第284話


 どちらかといえば余裕がある、暗くなっては速度が鈍るが出来ないことはない。はっきりと頷いてやる。北瑠も黙っている、つまりは可能だ。


「荀悦殿、潁川各城から、十人に二人の割合で郷土守備兵を潁陰へ送らせて貰いたい。そうすれば二千の守備兵が捻出できる、潁陰の兵を長社へと増援する」


「民を救わんがために立ち、そのせいで民を危険に向かわせるおつもりでしょうか?」


 互いを真っすぐに見詰める。董卓軍を追い出して自分達で土地を治めている、誰かに頼りっぱなしで良いはずがない。だからと話が違うと言うなともなりはしない。


「自分たちの土地を守ろと言うのに、役目を誰かに任せきるなど笑い話にもならん。決断をしてもらおう、そうすれば私が必ず勝たせてやる」


 何の保証もあったものではない。この場にあって荀悦が「考えておく」などと切り返せば戦略は瓦解してしまう。それは即ち荀氏がまた避難しなければなない事態に陥るのと同義だ。だが逃げて居れば安全は担保されるかもしれない。


 数秒の沈黙が長く感じられた。多くの注目を集める、どちらになろうとも荀氏は荀悦に従うだろう。だが荀彧だけは袂を分かつことになる。


「よろしい、そうでなければ貴方を信じた価値がない! 我等一党は島将軍の指揮に従いましょう」


 荀悦を先頭に荀氏一党が一斉に礼をする。島介は立ち上がると返礼をした。


「序列を定める。後方司令官に荀悦を据え、潁川全域の統率を預ける。黒騎兵団は張遼、副将は北瑠。長社には正規兵のうち三千を向かわせ、二千は陳葦、辛批、杜襲、趙厳らに五百ずつ率いさせ新汲の山林へと伏せさせておく。残りは長社で華雄と正面戦闘を行うぞ!」


 虎牢関以来の大一番が、まさにいまから始まろうとしていた。倍する敵といかにして戦うのか、勝機はあるのか。不安が渦巻く皆を率い、島介は西の空を見詰めるのであった。



 陳城から長平城へと移り、一旦そこで止まった胡軫。東西を渡河するには船が必要で、南回りならば一カ所だけ橋があった。いずれにせよ長平城は西と南が河で平城の割には防衛に適している。


 城主の椅子にどかっと腰を下ろして、長吏に報告をさせた。


「潁川軍でありますが、どうやら全軍で長社方面の華雄殿にあたるつもりのようで、騎兵二千、歩兵五千程が向かっているようです」


「そうか。確かに全軍であろうな、華雄の軍だけでは厳しかろう、王方の水軍は長社の側に上陸させ、共同して戦わせるよう命令しておけ」


 本隊も一万ではあるが、主力が長社へと行ってしまってるならば相手が居ないので安全だとの目論見。元より潁川、陳と進軍してきてろくな抵抗にあわなかったので、胡軫も驕っている部分があった。


「本隊を支援させなくてよろしいのですか?」


 長吏としては華雄隊が全滅しようと代わりはいるが、こちらが負けるとどうにもならないので、少しでも兵力を増やしておきたかったらしい。だがギロリと睨まれ「俺の決定が不満か?」凄まれてしまったので震えあがる。


「滅相も御座いません! 直ぐにそうさせます」


 その場で木簡と筆を持ってこさせサラサラと書き込むと印鑑をお願いしますと差し出した。思い通りの内容になっているので満足して陳郡太守の印をおした。


「敵の主力があちらに行ってるのだ、俺は東から戦果を拡げるとするぞ」


 長平と新汲の間は四十キロ程度、新汲と許の間は二十キロ程度、歩兵軍団が一日十キロ程度の移動距離があると目安をつける。が、これは集団であるがゆえの足の速さで、個人で動くならば三十キロでも四十キロでもいけるものだ。


 二列縦隊で前の奴とぶつからないように幅をとって歩こうとすると、先頭が歩き始めてから二時間経っても最後尾は待っていることになる。そういうところでロスが出るので、五百や千位の小分けの部隊は比較して行動が素早くなる。


