第281話

「ん? そうだな、求められるならばやってやらんこともないぞ。ははははは」


 軽口に二人で笑い合った。気兼ねなく語り合える主従、歳は離れていても友人とはこういう関係をいうのだろう。


「それにしても、陽擢では孫策殿がご活躍をしたとか。文若、まだ彼の方をどこかで下に見ておりましたが、考えを改めさせていただきます」


 初陣を越えてきた小僧と侮っていた部分はあったはずだが、島介はそんな素振りもなく最初から出来る奴だと公言し続けていた。実際戦ってみると、確かにその腕前を発揮したのだから唸るしかない。


「あいつは伸びるぞ、それはもう、うちに居る奴らより頭一つは大きく育つ」


 賭けてもいい。相変わらずその言葉は酒と共に飲み込んでしまい発さない。にこやかに、それでも何かを考えている荀彧に「孫策は孫堅殿の跡取り、俺達とは交わることはあっても決して一緒にはならん。だからといって掣肘する必要はない。あいつは間違ったことに力を使うような男じゃないさ」将来の行動への釘を刺す。


「我が君の仰せの通りに」


 謀殺しろと言われたらそうするつもりでいたが、なんの嬉しいことを言われてしまい心が暖かくなってしまう。歩む道は違えど、目指す未来の形は同じ。確かに邪魔をすることなど微塵もない。


「ふむ。胡軫については実はそこまで心配はしていない、それよりも周辺情報についてだ」


 潁川の周辺には、時計回りに河南尹から陳留、陳、汝南、南陽と郡がある。河南尹から直接来るには虎牢関がある榮陽周りで長社を目指すことになる。陳留は友軍といって差し支えない、陳に敵が居て、南陽には味方であろう孫堅が駐屯しているのを知っていた。


「状況を調べなければならないのは汝南太守の徐蓼殿で御座いますね」


 それ以外は概ね問題がない、この一言で察する。初めて聞く名前なのでじっと荀彧を見る。


「かつて董皇太后の手の者が働いた悪事を暴き、逆に罪を受けて獄へ落とされようとしたというのに、弾劾を強行し風紀を改めたことが御座います。宦官よりの讒言で冤罪を得て、黄巾賊討伐に従軍し功績をあげ無罪放免で故郷に帰っていたところを、先年徴され太守に任官しておられる傑物かと」


「あの手合いの被害者か。どうして漢にはそういう人物を中堅以下の官職に留めるようなきらいがあるな。横やりは入れられずに済みそうだ、と普通なら考えるが、それが落とし穴ともいえるな」


 出来ない、無理だと思うところから攻撃をされる、これこそが戦いというものだ。会って話をすることが出来れば結果がどうであれ自身の見る目が無かったとあきらめもつくが、経歴だけで判断しろと言われても困る。


「我等に賛同こそしても、邪魔だてすることは恐らくは無いかと存じますが」


 十中八九は反董卓連合側だろうと荀彧が所見を述べる。それには島介も納得ではあるが、誰かが反対をしておかなければ警戒心と言うのは産み出されない。


「俺は仲間以外は信じるつもりはない。利害が一致しているのが次で、正体不明は敵のつもりで考えているんだ。そういう意味では絶対敵だって胡軫の方が相手にしやすいな」


 どちらとも解らないならば、もし中立や味方になり得るのを逃すのは失策になってしまう。敵だと解れば様々な妨害も出来るが、そのあたりの加減をしつつ様子を見る、苦手意識だって産まれてしまう。


「我が君の方針、しかと文若の胸に刻ませて頂きます」


「うむ。雪も解けて遠方への行動も起こしやすくなってきている、より広範囲の情報を薄くでよいので気に掛けるようにしておけ」


「畏まりました」


 残っていた酒をグイッと一杯飲み込むと盃を置く。


「さて荀彧を解放してやるとするか。奥方が寂しがっているだろう?」


 長らく故郷を離れ、戻って来たというのに司令部に詰めっぱなしで滅多に帰宅も出来なかった。そこへようやく島介がやって来たのでお役御免というところ。これにははにかんだ笑みを浮かべて俯くのみ。


「俺は寝る、さっさと帰るんだ」


 どうせ床につくつもりもないのに、ぶっきらぼうにそういって追い払おうとする。荀彧が出て行くと、一人で酒を楽しみ空を眺めていた。そこには三日月が浮かんでいて、わけもなく暫く視線を奪われることになる。


 長安の永楽宮、皇帝が住まう宮殿では常に董卓の兵が居て目を光らせていた。生活は董卓が手配した女官が全てをみている。十一歳になった劉協、元より賢いので自身のおかれている立場というのをしっかりと理解していた。


