第274話

 河内郡懐城、董卓軍に奪われていた郡都を取り戻して後、王匡は城を動かずにいた。郡内の県城には千人単位で守備兵を増強し、籠城して居るだけで良いと言い含め守らせている。ところが泰山から連れて来た兵は、住民相手に威嚇をして随分と行儀が悪い。


 未だに西半分は徐栄軍団が支配をしており、弱みをみせればいつでも進軍してくる態勢を維持している。逆に言えば河内は守りさえ固めていればよいので、わざわざ攻撃態勢をとる必要が無かった。


 混乱が長引けば各地は荒れ果ててしまい、中央の統制が緩くなる。それは地方領主にとって果たして悪いことなのか、といったところ。建前では太守は領地を預かっているだけだが、事実上私物化をする者が後を絶たない。なので不定期で土着化しないように転任をさせるのだ。


「相国よりの使者が城外にやってきております」


「そのような者に会う必要はない、追い返せ」


 王匡が取り付く島もなく使者を追い払おうとする。が、主簿の楊樊は仕方なく先を続けた。


「それが使者は執金吾胡母班殿。会わないわけにもいかないのではないでしょうか?」


「なに? うーむ、婿殿を無下に扱うわけにもいかぬであろうしな」


 個人の関係性が官職を超越する、親族が相手ということならば多くの者が理解をしやすいだろう。


「ですが用件を聞いてしまえば返答する義務も生じましょう。会わない勇気も必要かと」


 杜楊が懸念を挟む。知らなければ責任の追及も出来ない、それを公に証明するにはやはり面会を避けるというところなのだ。


「しかしな……何か良い考えは無いか?」


 やって来るのが敵ならば幾らでも対処の方法は浮かんできたが、それとは程遠い相手なので悩む。短気で果断な王匡ではあるが、文字通り相手が悪い。


「でしたら、ここでは短い挨拶のみに終わり、後日改めて話を聞くとして城下に留め置いているうちに、その内容を別の者に聞き出させてみては?」


「おおそれだ! よし杜陽、婿殿が来て後に私は忙しくなることにする頼むぞ」


 意気揚々と来ているならばそんなことを無視して胡母班も押して来るだろうが、好き好んでやってきているかは不明だ。どうせ董卓に無理を言われてきているのだろうとの予想を立てた。ややすると甲冑姿で白い布を帯に挟んだ男がやって来た。


「執金吾胡母斑、相国の使者として河内太守王匡へ謁見に参りました」


「おお婿殿、そのように肩肘張ることはないぞ、義理とは言え親子ではないか」


 はははははと笑うと片手を軽く上げる。表情が多少は緩んだところで敢えてこの場へ伝令を差し込んで来る。


「太守殿、速報で御座います」


「うむ、婿殿済まぬなこの場で少し失礼する。どうした」


 構わないと脇に避けて立つと伝令に視線を向けた。普段ならばよそ者が居る時に報告などしないが、今日は杜陽に仕込まれているので聞こえるようにはっきりと言う。


「野王方面に徐栄軍団の偵察が出てきております、この頃斥候が頻繁に姿を見せておりますので攻撃時機が近いのではと県令殿が仰っておりました」


「あそこを占領すれば修武攻撃への拠点に使える、狙っておるのであろうな。わかった、守備兵を増派するので決して城を出て戦うなと命じておけ」


「御意!」


 こと戦にかけてはきっちりと指示を出せる、真っ向戦うならば王匡は得意だった。それだけで満足に戦えたのは精々石器時代までだったろうが。伝令が出て行くと実務を下僕に命じて部屋から出て行かせる。


「いや済まない、何せここは最前線でな急報は全て通すように命じておるのだ」


「堂々たる姿を見ることができ、妻にも良い土産話を持って帰れそうです」


 長安に人質として残していている、それは全ての説得の使者が共通でさせられていることだ。家族全員を監視下に置かれての行動、下手な真似は出来ない。再度話を切り出そうとしたところでまた伝令が駆け込んできた。


