第283話


「そうしてみよう、賈翅は公孫賛の件を任せる。馬騰らについてはワシが直接やる」


 拱手して引き下がると部屋を出る。気性が荒く残忍で獰猛、董卓に近寄るのを嫌がる者が多いのに賈翅は全くそんな気を見せない。用事がある者は一度賈翅を訪れ、どうしたら董卓が快く聞いてくれるかを相談するようになった。


 初平二年五月。潁陰に警報が発せられた、河を下って来る胡軫水上軍団と、許へ向かっている胡軫陸上軍団が同時に進発した。すぐさま潁川全土に戦闘準備を行うようにと早馬が飛び、主だった者が潁陰へと入って来る。


 城主の間には既に部将らが居て、己が持っている情報を示し合わせて状況把握に努めていた。そこへ荀彧を伴って島介がやってくると、速やかに口を閉じて一礼する。椅子に腰を下ろすと集まっている面々を確かめた。


 荀氏ら一党、幕下の部将、陳紀のところからは息子の陳葦らがやってきている。城の守備を命じてある主将らは来ていないが、代理が後ろの方に立っていた。


「ご苦労だ。いよいよ胡軫が仕掛けて来た、祭りが始まるぞ」


 にやっとして一切恐れることはないと余裕を示してやる。この日の為に準備はしてきている、兵力的には半数以下でしかないが相手は二カ所から来ているので、主力を向けた方は拮抗する計算になる。ともあれ数で戦争を論じるのは文官でしかない、勝機とはそんなところに転がっているものではない。


「河南よりの軍勢は王方を主将とした水上兵五千と、督軍校尉華雄を主将とした兵一万。胡軫本隊も凡そ一万程と推察されます」


 荀悦が諜報した結果を代表して報告する。一党の棟梁だけに島介も敬意をもって表する。


「情報に感謝します。すると河南の防衛は張済のみか、連合軍は動かんだろうがね」


 手薄なところを攻めこむ、戦略的に当たり前なことではあるが袁紹がそうするとは全く思えなかった。目の前で大軍がどこかに消えて行っても、何かしらの罠だと思い暫くは待っている、いくら進言されても決めかねる、それが袁紹という人物。


「梁県から新城県へ向けて数万の軍が撤退中と聞き及びました。それがどこへ消えたのかまでは解りませんが」


 孫策が魯陽へ出て来た軍勢について触れる。荊州に攻め込もうとしたのだから一万ということはないだろうし、再度現れていないならば河南へ戻ったのも頷ける。その後に長安へ向かったか、洛陽へ留まっているかまでは確かに不明。昨今焼け野原になった洛陽に民が戻って来て、復興を始めているらしい。


「おめおめと戦果もなく帰還すれば大将の首も危うい、案外どこかで機会を伺っているかも知れんな」


 近くに居れば前の徐栄と祭燿のようにおこぼれを得る可能性もある、最悪出奔してしまえば命だけは助かるだろう。もっともそんな考えの大将の兵が、どこまで戦う意志があるのか。


「帰順した各県に郷土守備兵五百から千を置いております。長社には甘寧を主将として歩騎水兵二千、許には文聘を主将として同じく二千。潁陰には張遼、北瑠の騎兵団二千弱。歩兵は五千を保持しております」