 どこであっても監視されているが、唯一その締め付けが弱くなる場所があった。先祖を祀る祖廟だけは、兵士も女官もついてこずに一人でいられる。そこへ付き従うことが出来るのは三公三師と呼ばれる皇帝の補佐のみ。それとて度々ではあやしまれるので、滅多に一緒にはならないようにしていた。


 九度頭をさげ礼を尽くすと、ようやく司空稠沸は劉協の方を向く。そこでも同じように拝礼して、顔をあげた。


「稠沸よ、世の動きはどうなっているか」


 まだ声変わりすらしていない、身体も小さい、それなのに王者の風格を身に着けている劉協を、稠沸は有り難く敬う。漢室を至宝だと信じて疑わない人物なのだ。


「長安に遷都し、周辺をことごとく手中に収めた董卓は日ごとに勢力を増し、今や相国と呼ばれ有頂天で御座います。袁紹を盟主とした連合軍は数人のみ残り離散し、河内の端に陣を置いてはおりますが動く気配は御座いません」


 董卓の兵を打ち破り長安へ迫るようならば、内から呼応しようと心に決めていたというのに、五百里の彼方ではどうにもならない。


「朝廷でも朕が心を許して語れるのは、王允や趙謙など僅かな忠臣のみであるな」


 司徒、司空、太尉らは根っからの忠臣で清流派が据えられている。相国として董卓が実権を握っているので、名誉職を分け与えただけだが。


「臣らが不甲斐ないばかりに、陛下をこのような目に遭わせてしまい、なんといえば良いか」


 頭を左右に振ると今にも涙しそうなほど悲痛な表情を浮かべる。いくら皇帝といえども、このような子供になんの責任があってこうなったのかと思えば、稠沸の苦悩も理解出来る。


「良いのだ稠沸、国と言うのは栄えることもあれば衰えることもある。興れば滅びるのも理である。ゆえに朕は嘆きはしないぞ」


 あまりに達観している言葉に稠沸は顔を上げてじっと見つめてしまう。この人物ならば必ずや名君になる、強くそう感じた。


「あらゆる手を講じ、逆臣を廃すよう行動しております。どうかお待ちくださいませ」


 政治的に追い落とすことは恐らくできない、だが相手は人間だ、病気にかかることもあれば、怪我をすることもある。命があるならそれが失われることも当たり前にある。暗殺だって視野に入れている、そんな発言がどこからか漏れれば稠沸は処刑されてしまうというのに、ここではっきりと口にしたのは、劉協への誓いだからだろう。


「国家を憂える勇士が居ることが嬉しい。朕は必ずその時が来るまで耐えてみせる。そう約束したのだ」


「約束で御座いますか?」


 祖霊とでもしたのだろうかと、廟を見る。先祖が守ってくれると信じる者は多いし、ことあるごとに感謝していればそのように見えなくもない。なにより親、祖父母らを敬うことが考えの主軸だ。


「うむ。朕の友とな」


「……それはどなたでありましょうか?」


 どこの有力者だろうかと思案する。袁家の者達だろうか、それとも朱家、あるいはと世の名家を思い描いてみる。


「島介だ。真に朕のことを……そうだな、理解してくれているのだ」


「島介と言いますと……なるほど、孫羽将軍の」


 貢献者で従曾祖父だった孫羽将軍が後継者に指名した男、それが島介。劉協至上主義を公言し、死ぬまでそれを変えずに君臨していた冤州の巨人。陳留にその残党がいたなと気づき、報告に潁川のことがあったのを思い出す。


「そういえば潁川、陳へ董卓軍が進出しているのですが、陳留の軍が潁川中央部を制圧したと聞きました。荀氏の行動と聞いておりますが、陳留の黒い軍装の兵が多く参加してていたとも」


 軍旗を掲げて行動したのが後半からで、この頃まだ追加の報告が届いていない。いくらでも黒い軍装の兵など居るし、陳留にも複数の派閥がある。荀氏だって何十人と居る、確定ではない。だが劉協は表情を明るくする。


「それはきっと島介であるぞ。朕には解る、何故か胸が高鳴っていたのだ。祖霊に問いかけると、吉報が届くと聞こえたのだ」


「左様で御座いましたか。確かに吉報、詳細が分かり次第報告させて頂きます。あまり長い時間こうしていては疑われますので、次は趙謙めが」


「大儀である」


 劉協を残して稠沸は祖廟を出て小高い丘を下って行った。警備兵がギロリと睨んで来るが、素知らぬ顔で待たせていた馬車に乗り込む。そのまま趙謙の屋敷へと乗りつけた。家人に来訪を伝えさせ、中に入るとあずまやで休む。程なくして官服姿の趙謙がやって来た。


「お待たせして済まぬ」

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