囲にしているので手いっぱいとの表現がよく理解出来た。


「荀攸殿、どのように見られますか?」


 敬意を表して部下とは違う態度で語り掛ける。小さく頷くと中央に進み出た。


「潁河からの上陸は避けられないでしょう。ですがこの付近で船がつけられる場所は一カ所しか御座いませんので、敵の出現場所が確定出来ます。華雄隊の進出と同時になるように仕掛けてくるでしょうから、時と場所が定まればあらゆる罠が有効になります」


 水上の兵は心配することはないとの意味合いだろう、陸兵しか指揮したことが無い島介としては嬉しいことだ。


「荀彧、全般の方向を説明しろ」


 戦いは潁川全土で起こっている。それらを繋ぎ合わせて監察するのは司令部の役目、特に行動の調整は荀彧がすべき主たる仕事だ。


「此度の戦役は二つの動きに分けて行われます。一つはここ長社で侵攻軍を迎え撃ち食い止めること、二つは長平から来る胡軫を討ち取ること。目標は胡軫の戦死、これにより胡軫軍団は総崩れを起こすでしょう。さすれば陳郡も平定し、河南尹に董卓軍を押し戻すことが可能になります」


 長社では必ずしも勝つ必要はない、そう定めた。胡軫さえ倒せれば相手は瓦解する、当然こちらも同じで大将である島介が死ねば全てが終わってしまう。


「胡軫だって裸でいるわけじゃねぇんだろ、どうすんだ?」


「こちらで張遼殿に一戦していただき、その後に新汲でも戦っていただきます」


「あ? あっちだって一万はいるだろうし、騎兵に抜けられたらこっちはかなり厳しいんじゃねぇか」


 最悪逃げればいいだけだが、長社からは総スカンを食らうだろう。そんなことよりも戦力的に対抗出来なくなる、これが一番の問題だ。


「何度も言っているが戦はここでやるものだ」


 島介は頭を指さして不敵に笑う。知恵比べは良いが、結局は数は力だ。出来ることとできない事ははっきりとしている。


「井西山は道が細く軍が展開出来ません。関所を固めて居れば千の兵で五倍は充分に防げます。潁河との間はそれと比較すればまだ道は広いですが、高低差が激しく軍の歩みは遅くなるでしょう。深く縦に守ればかなりの時間が稼げます。その間に上陸する兵を別個に攻撃すれば有利に戦えます」


 敵を三つに分けて相手をして、騎兵は二度戦いを行わせる。上手いこと相手が分散してくれればよいが、そこまで思い通りにいくかは疑問だ。特に上陸地点を封鎖している水上兵、胡軫と合流されては厄介だった。


「相手だって馬鹿じゃない、どうやって水上兵をおびき寄せるんだ」


「ご心配なく。胡軫の性格からして黙っていても華雄に兵力をつけるでしょうが、それとは別にこちらの間諜を躍らせてありますので」


 じっと荀彧を睨むかのように見詰めると「まあいいお前を信じて預ける」島介は内容を聞かずに認めてしまう。荀彧はうっすらと笑みを浮かべると「どうぞお任せを」会釈をして請け負ってしまう。


「河沿いの道の名は?」


「易山道でございます。上陸地点は華石津、西の関所は井西山関」


 基本情報を頭の中に入れていく、取り違えをしそうな名前ではなかったので頷く。


「華雄は易山道を通って来るだろうな」


 主力がそこを、別動隊が井西山道を通って来ると考える。もし別動隊が突破できれば後方へ行けるようにと想定すると、最低でも三千、多ければ五千が割り振られるだろうと想定する。


「恐らくは。別動隊は陽擢、華雄隊は長社の周りにまで進み、攻略は控えるものと。我等の主力を釘付けにし、その間に胡軫隊が許、潁陰を攻めとるのが想定されます」


「こちらが東へ主力を向ければ華雄隊が城を攻略し、胡軫隊は引き下がり牽制に留める、有効な作戦でありましょう」


 荀彧と荀攸が続けざまに相手の見通しを述べた。それをされると確かにきつい、援軍はないのだからジリ貧に陥る。戦端を開いたが最後、簡単には敵を引き離せなくなる。雪の到来を待つのも時期ではない、兵糧も今なら充足しているだろう、持久戦をとられても困るのは潁川側だけだ。


「ふむ。荀攸殿、上陸部隊をどのようにするつもりで?」


 そこが決まらない事には戦力の運用が定まらない。島介は目を細めて荀攸を見詰めた。


「華石津は岩山に囲まれた低地です、そこから南へ林があり、長社北の平地が望めるところ。上陸するならば留まりはしません、林を抜けて来るのは間違いありません。上陸部隊が林へ入った後に退路を塞ぎ、林ごと焼き払います」


「蓋をして燃やすか。少なくとも混乱はするだろう、戦闘力を失えばそれで充分だが、準備に時間が掛かりそうだな」


 岩山の上に落石の為の罠を設置し、林を燃やす為に油などをまいたりもしなければならない。南側の出口を封鎖するための用意も必要になる。人手も時間もどれだけいるのか。


「概ね準備は終わっています。残るは出口の封鎖、兵千は必要とするでしょう」


 余裕の笑みを見せられてします。甘寧を見ると「そういえばずっと何かしてた奴らがいたな、そんなことをしていたのかよ」どうやら兵士を使わずにしていたようで、甘寧も詳しくはしらなかった。


 島介は腕を組んで考えた。皆がじっと息をのんで待つ。


「……将が一人足らんな。孫策、頼めるだろうか?」


 名指しされると孫策は一歩進み出て拳礼をし「どうぞ伯符にお任せを!」勝気な笑みを覗かせる。黄蓋も斜め後ろでそれに倣う。


「孫策と黄蓋は兵千を率い、井西山関の防衛をして欲しい。万一陥落するようなことがあれば、陽擢へ退くんだ」


「御意!」


 撤退先を決めておくが実はそれほど心配はしていない、何せ五千が来てもきっと守れると踏んでいるから。純粋な戦闘では孫策の武力よりも黄蓋の経験が役に立つだろうが、二人の関係を鑑みれば全く問題なく協力をすると信じている。


「荀攸殿、兵千を率い上陸部隊の殲滅をお願いしたい。牽招を補佐につけます」


「多目の弩弓の配備を宜しいでしょうか」


「優先配備させます」

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