 全軍の首席参謀である荀彧が、兵力の程を明らかにする。軍事機密の最たるもので、これを調べるために日夜密偵は蠢いている。


「俺達だけでうろついていた頃に比べたら、随分と集まったものだな荀彧」

 常に雰囲気を軽くしようと心掛け、随所で軽口を含めていく。上官に話しかけづらいのは統率上の失策である、島介はそう解釈していた。


「これも全て我が君の人徳のたまものかと」


「はっ、良く言う。俺でこうなら、お前や陳紀殿を頂点にしたら十万はかたいな」


 そういうと陳葦が小さく会釈をする。親を褒められたのだ、誇らしい気持ちが産まれる。同時に自分もそうなるように努力せねばならないと身を引き締める。


「それで島将軍、どのような対処をするつもりだ?」


 騎兵を任されている張遼が尋ねる。いま潁川で一番の戦力を抱えている、強気で臨むことに前向きなやつの筆頭だろう。島介は荀彧に視線をやり説明を任せてしまう。


「折角軍が二つ別れていますので、これを分断したまま各個に撃破しましょう」


「それはそうだが、水軍は潁河を下ってきて、胡軫本隊と合流するかもしれんぞ?」


 手前で上陸するもよし、後方へ向かうもよし。水上で戦うには甘寧が持っている部隊が少ない、精々足止めが出来るかどうか。


「胡軫は傲慢で短気な将、挑発すれば自ら前に出てくるでしょう。それでも万の軍勢に守られております、策を弄して隙を衝きます」


 地図を持ってこさせると床に広げる。潁川から陳のあたりが細かくかき込まれていた。


「胡軫軍団の本隊は陳を出て長平に向かっているでしょう。ここは河が交差する要衝、そこから西へ向かい新汲県を抜けて許県へ迫る。本隊が止まれば華雄の隊が攻め、華雄が止まれば本隊が攻める。こちらの主力が向かった側が守りに入り手薄な城を攻めるという戦術をとると考えられます」


 その備えあらば争わず。後方で指揮している分には胡軫も有能だが、こうやって前線に身を置くようだと粗がみえてくる。洛陽に置いて徐栄を遊撃にし、方面軍全体を指揮する司令官に据えれば恐らくは連合軍もかなり苦戦を強いられることだったろう。


 なまじ守備範囲を分けて、同格の司令官を二人任命したせいで有機的な動きを制限させられてしまっていた。反乱を起こさせない為、一人に力を与え過ぎない為、董卓も様々な制約の中でこうだと運用しているのが伝わって来る。


「胡軫を討ち取るつもりなら、長平へ向かう必要がある、けどもそうしたら華雄が長社を攻撃して胡軫は守るってならどうするんだ?」


 全く考えがない張遼の発言だが、今の立場ならばそれで問題ない。目的と条件が分かっているならば、あとはどうやってその状況を作り出すかを考えるべきだったろうが。


「……偽兵と馬足ですね文若」


「はい、仲豫殿」


 智者は互いに通じるらしく、頷きあっている。島介も余裕の笑み、武官らはいまいちピンときて無さそうだった。


「そういえば新汲のあたりは木々が濃くて隠れるにはうってつけだったな」


 ふと思い出して島介が呟く。かつて多数の兵に追われ、窮地に陥ったことがある場所。懐かしむような内容ではないが、景色が頭に浮かぶくらいの経験をしてきていた。


「ことは連携に重きをおいております。新汲へは土地勘がある者を必ず混ぜ、案内に従い動かします。長社方面では少数でかなり無理な戦いを強いてしまいますので、そちらへは武力が高い人物を充てるべきかと」


 概ねの概要が説明された、誰がどこに相応しいか。兵力はどうすべきか。また運用の方針をどうするか。この時点では不明な部分も多い、あとは現地で指揮官がどうするか。


「荀彧、王方の水上兵を長社の側で上陸させるということで良いか?」


「さすれば胡軫本隊を撃破しやすくなるかと」


 じっと目を閉じて戦況を想定する。長平城を出てしまえば帰りは河を越えなければならない、それはそうそう簡単な話では無かった。その場で防衛をした方が有利、胡軫の性格からも河を渡って逃げるのは考えづらい。押して行けば二面が河で小高い丘があり、西へ行けば橋がある場所に追い込める。


 落としてしまえば住民が迷惑を被る、橋は切れない。ならばそこを通さないように守る部隊が必要になった。人数も千は必要だろう。何をどう考えても数が足りない、ならば何かを捨ててでも充足させるしかなかった。


「張遼、長社から新汲へ騎兵団ならばどれだけで到達可能だ」


 距離にして凡そ六十キロ、ただし勢力園内であり街道も利用可能。


「一日だな」


「朝から晩までで一日か、それともお前の腹具合次第か?」


 険しい表情になり張遼を詰問する。一日などと幅のある回答では許されない場面での態度に怒りでも孕んでいるかのように迫る。


「日の出から南中するまでで!」


「では逆に日没からならば日の出までには到達可能だな」

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