「ではまずは新級を目指しますか。渡河した先の丘から、細い道が通っております。馬車も一方へ向けてなら進めるとのこと」


「うむ、こちらへ向かう馬車を全て差し止めるよう触れをだしておけ。道の優先権を得るんだ」


「畏まりました」


 これまた直ぐに文書にしてしまう。こうしておけば長吏が勝手にやったと責任問題にならずに済むので、多少は気が楽になる。


「兵糧も確保しておく、長平の備蓄を持ち出すぞ」


 太守であれば権限者である。県の備蓄を取り上げたところで実のところ悪くはない。ただやり方はあっただろう、しっかりと県令なり丞なりに命じて、系統を守らせるようにと。頭越しに命令をされてしまい、聞いているいないがおこり現場で混乱がおこる。


 結局のところ胡軫の一声で取り上げることが決まってはいるものの、城の官吏は不満が残る。住民にしても同じだろう。


「承知いたしました、そのように」


「ではさっと行け! 気が回らぬやつだ」


 他にも人が居ると言うのに、次席である長吏がどやされてしまう。内心で苦々しく思ったが、反抗してもどうなるわけでもないので畏まって退出する。長平城の倉へと歩いていくと「これそなた、倉を開き胡軫殿へ兵糧を移すのだ」門番にそのように命じる。


「いえ、そう言われてもあっしらじゃどうにも?」


 二人で立っている兵士が顔を合わせて頭を左右に振る。突然そういわれても何も出来ない、当たり前の話だ。長吏は「太守殿のご命令だ、即座に倉を開かれよ」ゆっくりと冷静に告げる。圧迫感はないがどうしたものかと唸る、そこへ城の官吏がやって来た。


「これは長吏殿、いかがされましたか? 私は長平の丞で袁霸と申します」


 まだ二十代半ば位だろうか、真っすぐに長吏を見詰めている。陳国袁家は汝南袁家とは別系統の氏族で、長平を根拠地にしていた。


「おおこれは袁県丞、丁度良かった。さきほど太守殿が倉より軍へ、兵糧を供出するように命じられました。速やかな処理をお願いしたく」


 文官同士仕事の打ち合わせをする雰囲気で、別にこれとった特別なことをするでもない調子で臨む。


「はて、私は県令殿より言付かっておりません。張県令はご存知なのでしょうか?」


 知っているならば確認をして実行すればよいだけ。丞である自分が知らなかったのは問題ではないといった感じだ。


「太守殿からのご命令ですので、県令殿には何も」


「左様で御座いましたか。それでしたらまずは張県令のご裁可を得ていらしてください。その後、私はお手伝いさせて頂きます」


 命令系統的に正しい、手順とは守るためにあるのであって、権限者はそれを自ら順守してこそ他者にも守れと言える。


「軍はいつ動くかわかりません。速やかに供出をしていただき、事後に承諾を得ても遅くはありますまい」


「そうは参りません。我等官吏とは民の模範となるべく、守るべきを守るという姿勢を崩してはならない存在。長吏殿、違いますか?」


 違わないのだ、長吏は唸るだけでどうにも返答が出来ない。だがここで退いてはまた胡軫に怒鳴られてしまう、短気なやつだと知っているので、身が危ないかもしれないと警鐘を鳴らす。


「袁霸殿は太守殿の命令に従えないと仰るのか?」


 得意ではない強気の脅しをして前へ進む、良くないことで意味がないどころか害悪だと解っているのに強迫観念でついそうしてしまう。袁霸は厳しい表情になり「なりませぬ!」一歩も引き下がらなかった。門番は恐ろしくなって縮こまっている。


「長吏殿の声がしたがどうされた」


 ガチャガチャと武装した部将がやって来る。胡軫の子飼いで、兵士を直接指揮する立場の男だ。


「仮司馬殿か、なんでもありません」


「ふむ、そうは見えませんがね」目の前で厳しい顔つきをしている袁霸に近寄り「こいつが邪魔ってことで?」


「仮司馬とやらよ、私は今、長吏殿と差し向かいで話をしているのでお控え願いたい」


 仮司馬は長吏の顔色と、県丞の態度を見比べる。すると突然拳で袁霸を殴りつけた。尻から倒れ込み口から血を流した。


「な、なにをす――」

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