第279話


 孫策一党は黄蓋と騎兵が十人、心もとないが腕前は孫策が一番なのでどうとでもなるだろう。やると決めたら途中ではやめない、荀彧は危険を取り込みより安定した先を目指すことにするしかないと諦める。


「噂の流布ですが、我等の一党も人を供出いたします。地方の訛りが無ければ怪しがられるでしょう」


「そうか、頼むぞ荀彧」


 成功すれば今まで以上に始まりで不利が薄れる。失敗したらもとより同じで、未来は暗い。ならば安全な幅など削って勝負をかけるのも案外理にかなっているのではないかと、荀彧は考えを改めた。


 騎兵二百を引き連れ島介は一日先に動く。新鄭県の南境界線当たりを行き、山岳地帯で夜を明かす。朝になれば張遼らも同時に進軍をすることになる、同時多発なだけにそれぞれが個別に結果を出し援軍はない。


 夜半になり厚手の毛皮にくるまり寝転がっていたところへ孫策がやって来た。黄蓋は少し離れたところで立っている。


「すこし宜しいでしょうか」


「ああ構わんよ」


 起き上がると毛皮を膝に乗せて胡坐をかく。木を背にして目の前に座るように孫策に勧めた。


「実は先日やって来た父上の使者ですが、某の無事を確認しにきただけではありません」


 荊州から使者が来ていたのは知っていた、大層な喜びようだったのは聞いている。なんでも親戚が様子を見に来てくれたとか、その後、二日してまた戻って行ったのであいさつをした程度しか記憶がない。


「何か変化でもあったか」


「はい。豫州刺史に任じられたとのことです。今は魯陽で練兵をしていて、そこから河南尹を目指すとか」


「ふむ、魯陽というと」


 地名を言われても全くピンと来ない、何せ中華は広すぎる。そのうえ同じ名前が多いのはどうにかして欲しかった。陽擢から南西へ六十キロ地点、案外近くに居ると言うではないか。長沙だとばかり思っていたが、いつの間にか北上してきていたらしい。


「荊州は南陽の北側の端です。丁度河南尹と山道を挟んで反対の出入り口にあたる場所」


「そうか。陽擢を制圧出来たら、孫策は魯陽へ行っても構わんぞ、歩兵でいいなら護衛をつけてやる」


 数十人位ならば問題ないだろうと、帰ることを許可してやる。人質ではないが何かしらの援助と交換で身柄を引き渡せるというのに、何一つ要求をしない。孫策はにこりと笑った、この人はそういう人なんだなと。


「父は豫州刺史で、潁川郡は豫州に属しております。太守は不在で島将軍が実効支配をするならば、父に太守を推挙したく思います」


 刺史に太守の任命権など無い。指名権くらいはあるかも知れないが、大切なのは事実誰が支配をしているかだ。それを追認して上奏するならば可能かもしれない。刺史が太守だと認めれば、周りもそのように扱うだろうことを思えば、そんな任命など無くても良い。いずれ形がついてくる。


「……なあ孫策、ただ帰って孫堅殿にそんなことを言うのも心苦しいだろう。どうだ、楽英をお前が倒してみないか?」


「某がですか?」


 ポカンとしている。それがどういう結果を産み出すのか、すぐには想像出来なかった。


「ああ、孫策が敵将を討ち取れば名も上がるし、何より面白いだろ。お前の強さなら勝てると俺は踏んでいるんだよ」


 何度か訓練で相手をしてみたが、恐ろしいことにこの歳で既に兵士はもとより下手な部将では勝てないほどだった。張遼や典偉も本気を出してようやく一手つけることが出来た程に。


「黄蓋も気が気ではなくなるでしょう」


 半笑いでやって良いなら自分がやるとの意志を示す。確かに眉尻を下げて困りそうな気がした。


「なに、孫策に勝てるのは呂布や関羽、張飛くらいなものだ。俺が保証する」


 上は居る、それを忘れなければ危なげないことも教えておく。ここで孫策の快活な性格が出る。


「それでは島将軍ならば、それらには勝てますか?」


「俺か? うーん、どうだろうな。戦闘に負けることはあったとしても、戦争には負けない自負はあるがね」


 口の端を上げて自信の程を覗かせた。


「……董卓はどうなのでしょう。会ったことはありませんが」


 世間での董卓のイメージはどうか。獰猛で、狡猾で、熊のような大男といったところだろうか。


「あいつはケダモノの類だよ。ただし知恵が働く上に勘も鋭い。もし戦場で出くわすようなことがあったとしても、睨み合ってはいかん。いっそ切り合うか軍同士をぶつけあったほうが良いと俺は思っている」


