第278話



「うむ諸葛玄か、袁紹がこともあろうに劉虞殿を帝に推戴して董卓と戦うべきだとぬかしおった」


 袁術とて劉虞の素晴らしさは知っている、知ってはいるがこれといって瑕疵があるわけでもない少帝が廃され、また献帝を廃するなどといってついてくる人間がどれだけいるか。


「……いずれこの件は知れ渡るでしょう。その時に諸侯らがどう思うでしょうか」


「袁家の不忠を罵るであろうな、情けない限りだ」


 あのような妾腹がと思いつつも、それもまた家を貶めることだと袁術は言葉を飲み込む。


「そこでです、袁術様は連合軍の本営を離れ荊州にお戻りになられるべきと愚考致します」


「ほう、諸葛玄は先の謀略の功績がある。話を聞こうではないか」


 孫堅を兵糧不足で敗戦に追い込んだ功績が。見事に経歴に傷をつけた上に、その件については曖昧なまま今に至っている。


「もし諸侯らが離れて行けば、ここでは補給に苦しむことになる上に、敵が近すぎます。荊州方面から河南尹に攻め上がるとして本営を割り、南方軍の司令官としての地位を確立するのです。そうすれば先に河南尹を制圧した側の功績を誇れるため、副盟主に甘んじている必要も御座いません」


「なるほど、北方司令官と南方司令官として盟主という概念を薄めるわけだな。確かに南陽から河南尹を伺うならば、広大な後背地を抱えていて地力が違う。だがこの書簡についてはどうするのだ?」


 大問題である、握りつぶしたところでどこからか流出するのは明らかだ。余計なことをするなと怒ったところで遅い。


「使者を送り公然と反対するのです。ですが董卓を打倒する志は変わらないので戦いは続けると。その際、挟撃する位置につくために本営を離れると宣告すればよろしいでしょう。その頃には陣を引き払い既に移動している、ということになるでしょうが」


「よかろう、そのようにするぞ。諸葛玄よ、南陽に戻った際には博望県令に推挙するとしよう」


 論功行賞をきっちりと行えば人はついてくる。この時に任地に赴いた諸葛玄の経験を後に甥に話すことになるが、きっちりと活用されることになるのであった。


 南部では雪解けが進んできた三月初旬のこと、小黄から潁川郡の潁陰へ三千もの一団が進んでいた。陳留郡南西部の端、尉氏県から潁陰までは三十キロ前後、歩兵ならば二日かかるが騎兵ならば半日で到達できる。通常そうすれば兵力が不足してしまうが、異常な編制で二千騎もの数を揃えているので丁度良い場所なのだ。


「さてここにやって来たな、明日の朝からは様々飛び交うことになるぞ」


 幕の奥で不敵な笑みを浮かべている恭荻将軍島介、何かに挑戦するのが楽しみでたまらない。苦労するのが好きという若干困った人物。


「潁陰の県令は説得に応じておりますので、無血開城の運びになっております」


 荀氏の本拠地だ、県令が誰であろうと彼らの要請があればそれを受け入れてしまう。もし反対でもしようものならば、いつ寝首をかかれるかたまったものではない。何よりも、荀氏の言うことを聞いておけば悪いようにはならない、それを皆が知っているのだ。


 本来ならば荀彧が各地を飛び回り下準備をしなければならかった、だが世がうらやむほどに幕が潤っていた。


「許の城門は開け放たれておるであろうな。のう長文」


「はい父上。許県は島将軍の統治を受け入れるでしょう」


 陳紀、陳葦父子が余裕の受け答えをする。地元の名士がもろ手を挙げて支持する人物、董卓の暴政を恐れる住民も納得してくれた。


「西の潁陽は公達殿が、南の臨潁は仲豫殿が説き伏せております。長社は友若が門衛を解き落としておりますので、軍が近づけば県令も降伏するでしょう」


 荀彧が一族の働きを明らかにした。潁陰を中心に十字に四つの県城を全て手に入れることが出来るのを意味していた、潁川の中心部を突然奪われてしまえば胡軫も対応しがたいに違いない。


「これらに加え郡都陽擢を押さえてしまえば、潁川の半分を手にしたようなもの。胡軫と連絡が途切れる西南部を掌握すれば、陳郡と対抗可能です」


 行く道筋の多くを荀彧らがお膳立てしてくれる、なるほどこれは助かる。慣れ過ぎて考えが無くなっては元も子もないが、立ち上げでこれだけ協力者が居るのは間違いなく荀氏のおかげである。


「陽擢はどうなっているんだ」


 ここを説得は出来なかった、だからこそ最後に回されている。躓くことがあったらまずはここだ、詳細を尋ねるのは必要だろう。


「胡軫配下の猛将の楽英が詰めております。二千の軍兵が所属しており、住民を押さえつけているとのこと。早晩反乱が起こるのは間違いありません」


 島介は目を細めて荀彧を睨み付けた。一番厄介な場所を後回しにして地盤を固める、それはそれで正しいが不安定要素を残すことは褒められたことではない。何せ足元さえ固まればその先はどうとでも運用して行けると考えているのだ、それは正しい。


「反乱を起こすのか、それとも起こるのを待つのか」


「起こすべく促進致します」


「起こしてどうするつもりだ」


 幕に緊張が走る、普段は滅多に機嫌を悪くすることなど無かった島介、荀氏らは初めてその険しい顔を見た。


「体制に隙を作りだし、楽英を突き崩します」


「甘い! 己が中心とならんような計画を進めるつもりか!」


「申し訳ございません。ですが我が君、いかがするおつもりでしょうか?」


 時間さえあればいずれ奪取してみせるだけの知恵は出せる、荀彧は間違っているとは思ってはいないし恐らくは多くがそれを採用するだろう。


「甘寧、陽擢へ忍び込み楽英は臆病だ、大したことはないと噂を流布しろ」


「鈴羽賊を使おう。で大将、そんな噂を流してどうするんだ」


 甘寧の独自配下、江南から付き従っている江賊の鈴羽賊。今は数十人しか居なくなっているが、だからこそどんな命令でも受け入れる奴らだ。


「俺が陽擢の前まで行って挑戦する。それで城に籠もっているようならば何ら恐れる必要もない奴だ」


「出てくるようなら討ち取ればいいってか。でも援軍待ちで籠城は悪いことじゃねぇだろ」


 その為に守備兵が居る。個人の武勇を誇るのは匹夫の勇と言われてもおかしくない、将軍ならば兵を指揮してこそだ。


「もし十分の一しかいないような相手に対し籠城するならば、そいつはそこまでの雑魚ということだろうな。俺は二百の黒兵だけを率いて陽擢へ向かう、張遼と荀攸殿は歩騎千で長社の制圧を。文聘と典偉、陳紀殿らは歩騎千で許を。荀彧らは残りを率いて潁陰に入れ、そこが司令部だ」


「それでは我が君があまりに危険、せめて五百をお連れになってください」


 使うかどうかは別にして、後方に伏せて置けば危急に際して利用出来る。ここで島介を失えばすべてが水の泡、荀彧の杞憂はもっともだ。


「二百で出来なければ五百でも出来んさ。それに胡軫を甘く見るな、こちらが動けばすぐに許に押し出してくるはずだ。緒戦で圧倒されているわけにはいかんぞ」


 部隊同士をぶつけあって戦うつもりはない、大将を倒して終わりにすることが出来るかどうかだけのこと。そこで客将である孫策が進み出た。


「養っていただいている恩義が御座います、某も島将軍と共に行くご許可を」


「孫策の好きにしたらいい、だが自分の身は自分で守るんだ」


「承知!」

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