「太守殿、速報で御座います。執金吾殿にも悪いので、後程改めて場を持たれてはいかがでしょうか?」


「うーむ、それもそうだな。私の屋敷に部屋を用意させるので先に帰って待っていてくれるか」


 仕事があるので自宅で待って居ろ、そう言われては承諾せざるを得ない。急いで話をしたいのは山々ではあるが、相手の機嫌を損ねてしまっては元も子もない。


「それでは職務に励んで頂きますよう。私は一足先にお暇させて貰います」


 下僕に自宅まで連れて行かせる。出て行ったのを確認してから主簿へ顔を向けた。


「楊樊、盟主殿へ早馬を出すんだ。どうしたら良いかの指示を乞うぞ」


「そういうことで御座いましたか、承知致しました」


「杜陽は内容を聞き出す手筈を。私はこれより忙しくなり帰宅すら困難になる、よいな」


 やると決めたらやる。王匡は最低限義理を果たして使者に会うだけは会った、本題に入れなかったのは徐栄軍団の責任だと言えるように言質も与えてある。どうなるか心配はあったものの、まずは我が身を立てておかねばならなかった。


 その日の夜のうちに袁紹の元から派遣された使いが懐城にやってきた。ゆったりとした文官服を着た四十路あたりの男、逢紀、字を元図といい、元は何進大将軍の属人だったが、袁紹が洛陽を離脱するに際して付き従っている。


「太守殿、我が主である車騎殿に派されました逢紀と申します。宜しくご承知おきの程を」


 袁紹だが、渤海太守のままに盟主に推された際に車騎将軍を自称していた。董卓がそれを認めるはずもないので、皇帝が居る方角へ向けて奉じ、いつか助け出したら追認してくれという儀式を行っている。何としようと自称なのは動かずだが、連合軍同士で認め合えばそれが馴染んで来るもの。


「杜陽」


「はっ。従事の杜陽と申します。董卓の使者である胡母斑殿は太守殿の娘婿、現在は屋敷で休んでおられます」


 関係性を知らないはずもないが、知らぬと後で言われぬためにもここで触れておく。友軍ではあるが生き馬の目を抜くかのような時代だ、それぞれが主を守るために全力を出した。


「して使者殿はなんと」


「それでありますが、太守殿は挨拶だけを受けて一切の話をしておりません。そのところどうぞご高配願います」


「承知致しました。ではまだ使者殿の目的は聞いておられないのでしょうか」


 それならそれで変わり得るので考えの幅が違ってくる。外堀を埋めながら杜陽は話を進める。


「屋敷にてそれとなく耳にしてきております。相国は太守殿との和睦を求められておられるようです。ここ以外へも使者が出ているとの話でした」


 逢紀がピクリとした。和睦の使者なのはわかるが、それは連合軍とではなく個別にということだからだ。即ち袁紹とは和睦の意志がない、だから連合軍の盟主へは使者を出していない。今の時点ではそういうことだと受け止めることが出来た。


 そして杜陽はこれを一つの武器として使う、王匡の連合軍内での立ち位置を少しでもあげられるように。どちらに与しても良いのだぞとの無言での脅しでもある。


「王匡殿へお尋ねいたします。連合軍を抜け董卓につかれるお気があられるのでしょうか」


 真っすぐにこう言われては誤魔化すことも出来ない。杜陽を見ても楊樊を見ても何とも言わない、そこは王匡の判断に従うだけだから。


「あるはずなからろう。我等は董卓が漢を蔑ろにし、横暴を行うからそれを正そうと立ち上がったのだ。俺を愚弄するつもりか!」


 椅子から立ち上がり発した。怒気を孕んだ一言に杜陽らは少しばかり首をすぼめる。そこまで強く思っていたとは考えていなかったのだ。

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