 少帝を背にして董卓と睨み合ったことなど脇に置いてしまい、強いが決して勝てない相手ではないのも教える。


「明日の為に寝るんだ。これからは忙しくなる」


 孫策は言葉に出来ないような不思議な感覚を得た。ずっと父親やその部下と共に過ごしてきたが、それとはまったく違った何かを知る。敵味方だけでなく、ある種の先達と次代の者達が紡ぐ何かがそこにはあった。


 夜が明けると朝飯と昼飯まで一緒に作り、笹の葉に包んでツルで縛ると腰のあたりに括り付けてしまう。殺菌効果がある上に、あちこちで生えているので便利なのだ。陽擢城を見下ろす、しっかりとした造りでこれを兵力で攻め落とそうと考えるのは愚か者がすることだなと頷く。


「行くぞ」


 速足くらいで城に接近する、馬足のこれは人が歩くのと疲労度的には変わらない。二キロあたりまで接近したところで城から騎兵が十人ほど出てきて目の前に止まる。


「そこな集団止まれ! 何者だ!」


 警備に誰何される、島介はその場で応じた。


「私は恭荻将軍島介だ。陽擢に座する賊の楽英を討伐にやって来た、見ての通りの小勢だが臆病者で名が通っている賊相手ならば充分だろう。降伏しろ、命だけは助けてやっても構わんぞ」


 そういうと黒兵たちが大声で笑ってやる。騎兵は顔をしかめて即座に城へ逃げて行く。大人しくその場で待つこと一時間、歩兵を伴い騎馬した者らが城から繰り出して来る。いかつい見た目に分厚い胸板、手には戦槌を持っている。


「俺が陽擢を預かる楽英だ! 臆病者とはなんとした物言いか、島介前に出て来い!」


 島介は騎馬したまま腕組をして動こうとしない。すると二騎が前に出て行き、途中で一騎止まる。楽英の目の前に行ったのは美丈夫の孫策だ。矛を手にして茶色の外套を身に着けている。


「島将軍はお前のような小物を相手になどはしない。孫堅が一子、孫策が代わりに戦ってやるゆえ狂喜して刃の錆になるが良い!」


「はっ、小僧が出る幕ではないぞ。だが死にたいのならばそうしてやる、来い!」


 馬を少しだけ前に出して迎え撃つ。後ろの兵士が矛を天に突き出し楽英、楽英と繰り返して大声を出した。黒兵たちも武器をガチャガチャと鳴らして盛り上げる。


「若君、ここは私が戦いますぞ」


「黄蓋は見ているんだ。俺があんな奴に負けるとでもいうのか?」


「いえ、そういうわけでは。ですがどうかお気をつけて」


 速足で真っすぐに進んでいくと矛先を上げる「そら、これでも喰らえ!」速度を上げると馬をぶつける勢いで迫った。楽英の戦槌が振りかぶられて孫策の頭を狙う、それを間一髪で見切ると矛の出っ張りで楽英の首を引っ掛けて騎馬で走り去る。いともあっさりと首が飛んだ。そんなに? と思う程に簡単にだ。


「はっはっは! 賊将楽英口ほどにもない、この孫策が討ち取ったぞ!」


 大笑いで矛を掲げた、まさかという気持ちで一杯のところで「黒兵、残敵を蹴散らすぞ、突入!」島介が先頭になり陽擢軍へと駆けた。


「に、逃げろ!」


 大将を失い統制も取れず、騎兵の突撃を防げるはずもない。歩兵らは散り散りになり一目散に逃げて行く。真っすぐ城へ向かって行き、いち早く城内の軍旗を全て『島』に差し替えていく。城の住民は島では解らなかったが、まずは兵らが乱暴を働くようなことをしなかったのでほっとしている。

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